我故郷に執着を…北斗市・ファース本部
若き日に故郷から津軽海峡を0時00分発の青函連絡船で渡り、明け方に着いた青森駅から乗り継いだ「特急はつかり号」は、薄暗くなった東京の上野駅に到着しました。
私にはその東京で鉄骨トビ職の仕事を探さして、仲間を呼び寄せる大役があります。
二番目の姉がそっと渡してくれたお金は、何と15万円もの大金でした。
コツコツ貯めたお金が3万円と合わせ18万円は、この福地建装の創設資金となります。
この15万円を貸してくれた姉の存在は、大きな気概となったのです。
高度成長期の前でしたが都会は常に職人不足でした。
鉄骨を組み上げてからの請負金の支払いですから、元請側にリスクはありません。
鉄骨会社に飛び込み訪問したのですが、すぐに仕事をさせてくれる会社が見つかりました。
アパートを借りて故郷で待つ仲間を直ぐに呼び寄せました。
故郷では、独立を勧めてくれた師匠が仲間を人選してくれたのです。
あとは我故郷を想いつつ、姉が出してくれたお金を返すために奮闘。
鉄骨トビ職から木造建築にシフトして、間もなく住宅システムの研究に取り掛かりました。
工務店経営と研究開発を行いながら今に至るのですが、その総ては0時00分発の青函連絡船(写真)で津軽海峡を渡ったことから始まっています。
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