狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「パールハーバー」とは何だったのか

2007-11-06 20:26:53 | 歴史

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徳富蘆花は昭和史の執筆にとりかかった時に、その前の明治がわからんと昭和が書けない。明治を書く前にはさらにその前とさかのぼってしまい、ついには大日本史になったと聞きます。(読者のきんじょうさんのコメントより)

                      ◇

東京の世田谷区が教育改革をして良い結果を生んだことを偶然ラジオで聞いた。 

世田谷区教育委員会教育長・若井田正文氏は元々教育畑の出身ではなく根っからの商社マンだが、

その長い海外生活で子供たちをフランスの学校で教育した経験で日仏の学校教育に興味を持つようになったという。

その中で若井田正文氏は日本語を通じ哲学や伝統文化を学ぶ、つまり読み書きの重要性を説く。

「国家の品格」を書いた藤原正彦御茶ノ水大学教授も同じような意見を言っておられるが、読み書き(国語)については別に改めて触れるとしてここでは歴史について触れたい。

若井田教育長によると、フランスでは国語(フランス語)の次に重要視されるのは歴史そして哲学だという。

その歴史も日本の学校のように古代から年代順に現代に向かうのではなく、現代史から次第に時代を遡っていくという。

従って小学生でも日本の大人が驚くほど現代史に詳しいという。

冒頭引用したきんじょうさんの文にある徳富蘆花の歴史の勉強法に興味を持つ。  

良書と推薦されたヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」(角川書店)の要約サイトを引用するので興味のある方は目を通してください。

以下要約の又要約の引用です。 全文はリンクでどうぞ。

                      *

  国際派日本人養成講座
   地球史探訪:アメリカの反省http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog219.html
             日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らな
         かったことではなく、よく守ったことなのだ。

■1.「パールハーバー」とは何だったのか■

         パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛け
        られた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本
        を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式
        記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済
        戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。
        [1,p87]
       
     1948年、戦後わずか3年目にこのような主張をした本がアメ
    リカ人女性によって書かれた。ヘレン・ミアーズの "Mirrorf
    or Americans: JAPAN"である。この本の日本での翻訳出版は、
    占領軍総司令部によって禁じられた。
   
    「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むこ
    とはできない。」と、マッカーサーはある書簡に書いた。その
    言葉通り、「アメリカの反省」と題した翻訳が出たのはマッカ
    ーサーが帰国し、占領の終わった1953(昭和28)年だった。
   
■2.日本人には隠しておくべき真実■

     実は当のマッカーサー自身が次のような発言を1953(昭和2
    6)年5月3日に合衆国上院の軍事外交合同委員会で行ってい
    た。[2,p565]
   
         日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もない
        のです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、
        錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如して
        いる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在し
        ていたのです。
       
         もしこれらの原料の供給が絶ち切られたら、1千万から
        1千2百万の失業者が発生するだろう事を彼らは恐れてい
        ました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、
        大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。
       
     マッカーサーのこの見解はミアーズと同じである。ミアーズ
    の本を翻訳禁止としたのは、それが単なる日本弁護のプロパガ
    ンダではなく、日本人には隠しておくべき真実を語っていると
    判断したからであろう。
   
■3.私たちアメリカ人の責任■

     ミアーズは1925年、二十歳代の時に日本や中国を訪れて、ア
    ジアに深い興味を抱き、大戦中は大学で日本に関する講義や研
    究をしていた。戦後、占領軍の労働局諮問委員会のメンバーと
    して来日し、労働法の策定などに参加したが、帰国してからこ
    の本を書き上げた。
   
     アメリカでは日本擁護者として批判され、本は絶版となって
    ごく限られた専門家以外には忘れ去られ、ミアーズ自身も学者
    として世に出ることができなかった。

     しかしミアーズが書きたかったのは、日本弁護論ではない。
    著者自身の前書きには次のように述べられている。
   
         私たちアメリカ人は、今のところ、地球上で最も強い国
        民である。・・・だからこそ、私たちは世界が置かれてい
        る深刻な無秩序状態の責任を免れることができないのであ
        る。私たちが本当に平和を望んでいるなら、世界の戦争原
        因を究明するにあたって、もっと現実的になる必要がある。
       
     ミアーズの本を読んでいて心うたれるのは、「現実的」にな
    るために史実を曇りない目で見据える客観性と、それを根底で
    支える人類愛である。

■4.英米蘭に依存していた日本の軍事力■(略)

    ■5.日本に石油を売らなければ戦争になるだろう■(略)

        
■6.生き死ににかかわる問題■(略)

