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沖縄は「同調圧力」が異常に強く異論は許されない「言論空間」にあると良く言われる。
圧倒的シェアーを誇る沖縄タイムス、琉球新報の2紙が極端な偏向記事でこの同調圧力を支え、 地元大学の教授陣は勿論教育界もこれに迎合して、ひたすら地元2紙に揉み手をするような意見しか新聞には掲載されない。
新聞が造る“民意”、そして島ぐるみの“県民感情”には何人も批判は許されない。
これに「おじー、おばーの言葉」や「命どぅ宝」が絡んでくると、もはや一切の「理」を拒絶する「情念」の世界に引きずりこまれてしまう。
今回の教科書検定問題における仲井真知事も、当初は不勉強を口実に集団自決と軍命令の関係について明言を避けていた。
それが、新聞の「同調圧力記事」が強くなってくるとその発言の軸足が変ってきた。
六月には「軍命はあったと思う」と発言が変りだしたが、県民抗議大会への参加に依然として消極的だった。
沖縄タイムスはすぐさま、社説で「知事の真意が計りかねる」と、知事に詰め寄った。知事は八月に入り、「大会が超党派であれば参加する」と態度を変えた。(世界日報)
知事主体の開催否定/検定撤回県民大会(沖縄タイムス)
副知事、参加は「検討」
仲里全輝副知事は七月三十一日、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる日本軍の関与を削除・修正した高校歴史教科書の検定意見の撤回を求める超党派の県民大会の開催について、「県知事が大衆運動の先頭となって主体的に開催することは、行政トップの立場上できない」との考えを示した。一方、県民大会への仲井真弘多知事の参加については、「集会があれば検討する」と答えた。
沖縄で地元新聞の論調に異論を唱えるのには勇気が要る。
左翼勢力が主催する「県民大会」に対して、当初マスコミの前で「正論」を吐いていた県知事でさえも「同調圧力」の前には脆くもその判断軸を狂わしてしまった。
かくいう筆者も過去のブログ・コメントで、論理で反論するならともかく、新聞論調に反対することを書いたというだけで感情的な罵詈雑言を受けたことは再三ある。
罵詈雑言ならまだしも、「沖縄人のくせに云々」の暴言にはほとほと始末に困ったものだ。
気のおけない友人同士だと異論を戦わして平気だが、これが他人と相席の居酒屋などで“民意”に反する意見を大声で論じるには他人の耳が憚れる。
「集団自決」で連続特集をしている世界日報は、この辺の沖縄の「同調圧力」について次のように書いている。
占領下でつくられた「日本軍罪悪史観」は、沖縄が復帰後も、地元メディア、教職員組合、自治労、革新政党などが構築していた“財産”なのだろう。それに異論を挟むことは、たとえ相手が知事であろうと容赦しない。これが「同調圧力」と呼ばれる、一種の言論弾圧である。異議を唱える者を、「非沖縄県民」視する。
産経新聞那覇支局長、小山裕士氏は個人のブログで、県民大会の「十一万人」という数字を、主催者発表という断りなしで報道する地元メディアに疑問を呈したところ、ネットへの書き込みやクレーム電話などが相次ぎ、緊張を覚えたという。小山氏の存在を煙たく思っている人々がいるのだ。
彼のブログは、一日五千人前後が訪れる人気だ。比較的軟派のブログだが、沖縄タイムスの報道姿勢をたしなめたことがある。七月七日付で、座間味村在住の上洲(かみす)幸子さん(84)が、「梅沢部隊長は村民を集め『米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい』と話した」と一面、社会面に大きく報じた記事に関連してのことだ。同記事は全くの誤報と、後に判明。沖縄タイムスは「隊長」ではなく「日本軍の中尉」であったとの訂正記事を、同月二十一日付朝刊と、同二十四日付朝刊の二度にわたって掲載した。(世界日報)
自分と異なる意見を許さない状況に似た例として、沖縄県人が半世紀以上前に遠いブラジルの地で犯した「勝ち組負け組み事件」のことを前に書いた。
エントリーしたのは、丁度9月29日の「県民大会」直前で参加者動員のためマスコミを中心に沖縄全体が狂乱状態にあった時期であった。
あれから約二ヶ月経過して、「11万人」集会も幻だったと分かった現在、再度「勝ち組負け組み」と「同調圧力」について考えて見たい。
以下再掲です。
「勝ち組、負け組」というと、「格差社会」を連想する人が多いだろう。
六本木の高層ビルに居を構え、一夜にして巨万の金を動かす若者集団がいる一方、その日のねぐらを求めてネットカフェを渡り歩く若者集団が存在するのも事実だ。
