沖縄タイムス 2007年11月20日(火) 朝刊 27面
沖縄戦研究者に意見打診/文科省、県内外2氏へ文書求める
文部科学省が高校の日本史教科書から、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する軍の強制を示す記述を削除させた教科書検定問題で、沖縄戦や琉球史の研究者らに意見提出を求めていることが十九日までに分かった。教科書会社からの訂正申請を受けて開かれる教科用図書検定調査審議会での参考意見にするとみられる。人選や経過が不透明なうえ、沖縄戦の専門家が審議会に直接加わらない形での意見聴取に「また歴史解釈を歪曲する審議が繰り返されるのでは」と懸念の声も聞かれる。
意見提出を求められているのは、沖縄戦を含めた日本の戦争責任を研究している林博史・関東学院大教授や、県内の琉球史研究者らとみられる。
文科省は今月中旬に意見提出を打診した。文書を提出するか、文科省職員が意見を聞いて審議会に伝える方法を示したという。今月最終週までに意見提出される予定で、訂正申請の是非を話し合う教科書審議会の開催はその後になる見込み。
二〇〇六年度の教科書検定では、林教授の著書「沖縄戦と民衆」(大月書店)も参考にされた。林教授は同書の中で、日本軍が住民に手榴弾を配って「自決」を指示していた実例などを示し、「(『集団自決』には)日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たした」と結論付けている。(略)
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>二〇〇六年度の教科書検定では、林教授の著書「沖縄戦と民衆」(大月書店)も参考にされた。
>林教授は同書の中で、日本軍が住民に手榴弾を配って「自決」を指示していた実例などを示し、「(『集団自決』には)日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たした」と結論付けている。
林教授といえば、沖縄タイムス、琉球新報にその文が掲載され、両紙の論説顧問ではないかと疑うほど沖縄では有名人である。
林教授は係争中の「集団自決裁判」では被告側の理論的中心人物で、彼の「研究」が被告側の証拠として提出されている。
林教授の「集団自決」における立場は、「従軍慰安婦」における吉見義明中央大学教授と同じ立ち位置にあるといったら分かりよいだろうか。
事実両者は共同研究もしている模様で次のような共著も出している。
吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』大月書店、1995年。
結局林教授がいくら研究をしても、「慶良間島の集団自決」では軍が命令を出したという客観的証拠、証言は出てこない。
そこで手りゅう弾が証拠だと言い、これが論破されると今度は米公文書館から米軍の住民に対する尋問調書を探し出してきて、これを地元紙が「軍命令の新証拠発見」と何度も報道された。
ところが英文のtold(話した)を命令した(commnaded)と故意に誤訳する等、とても学者の研究とは思われない「研究成果」であった。
この林教授の「誤訳作戦」は目くらまし作戦② 「テルかコマンドか」 「沖縄・集団自決訴訟」で詳しく述べてある。
そもそも当時の米軍は沖縄を永久占領するつもりであり、そのため住民に対する心理作戦は徹底しており「紙爆弾」と呼ばれた大量のビラにも住民と日本軍を分断させるような文面になっていた。
当時投下されたビラの一例を挙げよう。
住民に告ぐ
日本軍は食物でも飲水でも沢山持っています。 皆様が生活出来なくなったのは日本軍の為です。(略)
日本軍が町の中に留まって居た為に、皆様の家を壊され声明も危うくんりとうとう日本軍に頼らなければならないようになったのです。
日本軍に食べ物や飲み水をくれるようにお願いしなさい。
無いといっても聞き入れてはいけません。
(「太陽の帝国」にビラの写真があります。
http://empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/11/post_8be2.html)
食べ物も飲み水も枯渇している日本軍と知りながら、敢てこのようなビラを撒いて住民に「無いものねだり」をさせ、断られると日本軍への憎悪が募るという構図だ。
ちなみに、渡嘉敷島の生き残りの証言によると島民で餓死したもの居なかったが、日本軍にはが死者が数名出たと記されている。
とにかく米軍は豊富な食料を具備しており日本側は軍民とも食物に飢えていたというのが事実であった。
そんな状況で投降した住民に米軍が聞き取り調査をしたらどうなるか。
米軍の心理作戦は大成功だった。
詳しくは⇒「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」
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>意見提出を求められているのは、沖縄戦を含めた日本の戦争責任を研究している林博史・関東学院大教授や、県内の琉球史研究者らとみられる。
当初、林教授のような極左学者は教科書検定の「沖縄戦専門家」から外すべきだと書いた。⇒林教授の理屈は「画一的教条論」だが、むしろ意見を提出させて木っ端微塵に粉砕したほうが後顧の憂いを遺さないような気もする。
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以下は林教授の理屈は「画一的教条論」の抜書きです。
2007年10月12日(金)「しんぶん赤旗」
論戦ハイライト沖縄戦集団自決「軍の強制」削除
文科省が検証なしに20年来の記述覆す
検定意見こそ政治介入
(略)
調査官の意見の根拠とされた著書の作者の反論
