高麗橋桜花 徒然日記ー料理人はどこまでできるのか ー

「高麗橋桜花」店主・「大阪食文化研究所」主宰森田龍彦のブログです。どうぞご贔屓にお願い申し上ます。

天王寺蕪の花咲いた

2006-03-13 | 筆者の徒然なるままに

060313_1056  我が家のベランダで育っていた天王寺蕪が、見事に花を咲かせました。

 お米のとぎ汁など水だけで育てたので、蕪自体はそんなに大きくなりませんでしたが黄色のきれいな花を披露してくれました。9月に植えてから無事、今年の厳寒の冬を乗り越えてくれました。小さいですが、私自身はなかなかの達成感と幸福感。

 今週は少し寒い日が続くようですが、ずれ込んでいた春ももうすぐそこまで。寒さが苦手な私にとっては、待ちとおしい限りです。 

 

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こんぶ土居さんと釜たけうどんさん訪問

2006-03-11 | 農業・食育・食文化について

 こんぶ土居さんとは、昨年のまんでい会でも親子料理教室からお付き合いさせて頂いています。

060310_1255  実際に使わせて頂いてから、その品質の良さに惚れています。また、若主人の純一さんの昆布に対する熱心な取り組みを見ていますと、こういう方とのお付き合いを通して自分ももっと理解を深めたいと思えるのです。今回は、恥ずかしながら今までけずりかつおしか使った事がなかったので、自分でかつおの節を削ることを憶えたいと思い、土居さんを訪問させて頂きました。

 土居さんで扱っているかつお節は枕崎産で、しかもカビも噴きつけるのではなくてしっかりと自然のかびによってかび付けされたものだそうです。お話をお伺いしているとかつお節造りも酒造りも似たところがありまして、かびをつけると言うことは酒の麹米と同じ作用で、乾きのかつおの身のなかに入った菌が、水分を吸い上げて乾燥を助けたり、旨味を引き出す作用を目的としたようです。また、素材の良し悪しもさることながら作り手の技術が大きく反映されるところも同じですね。 削り節の練習の成果は秘密です。まあ、先生が優秀なので、それなりの成果があったということにしておきましょう。

 練習後、しばし土居さんと談笑。土居さんご自身も毎年昆布の生産者さんを訪問して、いろいろと意見交換したりしているそうです。それをまた大阪の消費者にフィードバックしてこだわりの食を伝えているのですね。それは、先代のお父様の影響もあって、利益優先主義なら継いで無かったかもしれないとおっしゃってました。そんな、先代は生産現地の北海道の小学生と昆布を通じての交流も行ったそうです。そういえば、土居さんに食育の際にかつお節を削るところを見てもらったらどうですか、アドバイスしてくださった。早速、今度機会があれば試してみよう!!土居さん、今日はいろいろとありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。

 土居さん訪問後、このブログを読んで下さっているという釜たけうどんさんへ。

060310_143900_1  この日はあいにくの小雨模様。この日はバイクの移動だったので、体が冷えてしまう。折角の讃岐うどんなので、生醤油うどんを食したいが、ここは妥協して温かいちく玉天ぶっかくうどん680円に。(トッピングに半熟玉子とちくわの天婦羅を乗せたもの。)実は、半熟玉子もちくわの天婦羅も私の好物、しかもこのお手ごろな値段もとても嬉しい。釜たけさんのうどんは通常のうどんよりもかなり太めでもちもち。本場の讃岐うどんがどのようなものか知らないのでなんとも言えませんが、喉越し重視の方には向かないかもしれませんが、もちもちした食感・風味が好きな方にはとても嬉しい・美味しいうどんではないでしょうか。そう、こういう個性のある料理にはとても好感が持てますね。(ちなみに、やはり冷たい生醤油うどんも食べたくなって追加。お腹一杯でとても幸せ。)

 食事終了後、ご主人の木田さんと少しお話させて頂きました。いろいろと出汁のお話をさせて頂いたり、このブログの話をしたり。一番びっくりしたのは、このブログでも書いた今は亡き恩師と木田さんに面識があったことです。確かに恩師の方はこの業界での交流は広かったですが、木田さんがこのブログを読んで下さっていて、私が今日木田さんと出会えた事にも何かの縁を感じました。

 私は脱サラ組みで料理の技術はありません、と木田さんはおっしゃいますが、一芸に秀でることはとても大切なことです。食べて頂いたお客様に喜んでもらうことが私達の一番の喜びであり、大切な事だと私は思っています。料理の腕は有る無しは、二の次。なので、その方の作った料理が心打つものであれば、フレンチだろうと寿司だろうと焼き鳥だろうと蕎麦だろうと私はその作り手を素直に心から尊敬します。また、いつまでも貪欲に新しいもの発見を追求する方を見ると、私もそうありたいと強く感じます。 木田様、お体を大切にされて、これからも美味しいうどんを食べさせてください。今後とも宜しくお願い致します。

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浪花酒造さんと西條酒造さん訪問

2006-03-09 | お酒について

 今回も酒蔵見学のお話。

 なぜ、最近酒蔵さん巡りをしているのですか、と偶に訪ねられます。このブログ、読んでくれているご様子。有難うございます。いろいろ理由はありますが、ひと言でいうと縁ですね。今の時期、畑は丁度種植えの準備などの土作りなのです。なので、見学を申し出ると折角来てくれるなら4月頃の方がイイよ、と言われることが多いのです。そして、ある方に今の時期なら酒蔵なんか行けば勉強になるよ、と教えて頂いたのです。そして、それから大阪にも頑張っている酒蔵さんがたくさんあることを知り、実際に足を運ぶようになったのです。