 ■7.日本の求めた生存圏■(略)

     
■8.日本は行くところまで行くしかなかった■(略)

   
■9.学んだことを実行すると、先生から激しく叱られる■

         私たちはアメリカから多くのこと、とくに隣接地域の不
        安定政権にどう対処するかを学んできた。そして、学んだ
        ことを実行すると、先生から激しく叱られるのである。
           
     新渡戸稲造のこの言葉をミアーズは引用する。次の例はその
    典型だろう。
   
         つい5年ほど前、米英両国の軍隊と砲艦が自国民の生命
        財産を守るために中国の「盗賊」を攻撃したとき、両国の
        世論は中国人を野蛮人と呼んで非難した。イギリスとアメ
        リカの国民は忘れているようだが、日本人はよく覚えてい
        る。ところが、日本が同じように中国の「盗賊」を攻撃す
        ると、同じ国民が日本人を野蛮人と呼ぶのである。
        [1,p295]

     (略)    
         西洋列強はいま、日本を激しく糾弾している。日本が
        「凶暴で貪欲」であったことは明白な事実だが、だからと
        いって、西洋列強の責任は、彼らが思っているようには、
        免れることはできない。日本の本当の罪は、西洋文明の教
        えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。
        [1,p386]

■10.アメリカの鏡:日本■

     ミアーズがこの本を書いていた頃、終戦からまだ2年も経っ
    ていないのに、米ソ冷戦が始まっていた。
   
          私たちは現在、「ソ連を押し戻す」、そして「共産主
         義の脅威と戦う」ことを政策として明らかにしている。
         これは実に日本が、彼らの全近代をかけて実践してきた
         政策だ。[1,p410]
        
          今日私たちがいっているように、ソ連が「世界の脅
         威」であり、(JOG注:日露戦争当時)日本を支援したか
         つての米英両国の政策担当者が正しかったとすれば、ソ
         連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国
         における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保する
         ために、満洲を緩衝国家にしようとした日本を支援しな
         かった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に
         無能だったことになる。
        
          そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールま
         で悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでな
         く、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶ
         りは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。
         [1,p410]
        
     日本はパワー・ポリティックスを西洋列強に学び、そしてそ
    れをよく守ったがゆえに、悲惨な結果を迎えた。その日本の近
    代史を鏡として、アメリカは自らのパワーポリティクスを見つ
    め、反省せよ、というのが「アメリカの鏡:日本」という原題
    の意味である。
   
     しかし、その後もアメリカはソ連の脅威を封じ込めるために、
    共産中国とまでも手を結び、中国が成長して脅威となると、今
    度はこちらを封じ込めようとする。東京裁判史観によって真実
    を覆い隠したまま、アメリカがそのパワーポリティクスを続け
    る限り、「世界が置かれている深刻な無秩序状態」はまだまだ
    続くだろう。
                                          (文責:伊勢雅臣)

抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21)
ヘレン ミアーズ,Helen Mears,伊藤 延司
角川書店

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アリバイ作りの県議団調査  結論は決まっていた!