『沖縄戦と民衆』の著者・林博史氏(関東学院大学教授)
・「著書では(『集団自決』は)日本軍の強制と誘導によるものであることを繰り返し強調している。これが検定の理由にされているとしたら心外だ」(「沖縄タイムス」6月17日付)
・「私は、著書の中で1つの章を『集団自決』にあて、その中で『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える』との認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは『軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと』を指摘している」(同10月6日付に掲載された意見から抜粋)
◇
何度でも言うが慶良間諸島の「集団自決は軍の命令であった」という証拠は何一つない。
係争中の裁判で被告側が唯一の証拠としているものが手りゅう弾である。
手りゅう弾は軍の管理下にあるはずだから、手りゅう弾で「自決」したのだから軍の命令と同じ、というのが「軍命あり派」の唯一つの論拠だ。
だが、この論は手りゅう弾を配ったとされる富山兵事主任の証言に基づいており、その証言自体が崩れ去っていることは再三述べた。
論拠を失った被告側は苦し紛れに反則技の「すり替え論」で対抗しようと悪あがきを始める。
まるで、チャンピオン内藤の技に手も足も出ないと分かった亀田大毅があせって見苦しい反則技を繰り出したように。
沖縄戦史の専門家と称する林博史関東学院大学教授の論法がまさにそれだ。
「軍の命令」という証拠がないと次のような反則技(すり替え論)を繰り出してくる。
>「『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える』
「戦争体制」?
「日本軍によって殺されたと言っても妥当である」?
これが沖縄戦史の専門家と称する学者の説とはにわかに信じがたい。
本人の思い込みと推論だけの主張を、詳しく論評をするまでもないだろう。
この「沖縄戦史の専門家」は「直接の軍の命令の有無は問題ではない」と主張している。
「11万人の集会」が揺らいで来ると、「人数の問題ではない」といった誰かさんと理屈は同じである。
おまけとして、林教授の「すり替え論」の例を沖縄タイムスで鑑賞してみよう。
◆沖縄タイムス<2005年7月4日 朝刊24面>
[「集団自決」を考える](20) (20)識者に聞く(3)
林博史関東学院大教授
命令有無こだわり不要
前提に「逆らえない体制」
―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。
「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」
―沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。
「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る」
「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」(略)
お見事と拍手を送りたいくらいだが、ついでにもう一つおまけを付けておこう。
現代史の専門家秦郁彦元千葉大教授も、林教授の理屈を「画一的教条論」として厳しく批判している。
『まずは沖縄タイムスだが、『鉄の暴風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、・・・(略)・・・なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。』
(中略)
『この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、、、、状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり。
盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
(「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所 第29~第32ページより引用)
>赤嶺 専門委員から事前の意見も寄せられなかった。今回の教科書検定は文科省の一職員が自分の考えで意見をつくって、学術的にも専門的にも、肝心の沖縄戦を体験した沖縄の県民の検証にたえられない意見だ。学問的検証もなされないで、文科省の役人の起案で、いつまでも残るようなことが許されるのか。
文部省の一職員と誇張して云うが、この「一職員」は文部省の一般事務職員ではない。
文部省教科書課の専門官はその名の通り「専門官」であり、歴史の素人ではない。
他の省でも専門職の役人が有名大学の教授に転出した例は枚挙に暇がないはずだ。
>沖縄戦の専門家がいない。(文科省の)調査官のほうがよく調べており、(審議会の)委員より知っている。説明を聞いて納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家がいれば結果はだいぶ違っただろう
サヨク偏向の「沖縄戦の専門家」がいれば、当然不毛なイデオロギー論争が続き結果はどうなったか分からない。
まぁ、この(文部省の)「一職員」の意見書作成資格の有無はさて置こう。
だが、「沖縄戦専門家審議会に不在」という理由で、林教授のような学者というより、むしろ政治活動家といった方が相応しい人物を沖縄戦の専門家として審議会に加える愚だけは避けねばならぬ。
サヨク学者を沖縄戦の専門家として、「審議会」に入れることに反対の方、 |
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