だが、ここで言う「勝ち組、負け組」は日本の格差社会の問題ではなく、遠く離れたブラジルでの60数年前の「事件」のことである。
ブラジルというと日本人は何を連想するか。
サッカー、サンバ、最近では格闘技でブラジル柔術があるが、日本人が明治期に初めて本格的移民をした国がブラジルだということを知る人は少ない。
そして終戦後ブラジルの日系社会で起きた忌まわしい「勝ち組、負け組」のことを知る日本人が果たして何人いるか。
1945年8月15日。
天皇陛下の玉音放送はブラジルにも短波放送で伝わったが、その放送をほとんどの日系人が聞くことは出来なかった。
また、例え聞いた人の中でも、それが敗戦を告げる放送だと信じるものも少なく,日本でそうだったように「解説」してくれる人もいなかった。
それどころか逆に不確実な風評が飛び交い「日本が勝った」というデマは一夜のうちに日系人社会を駆け巡っていった。
英語のわかる一部日本人の中で、アメリカの放送も聞き、日本の戦況を良く理解する人もいたが、大多数の日系移民は「不都合な真実」には頑なに聴く耳を閉ざした。
日本ではマッカーサーが日本占領開始した頃、ブラジルの各地の開拓地では、「日本が勝った、日本が勝った、」と戦勝記念日の祝賀会を開催するところまで現れた。
一方、状況判断の出切る良識派は「日本は負けたんだ」と主張し、日系社会は「勝ち組、負け組」に別れて不毛な争いを続け、ついには殺人事件にまで至ったという。
■「集団自決」と「勝ち組、負け組」の共通性■
沖縄の宜野湾市で9月9日(「県民大会直前)に行われた講演会「沖縄戦『集団自決』の真実を探る」で、講演に先立って亀川正東琉球大学名誉教授の挨拶があったがその冒頭でブラジル日系人社会の「勝ち組、負け組」の話をされた。
「集団自決」と「勝ち組、負け組」とは何の関係が有るのかと思ったが、さすが日本エッセイスト協会員でもある亀川教授、現在の沖縄社会のマスコミによる「情報閉塞状態」が、当時のブラジル日系社会の「情報閉塞状態」と酷似しているとを見事に指摘してくれた。
しかも、驚くことに「勝ち組」の中でもっとも熱狂的で「不都合な情報」に耳を塞ぎ、勝ち組にあらずば「非国民」と騒ぎ立て、殺人まで犯したのは日系人の中でも沖縄出身者社会に多かったという。
現在の沖縄の新聞を見ているとブラジルの「勝ち組、負け組」を例に出して現在の沖縄の情報閉塞状態を批判した亀川教授の慧眼に改めて感服した。
亀川教授は、沖縄県民の民度の低さを嘆き「沖縄県民として恥ずかしい」とも述べた。
■情報閉塞が起きる理由■
勝ち組の中でも沖縄出身者は特に熱狂度が激しく、敗戦を認める「負け組」幹部らに非国民のレッテル貼るとどまらず、
ついにはテロ行為の結果数十人を暗殺し、百人余りの負傷者を出したという。
この事件はブラジルの日本移民社会においては現在でもタブーであり、半世紀以上もの間、日系社会では封印されてきた。
今では二世、三世の間でさえ知るものは少ないという。
では何故このような情報の閉塞状態が起きたのか。
その原因は主に日本語による情報入手の困難性にあった。
60数年前の、しかも日本から遠く離れたブラジルの地で、ポルトガル語が分からず日本語しか話せない日本人移民は、新聞にも雑誌にも見放された状態で戦時中をすごした。
つまり当時の日本人移民は日本語は読み書きができても移民先では一種の文盲状態にあった。
それだけではない。
自分で判断することを避け、自分の主張(日本が勝った)に対立する意見(日本は負けた)には耳を閉ざした。
つまりブラジルの「勝ち組」は自ら情報の門戸を閉ざしていたのだ。
ブラジルでは戦後かなり経過しても「戦勝○年記念祝勝日」と称して戦勝を祝っていたというから、現在のブラジル日系社会がこの話を封印したくなる気も理解できる。
■自ら情報の門戸を閉ざす沖縄メディア■
連日沖縄の新聞を賑わす「証言」は全て一方のグループの主張に偏った証言で、反対意見の「証言」はまるでデマの如く扱い、まともに紙面に載ることは無い。
現在の沖縄の狂乱振りが「県民大会」の狂乱に留まらず、教科書の書き換えにまでエスカレートしたとしたら、沖縄県民の子孫は後の世に、これを「県民の恥」として歴史から抹消、封印せざるを得なくなるだろう。 ブラジル日系社会の忌まわしい「歴史」のように。
沖縄移民が60数年前にブラジルで犯した大愚を、情報社会と言われる21世紀で再び犯してはいけない。
【追記】
狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては常態である。
一人は個、二人は対、三人以上になると集団性を帯びる
集団は時に人を変えてしまう
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