狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

渡海大臣 何をもって軍命? そんなの関係ない!

2007-11-23 10:33:13 | 教科書

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沖縄タイムス 2007年11月23日(金) 朝刊 2面  
  
渡海文科相 何をもって「軍命」?/「教科書検定」県民大会後に雑談
 【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、渡海紀三朗文部科学相は二十二日午後の閣議後会見で、沖縄の県民大会後に石破茂防衛相と意見交換した際、石破防衛相が「『軍命』とは通常は隊長が出したことをいうのかな」などと話していたことを明らかにした。渡海文科相が「軍命」の意義を問うたことに答えたという。
 渡海文科相は「学説がどうか分からないが、何をもって軍命というのか、と雑談した。自衛隊も軍隊といえば軍隊だから、どうなっているのかを聞いた。明快な回答を求めたわけではない」と説明した。

 また、県民大会後に所属する派閥の山崎拓会長(前副総裁)から電話があったことを明らかにし、「この問題を文科相として適正に処理してくれということだった。『ちゃんとやれ』という内容だった」と話し、検定意見見直しへの働き掛けがあったことを認めた。

 山崎前副総裁は同問題に関し、大会前日の県内での講演会で「検定に過誤があった場合、文科相は(省令で)見直しを勧告できる。文科相と話し合う」などと述べていた。

                    ◇   

当日記で再三繰り返し述べてきたことだが、

歴史教科書に記述するような学術的検証を要する事項に政治家が介入すべきではない。

当然、「教科書記述」は政治家の集団である議会が決議することにも馴染まない問題である。

1人で考えればごく当たり前のことだが、これが集団となると当たり前の判断が出来なくなる。

担当の文科大臣といえども政治家の1人ゆえ、軽々に教科書記述に口を挟むべきでないのは当然のことだが、

渡海文科大臣の発言は「11万人」集会以来、自分の対場を忘れ揺れ動いているのが気にかかる。

>山崎前副総裁は同問題に関し、大会前日の県内での講演会で「検定に過誤があった場合、文科相は(省令で)見直しを勧告できる。文科相と話し合う」などと述べていた。                  
 
>県民大会後に所属する派閥の山崎拓会長(前副総裁)から電話があったことを明らかにし、「この問題を文科相として適正に処理してくれということだった。『ちゃんとやれ』という内容だった」と話し、検定意見見直しへの働き掛けがあったことを認めた。

昔のように派閥の領袖が大臣に影響力を及ぼすとは思わないが、

渡海文大臣の態度がグラグラしていたら、派閥の親分の「ちゃんとやれ」という一言も

命令、いや、強制、・・・少なくとも誘導には聞こえるだろう。

だが、日本は法治国家である。 大臣の態度が揺れ動いても文科省役人は法令に基づいて粛々と、そして「ちゃんとやる」ものと思っていた。

その証拠として、以前に次のように書いていた。

検定問題、訂正勧告を要求 自民・山崎氏が文科相に  (9/29 9:41 

山拓の妄言には、文部省が一蹴してはいるようだ。

「今回の場合なじまない」 文科省教科書課 
文部科学相の訂正勧告に関する山崎拓氏の発言について文科省教科書課は28日「発言については承知していない」とした上で、「訂正勧告の制度は市町村合併など客観的に見て明らかな事情の変化などがあったにもかかわらず、教科書発行者が記述訂正に応じない場合に行われるものだ。 今回の場合、制度上なじまない」と説明している。 同制度は1989年に創設。 「事情の変更」が発生した場合、通常は教科書出版社が自主的に訂正申請を行う。 同制度に基づく大臣勧告は一度も行われていない。(琉球新報 2007年9月29日ーウェブサイトには載っていない)
 