060307_1115  午前中は、大阪の最南端に位置する浪花酒造さんを訪問させて頂きました。

 浪花酒造さんのある阪南市尾崎町はかつて海だったといわれ、5メールも掘ると貝塚の層になるそうです。和泉山脈の伏流水がこの貝殻層でミネラルを含みながらきれいにろ過され、中硬水の地下水になるそうです。創業以来250年一度も枯れた事の無い井戸水を100%使った酒蔵さんです。

 また、この井戸がとても特徴のある六角形。この六角錐は外圧に強く出来ていて、城や神社などのごく一部でしか使うことの許されない貴重なものだったそうです。この技術をもっていた岐阜の六角氏を戦国武将の織田信長が手厚く登用たそうです。(そういえば、安土城の天守閣は六角だったかな?)また、この地域は大阪では珍しく織田信長との縁も深いのです。 1577年に当時信長が高野山の宿場町と栄えた根来寺などで雑賀衆の占拠、また雑賀衆が本願寺派だったために雑賀攻めが行われたそうです。この雑賀攻めには信長自ら出陣し、浪花酒造さん付近のお寺にも信長遠征の際の逸話があるそうです。そのような時代を背景に、このような六角錐の井戸が後世の浪花酒造さんの井戸の形にも表れたのではないでしょうか、と案内をしてくださった蔵人の新田さんが説明してくださいました。

 酒蔵を実際に見学させて頂きながら、新田さんはとても親切に説明してくださいました。特に印象的だったのが、酒母を自主管理していることと、佐藤杜氏さんの素晴らしい実績。また、枯場と呼ばれる麹室と外気にさらす間に作られた部屋。温度の高い麹米を直接冷たい空気にさらして、麹米に湿気がつかないようにとの配慮からこの枯場があるそうです。

 案内して頂いた新田さんに浪花酒造さんが目指す酒造りをお聞きしたところー飲んで飲みあきないお酒。料理との相性・相乗効果で、もう一杯飲みたくなるお酒造りが目標だそうです。 また、お酒造りで大切にしていることについてー誠心誠意に造る事、正直にお酒に尽くす事、とお答え頂けました。

 060307_1628_1 一度大阪に戻って、簡単な打ち合わせ。その後、河内長野にある西條酒造さんを訪問させて頂きました。

 西條酒造さんの代名詞はなんと言っても天野酒ですよね。かの太閤秀吉も愛飲したというお酒で、室町中期から戦国時代にかけて「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ズ」と絶賛されたお酒だそうです。

 西條酒造さんは1718年から創醸され、当時の河内長野は堺方面と生駒方面からの高野街道が合流する宿場町としてとても栄えていたそうです。天野酒の源流は、天野山金剛寺の僧坊酒として600年前から2段仕込みの甕酒(画像のある甕を使用)になります。当時のお酒は、どぶろくのようなものがほとんどで、一日経つと酢になるような完成度のかなり低いお酒だったそうです。そんな中で、精米度90%・4日麹・加水の量が今の半分ほどで造られるお酒は、日にちが経っても酢になることなく、透明で甘みの当時としては画期的なものだったそうです。その僧坊酒も江戸時代で一旦途絶えるのですが、また西條酒造さん創醸によりその流れが復活し、昭和46年より金剛寺からの許可も得て「天野酒」が現代に再び復活したのです。

060307_1623  現在造られている天野酒は、もちろん当時のお酒と同じと言うわけではありません。当時の僧坊酒の作り方を再現したお酒を試飲させて頂きましたが、とても甘くて上等の紹興酒に角砂糖を混ぜたような感じでした。当時のお酒は水で割って飲まれていたこともありますが、私的には十二分に楽しめるお酒だと思います。それでは、現在造られているお酒はというと、やはり流行りの淡麗辛口ではなくて、やや甘みのある芳醇なタイプという当時の天野酒の流れに沿ったお酒となっています。

 蔵主の西條陽三さんがいろいろと談笑をしながらの酒蔵を見学。経費のかかる自家精米にこだわるのは、特Aの山田錦を扱うことが多いため。折角の良質のお米をしっかりと自分達で管理したいというこだわりなのです。また、蒸米の状態により麹米とかけ米と使い分けてますし、本醸造以上のお酒は、全て精米度数を60%以下にして、出来るだけ水を加えない原酒に近い状態で味わってもらいたいという心意気の表れだそうです。

 西條酒造さんの酒造りのこだわりについてー天野酒は広辞苑にも記載されるような歴史のあるお酒です。その流れをしっかり守っていきたい。甘み・旨みのあるお酒作り。(塩を舐めて、甘く感じることがありますよね。塩が甘いはずないので、それは感じた旨みを甘いという言葉を使って表現するんですよね。そういう意味で、天野酒も深い旨みを甘いと表現するのかもしれません。) 目指すお酒造りについてー造りの量は増やさない。大阪、特に南大阪、その中でも河内の人々に愛されるお酒でありたい。地酒、これぞ地酒。といえるようなお酒を造り続けたい。

 浪花酒造さん、西條酒造さんともに古い歴史を持ち、そのお酒作りの背景には当時の時代の流れを感じることができます。織田信長縁の浪花正宗と太閤秀吉縁の天野酒。それぞれの歴史背景を感じながらの飲み比べもなかなか趣深いではありませんか。

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