2007-11-06 06:21:58 | ★集団自決
 
 
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■ウソ記事のロンダリング■

マネーロンダリングは国際詐欺集団の手口。

銀行を使えばいかがわしいお金もクリーンになる。

沖縄の新聞は、いかがわしい記事をロンダリングする方法の達人のようだ。  

有名人の口を介すればウソの数字も本物になるらしい。

沖縄タイムスは「教授」も登場 させて「11万人集会」のロンダリングに大童のようだが、

今後どんな有名人がロンダリングに協力するか楽しみだ。

三日後の9日にノーベル賞作家が法廷に立つ(正確には「引きずり出される」)日までは続くのだろう。

■順序が後先の県議団調査■

県議会で教科書の記述をを変えるような重要案件を決議する。

それなら、議決の前に調査・検証をしてその後に議決を計るのが順序だろう。

だが、「11万人」集会に至る端緒となった県議会の「教科書検定意見書撤回決議」の採択には、

奇妙な「アリバイ工作」が有った事を知る人は少ない。

事は歴史教科書の記述に関わる重要案件だ。

歴史の素人である県会議員が安易に多数決で決める問題ではない。

だが、県議会は検証をする前に決議採択をしてしまった。

そして、その後アリバイ作りの為の現地聞き取り調査をしたのである。

結局、このマスコミ向けの「現地調査」が狂乱騒動の発端となった。

「県議会採決」と議員団による現地聞き取り調査の順序が後先になった事実。

この後先実施の不自然さを報道するマスコミは一つもない。

議決採択の後の現地調査では「後の祭り」ではないのか。

当日記はこの県議文教厚生委員の聞き取り調査が、

デタラメナなアリバイ工作だった事を再三指摘してきた。

調査なんて今更どうでも良かったのだ。

だがマスコミの大々的報道で、デタラメな調査も信憑性を帯びてくるから、メディアの印象操作は恐ろしい。

県議団の調査となると、天下の文科大臣も態度が揺れ動かされるものらしい。

渡海紀三朗文部科学相は「検定後に新たな事実や証言が出ている。新事実が少し増えた状況で、どのように考えていくかだ」と語り、

教科書記述に「強制」の文言を復活させることもあり得るとの考えを示した。

渡海文科相が再修正の根拠として指摘した「新事実」というのは、

沖縄県議会議員団が行った、デタラメな聞き取り調査を実施した際の証言のことだろう。

そこで、座間味村の上洲幸子さん(84)が、旧日本軍隊長による直接命令があったと証言した。 

ところが、上洲証言を報道した沖縄タイムスは、二度、「隊長」ではなかったとの訂正記事を掲載している。 

だが、これが誤報だったことを伝える新聞はタイムス以外に一つも無かった。

沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

ちなみにこの沖縄タイムスの捏造記事はそのまま朝日新聞の社説に引用され全国を一人歩きし始める。(朝日の“捏造記事”タライ回し  沖縄タイムスが“捏造写真” 

                                              ◇

県議会文厚委 検定撤回へ現地調査

 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍強制などの記述が修正・削除された問題で、県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)は6日午前、渡嘉敷島で「自決」現場を視察したほか、「集団自決」の生存者らから聞き取り調査を始めた。午後には座間味島に渡り調査する。

(7/6 16:05)全文 >>

「集団自決」の生存者から当時の話を聞く県議会文教厚生委員会の委員ら=6日午前10時半ごろ、渡嘉敷村

上記写真で調査団を先頭で案内している当時14歳の金城武徳さん(75)の証言は新聞では肝心の部分は完全に封鎖殺された。

一方、当時僅か6歳の吉川さん(67)の証言は事細かに取り上げ「軍命令はあった」と結論付けている。

 

■デタラメだった聞き取り調査■

島の人によると、聞き取り調査は実に酷いものだったという。

金城さんが「軍の命令は無かった」と証言すると、

議員団のK女史(社民党)は、金城さんの発言を封じるように次のように決め付けたという。

私は、社会科の教師を30年近くやってきました。よってこの問題には造詣があります。」「戦争を美化しないで下さい。」

当時15歳で生き残ってきた証言者に対して、この「決め付け」発言がこの調査団の左翼的性格を物語っている。

証言者の発言を封じるなら何のための聞き取り調査だったのか。

そう、議会決議に合致する証言だけを聞けばよかったのだ。

「不都合な証言」を聞く耳など最初から持ち合わせてはいなかった。

社会科の教師をしていたら証言を聞かなくとも全てをお見通しだとは細木数子先生もきっとびっくりでしょう。

又調査団の団長で、後に「県民大会実行委員長」となる仲里県議会議長は、調査現場で驚くべき発言をしている。

あの「毒おにぎり」証言の仲里議長である。

みんなで既に決めたこと(採択したこと)だから、早く話をまとめましょう」

もう既に決まった結論のアリバイ造りの調査だったことがこの議長の一言で、語るに落ちてしまっている。

この調査団の左翼偏向的性格は今更説明を要しないが、この一連の県議団の動きがマスコミのセンセーショナルな報道と相まって、

その後県民を狂乱の渦に巻き込んでいく。

沖縄タイムスは恥知らずにも、

「証言を聞き終えた前島委員長は「検定意見削除は県民の総意だ。文科省にさらに強く訴えていく」という文で締めくくっている。

そう、タイムスは己が創作した“県民の総意”が重要であり、

重要証人の証言などどうでも良かったのだ。

沖縄タイムスは結局、聞き取り調査の証言は封殺して、自分が作ったシナリオ・「県民の総意」さえあれば、歴史の事実を捏造できると信じているのか。

デタラメな調査で「県民の総意」を捏造される県民もたまったものではない。

 

■平和学習の語り部が証言者■
  
沖縄タイムス;「集団自決」の現場視察 県議会文厚委【写真】

証言者・吉川嘉勝氏(68)は調査団に対し、

自決命令は、無かったかもしれないが、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」

と語った。

吉川氏は最近(4月19日)まで渡嘉敷村の教育委員長を勤めていた教員上がりの村の偉い人でもある。http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/vill_inf/so_6/so_6_01.htm