つまり山拓や渡海大臣が文科省役人にいくら「ちゃんとやれ」といっても、彼らは法律に基づく制度の下に「ちゃんとやる」と信じていたのだが、・・・。
 
昨日のエントリで述べた「沖縄条項」が昭和57年の時点で「近隣諸国条項」の運用内規として定められていたとしたら問題は大きく異なってくる。
 
「11万人」集会による「県民の意思に配慮」して、法律(運用内規)に従って、粛々とそして「ちゃんと」(軍命復活記述)やることも考えられる。
 
文部官僚にとって文科大臣なんてくるくる変る置物のような存在であり、例え「内規」といえども法は法で、内規に従うことを優先順位にすると考えられる。

琉球新報の電話インタビューに答えて山拓は、

「検定に関する省令を点検すると、文科相は検定で過誤が認められることがあった場合には、教科書検定の見直し申請を勧告することができる 」と述べている。

前記教科書課の言う通りで、今回は過誤では無いから「今回は制度上馴染まない」。

>文科省の教科用図書検定規則によると、文科相には発行者に対し訂正の申請を勧告する権限が与えられている。

>渡海文科相は自民党山崎派から入閣しており、派閥会長が見直し勧告に言及したことで、検定意見撤回に向け大きな影響を与える可能性がある。(琉球新報9月29日)

新報記事では山拓⇒文科大臣のプレッシャーに期待するような内容だが、冒頭に述べたようにこれこそ絵に書いたような「政治介入」であり、これを期待するような琉球新報は既に新聞の誇りを放棄している。

だが、渡海文科相が今頃になって「何をもって『軍命?』」なんてトボケたことを言ったが問題ではない。

「そんなの関係ない!」

当面の問題は「政治介入」ではなく、介入の口実を与える「沖縄条項」(内規)が既に存在することが、教科書の危機に大いに関係ある。

 

【追記】8;24

林教授の「意見聴取反対」に関しては焦点がぼけるので、急遽独立した別の記事でエントリしました。

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コメント (2)

歴史認識の共有必要? 左翼新聞との共有は無理でしょう!

2007-11-23 08:35:06 | 教科書

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歴史認識の共有必要 教科書問題でシンポジウム カメラ

【東京】教科書問題や沖縄戦などを考えるシンポジウム(主催・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科)が21日夕、早稲田大学で開かれ、文部科学省の教科用図書検定調査審議会・日本史小委員会の波多野澄雄筑波大教授ら3人が講演した。波多野教授は「集団自決」検定問題について「多くの国民が一致して支持できるパブリックメモリー(公的記憶)が形成されていないことに根本的原因がある。戦争責任や賠償が決着しないでずるずると来ていることが、現在の問題につながっている」と述べ、沖縄戦をめぐる歴史認識を国民の間で共有できていないことを指摘した。
 我部政男山梨学院大教授は「教科書問題を国内で画一的に理解するのが困難なのは、共通の体験をしていないことに由来する」と指摘。軍命の有無をめぐる議論について「問題を矮小(わいしょう)化している。当時の軍官民一体化の方針を考えれば、軍命という議論はなくなる。住民虐殺や集団自決は(軍官民一体化)体制全体の最後の帰結として行われた」と述べた。
 早稲田大非常勤講師の鄭根珠(ジョンクンジュ)氏は、2001年の第3次教科書問題での日韓関係について講演した。司会は後藤乾一同大アジア太平洋研究センター教授。

 

(琉球新報 11/22 9:50)

                      ◇

昨日に続き「沖縄条項」に関連するので、昨日のエントリを概略おさらいするとこうなる。

①昭和57年(1982年)、「朝日の誤報「侵略・進出騒動」で「近隣諸国条項」設定。

②同じ年、中国、韓国の抗議のドサクサ紛れの「沖縄条項」設定。(「近隣諸国条項」の運用内規として)

③この「沖縄条項」設定以降、教科書記述に大きな変化が見られるようになる。

                   *

歴史教科書研究家・上杉千年氏の研究によると昭和57年の「沖縄条項」以降、教科書記述は次のように変っていく。

それまでの小中高の歴史教科書には、沖縄戦に関して「県民殺害」や「集団自決強要」の記述はまったくなかったのだが、この心検定方針によって昭和59年度(84年)以降の中高教科書から一斉に記述が始まった。 

