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徳富蘆花は昭和史の執筆にとりかかった時に、その前の明治がわからんと昭和が書けない。明治を書く前にはさらにその前とさかのぼってしまい、ついには大日本史になったと聞きます。(読者のきんじょうさんのコメントより)
◇
東京の世田谷区が教育改革をして良い結果を生んだことを偶然ラジオで聞いた。
世田谷区教育委員会教育長・若井田正文氏は元々教育畑の出身ではなく根っからの商社マンだが、
その長い海外生活で子供たちをフランスの学校で教育した経験で日仏の学校教育に興味を持つようになったという。
その中で若井田正文氏は日本語を通じ哲学や伝統文化を学ぶ、つまり読み書きの重要性を説く。
「国家の品格」を書いた藤原正彦御茶ノ水大学教授も同じような意見を言っておられるが、読み書き(国語)については別に改めて触れるとしてここでは歴史について触れたい。
若井田教育長によると、フランスでは国語(フランス語)の次に重要視されるのは歴史そして哲学だという。
その歴史も日本の学校のように古代から年代順に現代に向かうのではなく、現代史から次第に時代を遡っていくという。
従って小学生でも日本の大人が驚くほど現代史に詳しいという。
冒頭引用したきんじょうさんの文にある徳富蘆花の歴史の勉強法に興味を持つ。
良書と推薦されたヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」(角川書店)の要約サイトを引用するので興味のある方は目を通してください。
以下要約の又要約の引用です。 全文はリンクでどうぞ。
*
国際派日本人養成講座
地球史探訪:アメリカの反省http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog219.html
日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らな
かったことではなく、よく守ったことなのだ。
■1.「パールハーバー」とは何だったのか■
パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛け
られた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本
を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式
記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済
戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。
[1,p87]
1948年、戦後わずか3年目にこのような主張をした本がアメ
リカ人女性によって書かれた。ヘレン・ミアーズの "Mirrorf
or Americans: JAPAN"である。この本の日本での翻訳出版は、
占領軍総司令部によって禁じられた。
「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むこ
とはできない。」と、マッカーサーはある書簡に書いた。その
言葉通り、「アメリカの反省」と題した翻訳が出たのはマッカ
ーサーが帰国し、占領の終わった1953(昭和28)年だった。
■2.日本人には隠しておくべき真実■
実は当のマッカーサー自身が次のような発言を1953(昭和2
6)年5月3日に合衆国上院の軍事外交合同委員会で行ってい
た。[2,p565]
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もない
のです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、
錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如して
いる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在し
ていたのです。
もしこれらの原料の供給が絶ち切られたら、1千万から
1千2百万の失業者が発生するだろう事を彼らは恐れてい
ました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、
大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。
マッカーサーのこの見解はミアーズと同じである。ミアーズ
の本を翻訳禁止としたのは、それが単なる日本弁護のプロパガ
ンダではなく、日本人には隠しておくべき真実を語っていると
判断したからであろう。
■3.私たちアメリカ人の責任■
ミアーズは1925年、二十歳代の時に日本や中国を訪れて、ア
ジアに深い興味を抱き、大戦中は大学で日本に関する講義や研
究をしていた。戦後、占領軍の労働局諮問委員会のメンバーと
して来日し、労働法の策定などに参加したが、帰国してからこ
の本を書き上げた。
アメリカでは日本擁護者として批判され、本は絶版となって
ごく限られた専門家以外には忘れ去られ、ミアーズ自身も学者
として世に出ることができなかった。
しかしミアーズが書きたかったのは、日本弁護論ではない。
著者自身の前書きには次のように述べられている。
私たちアメリカ人は、今のところ、地球上で最も強い国
民である。・・・だからこそ、私たちは世界が置かれてい
る深刻な無秩序状態の責任を免れることができないのであ
る。私たちが本当に平和を望んでいるなら、世界の戦争原
因を究明するにあたって、もっと現実的になる必要がある。
ミアーズの本を読んでいて心うたれるのは、「現実的」にな
るために史実を曇りない目で見据える客観性と、それを根底で
支える人類愛である。
■4.英米蘭に依存していた日本の軍事力■(略)
■5.日本に石油を売らなければ戦争になるだろう■(略)
■6.生き死ににかかわる問題■(略)
■7.日本の求めた生存圏■(略)
■8.日本は行くところまで行くしかなかった■(略)
■9.学んだことを実行すると、先生から激しく叱られる■
私たちはアメリカから多くのこと、とくに隣接地域の不
安定政権にどう対処するかを学んできた。そして、学んだ
ことを実行すると、先生から激しく叱られるのである。
新渡戸稲造のこの言葉をミアーズは引用する。次の例はその
典型だろう。
つい5年ほど前、米英両国の軍隊と砲艦が自国民の生命
財産を守るために中国の「盗賊」を攻撃したとき、両国の
世論は中国人を野蛮人と呼んで非難した。イギリスとアメ
リカの国民は忘れているようだが、日本人はよく覚えてい
る。ところが、日本が同じように中国の「盗賊」を攻撃す
ると、同じ国民が日本人を野蛮人と呼ぶのである。
[1,p295]
(略)
西洋列強はいま、日本を激しく糾弾している。日本が
「凶暴で貪欲」であったことは明白な事実だが、だからと
いって、西洋列強の責任は、彼らが思っているようには、
免れることはできない。日本の本当の罪は、西洋文明の教
えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。
[1,p386]
■10.アメリカの鏡:日本■
ミアーズがこの本を書いていた頃、終戦からまだ2年も経っ
ていないのに、米ソ冷戦が始まっていた。
私たちは現在、「ソ連を押し戻す」、そして「共産主
義の脅威と戦う」ことを政策として明らかにしている。
これは実に日本が、彼らの全近代をかけて実践してきた
政策だ。[1,p410]
今日私たちがいっているように、ソ連が「世界の脅
威」であり、(JOG注:日露戦争当時)日本を支援したか
つての米英両国の政策担当者が正しかったとすれば、ソ
連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国
における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保する
ために、満洲を緩衝国家にしようとした日本を支援しな
かった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に
無能だったことになる。
そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールま
で悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでな
く、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶ
りは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。
[1,p410]
日本はパワー・ポリティックスを西洋列強に学び、そしてそ
れをよく守ったがゆえに、悲惨な結果を迎えた。その日本の近
代史を鏡として、アメリカは自らのパワーポリティクスを見つ
め、反省せよ、というのが「アメリカの鏡:日本」という原題
の意味である。
しかし、その後もアメリカはソ連の脅威を封じ込めるために、
共産中国とまでも手を結び、中国が成長して脅威となると、今
度はこちらを封じ込めようとする。東京裁判史観によって真実
を覆い隠したまま、アメリカがそのパワーポリティクスを続け
る限り、「世界が置かれている深刻な無秩序状態」はまだまだ
続くだろう。
(文責:伊勢雅臣)
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