MMTの弱点?、「財政民主主義」、財政赤字容認の「現代貨幣理論」
現代貨幣論(MMT)を巡り、”主流派経済学者”と“異端”とされるMMT派の間で、熾烈な論戦が展開されている。
特に人気ブログランキングで一位を続ける経済評論家三橋貴明氏のブログが財務省に宣戦布告して以来、これまで経済論議には無縁であった当日記にまで飛び火する賑わいぶりである。
令和の10連休を利用して筆者も遅ればせながら、三橋氏のブログで勉強させてもらった。
念のため評論家中野剛志氏の『奇跡の経済教室』も読ませていただいた。
目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】
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同書は、「これ以上易しく説明のしようがない」と自称する通り初心者にも分り易く丁寧に解説してあり、宣伝通り「目からウロコ」の感を随所で味合わせていただいた。
特に、2001年1月から2006年9月まで、安倍政権の経済諮会議の議員を務め安倍政権の経済政策に大きな影響を及ぼした経済学者吉田洋氏(※)や日銀総裁黒田氏、岩田副総裁ら”正統派”経済学者に対する舌鋒鋭い批判の嵐は、日本経済を立て直そうと挑戦する中野剛志氏の気概が溢れ読んでいて心地よい。
同書のエキスは最終章で「経済学者の無知」と題して”正統派”経済学者を断罪した後、「本書のまとめ」で集約されている。
本書は、経済の素人にも最適の「経済政策入門書」であるが、むしろ党派を問わず現役の国会議員に読んでほしい本である。
6月1日 追記(※)
MMTの旗振りをしている経済評論家三橋貴明氏は「増税延期不要論」を主張する吉田洋氏のことを「似非経済学者・財政破綻詐欺師」と罵声を浴びせている。
『大地震にも備え消費増税を、「実感なき景気後退」なら延期不要ー吉川氏
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そこで中野剛志氏のMMTを下記に紹介するが、長いので二部に分割して紹介する。
2019.4.26
財政赤字容認の「現代貨幣理論」を“主流派”がムキになって叩く理由
昨今、「現代貨幣理論(MMT、Modern Monetary Theory)」なる経済理論が、米国、欧州そして日本でも話題となり、大論争を巻き起こしている。
今なぜ、MMTなのか。
景気減速感が強まる一方、金融政策が手詰まりな状況で、「財政政策で活路を」と考える論者や、格差是正やグリーン・ニューディールなどを訴えて財政拡張政策を主張するいわゆるリベラル政治家らが、その理論的な根拠としていることがある。
だが、このMMTに対して、主要な経済学者や政策当局の責任者たちは、ほぼ全員、否定的な見解を示している。日本でも、MMTに関する肯定的な論調はごくわずかだ。それには理由がある。
「異端の学説」なのか
MMTをめぐり大論争
MMTが注目を集めているのは、その支持者が「財政赤字を心配するな」という主張をするからだとされている。
より正確に言うと、「(米英日のように)通貨発行権を持つ国は、いくらでも自国通貨を発行できるのだから、自国通貨建てで国債を発行する限り、財政破綻はしない」というのである。
普通であれば、MMTのような「異端の経済学説」が、真面目に取り上げられるなどということは考えられない。無視あるいは一蹴されて終わりだろう。
ところが、極めて面白いことに、MMTは、無視されないどころか、経済学者のみならず、政策当局、政治家、投資家そして一般世論までも巻き込んで、大騒ぎを引き起こしたのである。
暴露された
主流派の「不都合な事実」
その理由は、MMTが、主流派経済学者や政策当局が無視し得ない「不都合な事実」を暴露したからである。
もう一度言おう。MMTが突きつけたのは、「理論」や「イデオロギー」ではない。単なる「事実」である。
例えば、MMTの支持者が主張する「自国通貨建て国債は、デフォルト(返済不履行)にはなり得ない」というのは、まぎれもない「事実」である。
通貨を発行できる政府が、その自国通貨を返せなくなることなど、論理的にあり得ないのだ。
実際、「自国通貨建て国債を発行する政府が、返済の意思があるのに財政破綻した」などという例は、存在しない。財政破綻の例は、いずれも自国通貨建てではない国債に関するものだ。
実は、MMT批判者たちもこの「事実」を否定してはいない。その代わりに、彼らは、次のいずれかの批判を行っている。
批判(1)「財政規律が緩むと、財政赤字が野放図に拡大し、インフレを高進させてしまう」
批判(2)「財政赤字の拡大は、いずれ民間貯蓄の不足を招き、金利を高騰させる」
MMTに対する批判は、ほぼ、この2つに収斂している。
では、それぞれについて、その批判の妥当性を検討してみよう。この検討を通じてMMTが指摘した「不都合な事実」とは何かが明らかになるだろう。
財政赤字拡大で
「インフレは止まらなくなる」は本当か?