昭和62年度(87年)使用の中高歴史教科書の中で「県民殺害」と「集団自決強要」の双方かいずれかを記述していたものは

「高校日本史」全18冊中のうち11冊、

「高校世界史」では全全18冊中3冊、

「中学歴史的分野教科書」7冊中、4冊あった。
(歴史教科書研究家・上杉千年氏「集団自決“強要”問題」の基礎知識、「わしズム」掲載)

今回(3月)の「教科書検定意見」は上記昭和57年以降、「沖縄戦の実態について誤解を与える表現」に抵触する記述を文科省が野放しにしていたのを、57年以前の本来の教科書記述に戻したに過ぎない。

                                           * 

冒頭引用記事の二人の大学教授の発言に論評してみよう。

>波多野教授は「集団自決」検定問題について「多くの国民が一致して支持できるパブリックメモリー(公的記憶)が形成されていないことに根本的原因がある。

>戦争責任や賠償が決着しないでずるずると来ていることが、現在の問題につながっている」と述べ、沖縄戦をめぐる歴史認識を国民の間で共有できていないことを指摘した。

いくら日本の国土が狭小だといっても日本各地にはそれぞれの戦争体験がある。

東京には東京の、広島には広島の、長崎には長崎の戦争体験があり、夫々の記憶がある。

いや、日本人が体験した戦争の記憶は国内だけに留まらず、サイパン等の南方にもあれば、満州等の大陸にもある。

それを、「集団自決」検定問題について「多くの国民が一致して支持できるパブリックメモリー(公的記憶)が形成されていないことに根本的原因がある。」とはどういう意味なのか。

日本国民が金太郎飴のように同じ記憶を持てというのならそれは無理というもの。

我部教授の意見は更にエスカレートする。

「教科書問題を国内で画一的に理解するのが困難なのは、共通の体験をしていないことに由来する」という意見。

これは、無いものねだりというもの。

「共通の体験」なんて、・・・沖縄でさえ本島と慶良間島では戦争体験が違ういうのに沖縄出身の我部教授、一体何を言いたいのか理解に苦しむ。

>軍命の有無をめぐる議論について「問題を矮小(わいしょう)化している。当時の軍官民一体化の方針を考えれば、軍命という議論はなくなる。住民虐殺や集団自決は(軍官民一体化)体制全体の最後の帰結として行われた」

典型的な左翼学者の意見。

軍命の有無が唯一最重要な論点であり、矮小化という言葉で論点をずらすのは左翼学者の常套手段だ。

当初、軍はかなりの数の民間人を九州各地や台湾に疎開させていた。

対馬丸の悲劇も、こういった軍の疎開政策に対して、米軍が民間の輸送船と知りながら攻撃した結果である。

那覇市に住む元保育園経営者吉武進氏(90歳)は中国戦線体験した元軍人であるが国の「疎開政策」に関して次のように語っている。

日本と日本軍は沖縄の人々を守らなかった」と非難するメディアに対して、吉武氏は「どの国で戦争になるから疎開しなさいという国があるでしょうか。それは国民のことを心配される天皇陛下の大御心が末端まで浸透していた証拠ですよ。日本を悪く言う人に言いたい。日本人の心を取り戻してもらいたい、と>(「ダイジェスト版世界日報」)

 

さて、波多野教授は教科書の審議委員をしているらしいが、

沖縄タイムス記事では次のような意見を述べている。

教科書検定問題「来月初旬までに結論」/波多野審議委員が見解
審議の状況では「なかなか難しい対応を迫られている」とし、各社が申請した記述通りに審議会で承認することは困難との認識を示唆した。>

 <教科書会社が検定結果に不服がある場合「意見申立書」で異議を唱えることができるが、今回の検定では「すべての会社が(検定)意見に従って(修正表を)書き、軍の存在や関与が一斉になくなり、びっくりした」と述べた。>(タイムス)

「修正後に軍の存在や関与が一斉になくなり、びっくりした」と言うが読む人の方がびっくりしてしまう。

このようなエライ先生のいい加減な感想で沖縄県民がミスリードされるのだろう。

それとも、これって沖縄タイムスの誤報?

