ゆ ず 茶 庵 Blog

バンドウユミ  Private Blog
  ALBA所属 ひよっこナレーター の 上々↑↑ライフ

『 特別展 京のかたな 匠のわざと雅のこころ 』其の壱(第二章~第五章)

2018-10-14 07:48:00 | Go!Go! わたし ~鑑賞編~
鑑賞日 10/10(水)~10/11(木)。

 1日目・11時半入館。

まずは明治古都館にて刀剣乱舞コラボのパネル展示と物販会場へ。
とは言え写真撮影も混雑緩和のため枚数規制されてるし、グッズも欲しいの2つだけだったのでさくさくと。
早々と済ませ特別展会場・平成知新館へ。ここでもオリジナルグッズを求め、まず物販。
公式アナウンスは未だされていないのでツイッターが頼り。
開催後1週間で欠品状態となった図録に関しては、後日配送対応となってました(送料は先方負担)。

 『 特別展 京のかたな 匠のわざと雅のこころ 』

音声ガイドをレンタル。せっかくなので「刀剣男士バージョン」を。1000円也。
荷物をロッカーに預け、鑑賞に必要な小物だけを携え、いざ。
館内は 撮影及び録音全て不可

展示冒頭の3階は大混雑。みんな順番に観たいよね。でもこれじゃ時間がかかるだけでちゃんと観られない。
なので後ろ側から流し見しつつ、まず2階へ。

「第二章 後鳥羽天皇と御番鍛冶(鎌倉時代前期)」~「第三章 粟田口派と吉光(鎌倉時代前期 - 中期)」

「第二章」は、三種の神器のうち「剣(草薙剣)」を欠いたまま即位したが故に「かたな」に並々ならぬ執着を示したとされる後鳥羽天皇と、宝剣を求め自ら作刀するとういう伝説から生み出された刀「菊御作」を中心に。
「第三章」は、その後鳥羽天皇の御番鍛冶を務めた「粟田口派」と、その中でも突出した才を誇った「短刀の名手・吉光」の作品を。

構成がすごい見事! 御番鍛冶によってそれまでは職工・職業に過ぎなかった刀工が役職を与えられ、地位を手にすることによって競い合い、名物が次々と生み出される様の躍動感たるや!
ちなみに展示は 最前列で見たい人 と 後ろからでもいいという人 でガイドロープにより仕切られています。
混んではいましたが迷いなく最前列へ。
粟田口派では吉光の作が確かに突出している印象ですが、なかなかどうして長男 国友・次男 久国・三男 国安・四男 国清・六男 国綱 も相当な腕だったことは確実。
展示No.35「国宝 太刀 銘 国綱」は、磨り上げにより15cm切られてなおそのプロポーションに変化がないという・・・。

粟田口派は刀剣乱舞に出てくる男士が多く(最大刀派)、「鳴狐」「包丁藤四郎」「五虎退」「毛利藤四郎」「博多藤四郎」「前田藤四郎」「後藤藤四郎」「秋田藤四郎」が展示(「包丁」のみコラボ外)。

「鳴狐」は東博所蔵のためそちらで鑑賞済みなのですが、すぐ左隣に展示のNo.39「短刀 銘 国吉」をそのまま大きくした印象なのが目の当たりにできて嬉しかったです。

そうそう、出品一覧で振られているNo.と実際の展示順は構成の関係で異なっているのでご注意をば。

「No.51 毛利」「No.48 博多」「No.50 前田」の三振は並んでます。毛利のみ通期展示。この三振、圧倒的。
個人的には「博多」はタフ、「前田」はシャープな印象。

「No.41 後藤」、刃先の刃文の乱れが特徴的。目釘穴が4つありました。
「No.43 秋田」、最も小ぶりで繊細なつくり。刀身のカーンと利剣がとてもきれいです。目釘穴は4つ うち3つ塞ぐ。
その隣に展示されているのが「No.55 短刀 銘 吉光」、刀剣茶寮の「秋葉原藤四郎」です。
何回か通ってるのに実は茶寮ではがっつりしっかり見ていなかった()ので、今回が初見みたいな感じだったりしました。


「第四章 京のかたなの隆盛(鎌倉時代中期 - 後期)

ここでは粟田口派と並ぶ名門鍛冶:来派の刀と、それに連なる流派の刀が展示。
初期は優美さ繊細さも併せ持った印象だったのが、時代が進むにつれて身幅も広く剛毅な印象に変化していくさまが見て取れます。
刀剣博物館所蔵「No.60 国宝 太刀 銘 国行(号 明石国行)」、久々に観ました。
進んだ先にある「No.74 国宝 短刀 銘 来国次」は時代的特徴と刀工の作風の一致が見られる。
「No.79 国宝 短刀 銘 備州長船住景光/元享三年三月日)(号 謙信景光)」、刀身に「秩父大菩薩」の文字切り、肩落互の目が見事。
「No.89 刀 銘 九州肥後同田貫上野介」、鋒が大きく、武骨で頑丈な印象。明らかに強い刀。
「No.81 太刀 朱銘 千代鶴国安 木屋□研之(号 次郎太刀)」、熱田神宮の御神刀。160cmクラスのとんでもない大きさ。どうやって打ったんだこれ・・・。
ちなみに熱田神宮にはもう一振、2m超の御神刀が存在するそうです。これが「号 太郎太刀」ですね。


ここまでが2階。1階へ移動。

「第五章 京のかたなの苦難(南北朝時代 -室町時代中期 )

応仁の乱、天文法華の乱といった「京都を主戦場とする」幾多の戦乱を経て山城鍛冶は衰退。それでも鍛冶の火を絶やさず次繋いだのが長谷部派・信国派等の苦難の時代の刀工たち。

ここに福岡博物館所蔵「No.95 国宝 金象嵌銘長谷部国重本阿(花押)/黒田筑前守(名物 圧切長谷部)」が展示されています。もちろん最前列の列につきました。
福博では通常年に一度・一か月間だけ展示されるこの刀が京都に出る。これが今回の旅行の最大動機でした。
織田信長公の元にあった時は大太刀だったと推測されるこの刀、のちに黒田如水(官兵衛)に下賜され現在のサイズに磨り上げられたのだそう。
その最大の特徴は「皆焼(ひたつら)」と呼ばれる刃文。
これは刀身の殆どを網状に焼いたもので、しかし地鉄の全てを焼くわけではなく、棟焼とは異なり棟は焼かないという南北朝時代の相州物の特徴なのだとか。
刃文がより見えやすいように凝らしたライティングが施されています。裏側も見られます。
鋒の側から見ると刃文が一気に消える不思議さも。
その皆焼は舞う雪か桜か。とんっでもない美しさ。
なのに身幅は広く、豪壮さまで併せ持つという・・・これほどの刀を下賜したということは、信長公は官兵衛を非常に高く評価していたと同時に警戒していたという証左ではないのかと。
この列は比較的空いていたので、他の展示も見つつ、気づけばぐるぐると6回転。

他には「からかしわ」、そして「村正(刀剣博物館)」も展示。


あまりに長いので分割します。「其の弐(第六章~第八章、第一章)」へ続きます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