このように沖教組関連の「平和教育」でどっぷりツカッタ文教委員議員団の調査は、形だけのアリバイ作りのためだけの噴飯モノあった。

ちなみにこの吉川氏、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役をしていると言う。

そう、吉川さんは証言者である一方、「平和学習」の語り部でもあったのです。

いくら語り部でも、日本軍の残虐さは語って語っても「自決命令は、無かったかもしれないが、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」と語るのが精一杯だったのでしょう。

参考:「平和学習」
埼玉の中3生、修学旅行で「集団自決」地に 「平和」努力を決意 カメラ  (7/5 16:05)

 

この吉川氏が証言するのは今回が始めてではない。

今年の慰霊の日の朝日新聞の記事で証言している。

だが、「軍曹が命じた」と巧妙に作文された朝日記事でも

吉川氏は一言も「軍の命令」とは証言していない。

 

http://www.asahi.com/national/update/0623/SEB
200706230011html

62年前に見た集団自決の現場 「軍曹が命じた」
2007年06月23日15時30分

 沖縄戦の戦没者ら約24万人の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」。糸満市摩文仁(まぶに)に立ち並ぶ碑の前で23日朝、元中学校教諭の吉川嘉勝さん(68)は妻の英子さん(68)と一緒に静かに手を合わせた。礎には米軍の艦砲射撃で亡くなった父の名がある。

 62年前、吉川さんは「集団自決」の現場にいた。

 那覇市の西約30キロにある渡嘉敷島。周囲25キロの島に米軍が上陸したのは45年3月27日のことだ。住民らは土砂降りの雨の中、島北部の通称「北山」を目指した。吉川さんと家族もその中にいた。当時6歳だった。

 「集団自決」が起きたのは翌28日。たどり着いた山中で家族や親類ごとに円陣を組んで座った。村長の短い訓示の後、「天皇陛下万歳」の叫びとともに、あちこちで手投げ弾が爆発した。

 吉川さんの家族ら約10人が輪になった中でも、義兄らが手投げ弾を石に打ち付けた。だが、爆発しない。父は「火を燃やして、投げ入れろ」と指示した。

 母が叫んだ。「手投げ弾を捨てろ」。生きられるだけ生きるべきだと必死に訴えていた、と吉川さんは振り返る。家族はその場を逃れた。

 母が教えてくれた「命の重さ」を伝えるため、吉川さんは教師になった。校長を最後に教職を退き、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役を務める。「自分たちの歴史を知り、戦争のない社会をつくってほしい」と語り続ける。

 その島で、沖縄国際大名誉教授の安仁屋政昭さん(72)は88年、かつて村の兵事主任だった故富山真順さんから、ある証言を聞いている。

 富山さんは45年3月20日、戦隊からの命令で17歳未満の少年と役場職員を役場の庭に集めた。兵器係の軍曹が住民二十数人に手投げ弾を2個ずつ配り、「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのある時は残りの1発で自決せよ」と訓示した、という。

 沖縄ではいま、「集団自決」を巡る教科書検定で「日本軍による強制」が削除されたことに強い反発が起きている。安仁屋さんは言う。「富山さんの話は自決命令の存在を示す重要な証言だ」
 
朝日新聞は、既に「集団自決」の「軍命令論争」で敗北していることを承知している。

子分ともいえる沖縄タイムスが暴走するの止められず、当たり障りの無い記事でしか援護できない、・・・というより、既に敵前逃亡を決め込んでいる。(朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 

                     ◇

これまでも学術調査団が何度も現地調査を行っており、「軍命令はなかった」という多くの証言者がいたが、これらは地元マスコミに載ることはなかった。(例えば宮平さん→★文末に引用)

■【動画と“新聞証言”の違い】

いずれにせよ、マスコミは自分等に不都合な事実は報じない。(これは金城さんも言っている)

琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。

【動画・金城武徳さんの証言】http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o

 

連日紙面を飾るのは「多くの悲惨な証言がある」と言う極めて曖昧な記事のがオドロオドロしく報じられる。

確かに沖縄戦で悲惨な体験をした人は数多くいるだろう。

だが、「数多くの悲惨な証言」を必死で「軍命令で集団自決した」の結論にもっていこうと紙面づくりに追われているのが地元二紙だ。

最近では「命令の有無ではなく、強制性が問題だ」なんて言い変えだしているようが・・・。

そのうち「強制性の有無ではなく、軍隊がいたことが問題だ」なんて言い出すと思う。

まともな研究者、そして良識ある証言者達は皆「その事実」に気がついている。

 

 

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