<その上で「文科省だけでなく、執筆者や出版社にも一端の責任がある。裏付けがあるなら自信を持って書くべきだ」と強調した。>(同)

そう、教科書会社も裏付けがあるなら、自信を持って書くべきだ。

裏づけの無い証拠・証言が跋扈するから問題なのだ。

<「集団自決」への日本軍の強制が削除された検定後の記述については「軍(の関与)を否定しているわけでないと解釈できなくもなく、検定意見の範囲と言える」とし、検定意見に即した記述だと説明した。>(タイムス)

ん? この先生、何を言っているのか良く分からない。

波多野教授がおかしいのか、やはり沖縄タイムスの記事が・・・?

この先生、先月琉球新報のインタビューに答えている。

ウェブサイトには載っていない一問一答の最後の部分で「県民大会」の感想を問われ、

「驚いた。あらためてこの問題の重要性を知った。そういう意味ではもう少し慎重にすべきであった」

とすっかり沖縄メディアの術中に陥ってしまい、「県民感情」に配慮した意見に終始している。

 

文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

 【東京】文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除・修正された問題で、教科書出版社の申請本の合否や検定意見を決定する「教科用図書検定調査審議会」の審議に、文科省の教科書調査官が具体的に関与していることが10日、分かった。琉球新報社の取材に対し、同審議会の日本史小委員会委員の波多野澄雄筑波大教授が明らかにした。同教授は「集団自決」検定での教科書調査官の検定意見についても「違和感はあった」と指摘した。政府は審議会を「中立公平、第3者機関」と位置付けているが、検定意見の原案を作成する調査官が、審議過程にまで介入している実態が浮かび上がった。
 検定過程では、審議会の下部組織に当たる小委員会が実質審議する。2008年度から使用される教科書について、日本史小委員会は06年10月、11月の2回、都内のビルで会合を開いた。文科省側は調査官4人を含めて10人程度、大学教授や高校教師ら専門家側は10人程度が出席した。
 会合では、調査官が自身が作成した検定意見の原案となる「調査意見書」を読み上げる。審議内容について波多野教授は「調査官はもちろん議論に入ってくる。いろいろなことを意見交換する。全く委員だけで話すことはない」と話し、調査官を交えて議論すると説明。審議会の位置付けについては「文科省から独立した(第3者的)機関ではない」と明言した。
 ただ、
沖縄戦の「集団自決」について「議論はなかった」としている。
 波多野教授は審議会の在り方について「
沖縄戦の専門家がいなかったのは事実だ。専門家に意見を聞く機会があっていい。透明性という点でも不十分だ」と問題点を指摘した。
 「集団自決」に関する記述に初めて検定意見が付いたことに「学術的に、沖縄戦の集団自決をめぐる大きな変化があるかと言えばそうではない。わざわざ意見を付けることにやや違和感があった」と述べた。
 伊吹文明前文科相は今年4月に「公正な第3者の審議会の意見」と発言。渡海紀三朗文科相も10日の衆院予算委員会で「審議会は専門的、学術的立場から中立公平に審議するものだ」と答弁している。だが、調査官の具体的な議論への関与を許す審議会の公正・中立性は確保されていないと批判が高まりそうだ。
(与那嶺路代)

                       ◇

「教科書検定」一問一答
波多野澄雄審議会委員に聞く

教科用図書検定調査審議会日本史小委員会委員、波多野澄雄教授との一問一答は次の通り。

-審議の内容は。

「教科書調査官が中心になって説明する。こういう意見を付けたいが、どうでしょうかと。やりとりがある場合もあるし、ない場合もある。今回のケース(集団自決)で議論はなかった。調査官が、こういう意見を付けたい、理由は本が出たとか裁判があるとか説明した」

-「集団自決」に意見が付いたことをどう思うか。

「集団自決をめぐる学術的な大きな変化があったとは思えない。それなのに2005年まで認めてきたことを変更する。わざわざ意見を付けることにやや違和感はあった」

-なぜ議論しなかったのか。

「沖縄戦の専門家がいない。調査官の方がよく調べており、委員より知っている。説明を聞いて、納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家が入っていれば(結果は)だいぶ違っただろう」

-何が問題だと思うか。

「検定意見は妥当だったと思う。ただ、調査官が教科書会社に十分に説明したかどうか疑問だ。集団自決は日本軍の存在を抜きにしては語れない。それをどう書くかだ。教科書会社は文科省の顔色をうかがうだけじゃなく自信を持って書くべきだ」

-今の審議会の在り方をどう思うか。

「教科書が文科省の下で作られている限り、審議会を全くの第三者機関にすることは難しい。検定そのものを文科省と切り離してしまうことはできない」

-調査官が議論に入ることはあるのか。

「もちろんある。いろんなことを意見交換する。全く委員だけで話すことはない。調査官も専門家だとみなしている」

-委員会に調査官が入ると、全く独立した第三者機関ではないのでは。

「そうだ。正しい意味では独立してはいない。文科省の役人が直接委員会に入るのは望ましくない」

-現行制度も問題点は。

「委員以外の専門家に意見を聞く機会があってもいい。公開性や透明性という点でも不十分だ。最終的な検定意見になってから(世間に)公表される。例えば部会が終わった段階で、こういう意見でこういう修正をすると公表してもいい」

-県民大会の印象は。

「驚いた。あらためてこの問題の重要性を知った。そういう意味ではもう少し慎重にすべきであった」

(琉球新報2007年10月11日)

                        ◇

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続・狼魔人流沖縄語講座  年寄は尊敬の的!

2007-11-23 06:26:08 | 沖縄語講座

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沖縄語は候文

尊敬の為の接頭語と接尾

「候文」という言葉があるが、現代ではほぼ死語になりかけており、筆者自身候文を書いたことも受け取った事も無い。

「候文」とは、辞書の引用によると

≪文末に丁寧語の「候」を使う文語体の文章。書簡や公用文に用いられた。鎌倉時代に始まり、江戸時代にその書き方が定まった。≫ということになる。

ところが我が沖縄語では「候文」が鎌倉や江戸の時を超えて、現代でもごく普通に使われている。

「いらっしゃい」や「歓迎」を意味する言葉に「メンソーレー」という沖縄方言は沖縄ブームに乗って今ではかなり認知度が高まっている。

・・が、「メンソーレー、メンソレータム」と言ったギャグに使われるように、日本語とは異質な方言として捉えられている。

この「メンソーレ」こそ、鎌倉時代に始まり江戸時代に完成した、古雅の趣溢れる「候文」そのものであり、

「メンソレータム」などの「イフー(異風)な」単語とは出自が全く異なるのだ。(イフーナとは沖縄方言で「奇妙な」の意)

その前に先ほどから「老人ハラスメント」の「たんめー、はーめー」はどうなった、と言う声が気になってしょうがない。

けして忘れ去ったわけではないので暫くの我慢でお付き合いを願いたい。

相手に尊敬を表す「接尾語・接頭語」に次のようなものがある。

前、御、主、・・・これらを全部まとめて使いオマケに「様」までサービスしたのが、午前さま、・・じゃない、御前様。

午前様の響きが懐かしいが、最近は専ら早寝早起きの「お前さん」になってしまった。

尊敬語も使い慣れると、御前様→おまえさん、と変化してグッと庶民的にもなる。 

で、メンソーレは?

ハイ、・・・「前に候」→前にそうらえ→めーにそおらえ→めーにそーれー→メンソーレー

・・と、目出度く「候文」メンソーレの誕生となる。

■「老人ハラスメント語・その1・・・・ウスメー(薄命?)」、おじいさん(平民)」

主(しゅ)という尊敬語の前後に御(お)と前(まえ)を付けて「御主前」これがおじいさんの尊敬語。

御主前が訛って行く過程: おしゅまえ→おすめー(→O→U)→うすめー

「うすめー」は決して「薄命」では無く老人を尊敬する「御主前」の沖縄訛りであった。

■「老人ハラスメント語・その2・・・・タンメー(短命?)」、おじいさん(士族)」

士族のおじいさんはおだてて「殿」と祭り上げよう。

そして尊敬の接尾語「前」を付けると「殿前」。

例によってこれが訛って行く過程は簡単だ。

殿前: とのまえ→とのめー→とんめー→たんめー

やはり「たんめー」も「短命」では無く「殿前」と言う尊敬語で一件落着。

■「老人ハラスメント語・その3
①「はーめー」→おばあさん、祖母(平民の) 
②「うんめー」→おばあさん、祖母(士族の)
③「はんしー」→おばあさん。那覇で士族の」→おばあさん、那覇で士族の祖母・老婆

残りは女性に対する「ハラスメント」なので特に慎重を期すべきだが、沖縄ではテーゲー(大概)・大雑把を尊ぶのでマトメテ説明しよう。

女性の場合は全て「」というキーワードが入る。

各々の「日本語由来」の言葉を書きおくので今までの類推で理解できるであろう。

「はーめー」→「母前」(ははまえ)→「はーめー」
うんめー」→「母前」(おもまえ)ここでの母は母屋(おもや)の母で「おも」→「うも」→「んも」→「んめー」→「うんめー」
「はんしー」→「母主」(ははぬし)→「ははんし」→「はんしー」

かくして老人苛めの沖縄語と思われた年寄りを表す沖縄方言は、男性は「主」や「殿」と祭り上げ、女性は「母」と尊敬するいかにも沖縄らしい老人思いの言葉であることがお判り頂けただろうか。

その昔(明治時代?)八重山に「風のウスメー(御主前)」と異名を持つ測候所の学者がいて島の人達に親しまれていた。

これをテレビドラマ化して高橋幸治主演で「風の御主前」と出して放映されたことがある。

最後に沖縄方言の事を方言では「島言葉・シマ・クトゥバ」とも「沖縄言葉・ウチナー・クトゥバ」とも言う。  

シマクトゥバはもはや説明不要だろうが、ウチナー・クトゥバは少し説明を要する。

おきなわ→OKINAWA→UCHINAWA→UCHINAA→「うちなー」

OがUに変わるの判るとしてK→CHと変わるのが子音の法則。

沖縄料理で「いなむどぅち」と言う豚肉を白味噌仕立ての豚汁のような料理がある。

この料理は元々猪の肉だったの豚肉で代用されるようになった。

豚肉は猪肉ではない。 そこで「猪もどき」となる。

「猪もどき」INAMODOKI→INAMUDUCHI→いなむどぅち

空手などの「手さばき」は勿論「ティサバチ」と言う。 ここまで来たらもう説明は不要だろう。

もう一つオマケに子音の法則: R→消音

例: 森→MORI→MU×I→「むい」は森の立派な方言

さー、貴方も今日から片言なら沖縄語がしゃべれる筈。

こうして見ると音声として耳に聞こえる沖縄語は県外の人達にとってはイフーナムン(異風な物→方言で奇妙な物)に思えても、ルーツを辿れば日本語の優雅な古語にたどり着く事が判る。

これを契機に沖縄語の世界へ「前に候」、・・・じゃない、「メンソーレー」。

狼魔人流解説でも納得できると思う方

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【追記】

「メンソーレー」は「参り候」から来たという説がある一方、候文から来たのではないという説もある。

これについては別稿で触れて見たい。


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