まず「財政赤字の拡大は、インフレを招く」という批判(1)を考えてみよう。
実は、MMT批判者たちが指摘するように、財政赤字の拡大はインフレを招く可能性はある。これはMMT自身も認める「事実」だ。
政府が、公共投資を増やすなどして財政支出を拡大すると、総需要が増大する。総需要が増大し続け、総供給が追い付かなくなれば、当然の結果として、インフレになる。
それでもなお、野放図に財政赤字を拡大し続けたら、インフレは確かに高進するだろう。
ということは、MMT批判者たちもまた、「インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」「デフレ脱却には、財政赤字の拡大が有効」と認めているということである。
言い換えれば、仮に「財政規律」なるものが必要だとすれば、それは「政府債務の規模の限度」や「プライマリーバランス」ではなく、「インフレ率」だということだ。
すなわち、インフレ率が目標とする上限を超えそうになったら、財政赤字を削減すればいいのである。
そして、米国も欧州も低インフレが続いており、日本にいたっては20年もの間、デフレである。
そうであるなら、財政赤字はなお拡大できる。それどころか、デフレの日本は、財政赤字がむしろ少なすぎるということになる。
この点は、MMTの批判者でも同意できるはずだ。
実際、MMTを批判する主流派経済学者の中でも、ポール・クルーグマンや、ローレンス・サマーズ 、あるいはクリスチーヌ・ラガルドIMF専務理事らは、デフレや低インフレ下での財政赤字の拡大の有効性を認めている。
ところが、より強硬なMMT批判者は、「歳出削減や増税は政治的に難しい。だから、いったん財政規律が緩み、財政赤字の拡大が始まったら、インフレは止められない」などと主張している。
しかし、これこそ、極論・暴論の類いだ。
そもそも、国家財政(歳出や課税)は、財政民主主義の原則の下、国会が決める。「財政規律」なるものもまた、財政民主主義に服するのだ。
「政治は、財政赤字の拡大を止められない」などというのは、財政民主主義の否定に等しい。
また総需要の超過は好景気をもたらすので、所得税の税収が自動的に増大し、財政赤字は減る。したがって、仮に増税や歳出削減をしなくとも、インフレはある程度、抑制される。
加えて、金融引き締めによるインフレ退治という政策手段もある。
要するに、インフレというものは、経済政策によって止められるものなのだ。
実際、歴史上、ハイパーインフレの例は、戦争・内戦による供給能力の棄損や社会主義国の資本主義への移行による混乱、独裁国家による政治的混乱といった、極めて特殊なケースに限られる。
また、1960年代後半から70年代にかけての米国の高インフレも、ベトナム戦争、石油危機、変動相場制への移行といった特殊な外的要因が主である。
特に戦後の先進国で、財政支出の野放図な拡大が止められずにインフレが抑制できなくなったなどという事例は、皆無だ。
そして何より、日本は、過去20年間、インフレが止められないどころか、デフレから脱却できないでいる。歳出抑制や消費増税といった経済政策によってインフレを阻止できるという、皮肉な実例である。
したがって、「財政赤字の拡大を容認すると、インフレが止まらなくなる」などということはないのだ。
これは、「事実」である
(続く)
★
現在デフレ下の我が国の経済成長のため、MMTを適用するのには賛成だが、中野氏が説明を手抜きしたと思われる「財政民主主義」の信頼性に疑問を呈してみよう。
日本で低インフレ(デフレ)が続いているのは、国民が政府を信頼しているからだ。
だが赤字国債発行の最中何かの理由で一旦政府が信頼を失うとハイパーインフレが起こる。その場合実質債務のデフォルトが起こる可能性がある。そのリスクはきわめて小さいが、何も備えないわけには行かない。
それを日銀のインフレ目標で止めることはできない。
財政支出をコントロールするのは政府の子会社の日銀ではなく、政府自身の仕事であるからだ。
では政府がどのようにしてハイパーインフレの可能性を含む財政赤字を止めるのか。
中野氏は、財政赤字が膨大に累積してもハイパーインフレにならい理由は次のように説明している。
「憲法に定める財政民主主義では国会が決める」と極めて簡単な説明だ。
さらに「すなわち、インフレ率が目標とする上限を超えそうになったら、財政赤字を削減すればいいのである」とこれも極めて素っ気ない。
しかし、国会が決めるということは政治家が決めるということ。
筆者は政治家がハイパーインフレが起きる懸念のある「最中」に、最適な判断を下すとは到底信じることができない。
>そもそも、国家財政(歳出や課税)は、財政民主主義の原則の下、国会が決める。「財政規律」なるものもまた、財政民主主義に服するのだ。
>「政治は、財政赤字の拡大を止められない」などというのは、財政民主主義の否定に等しい。
>要するに、インフレというものは、経済政策によって止められるものなのだ。
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中野氏はMMTの他の部分の解説はしつこいほど丁寧なのに、「財政民主主義」の解説が極めて素っ気ない理由は何なのか?
政治家を含めて熱気・狂乱の渦中にある人間は、正常な判断を下すことが困難だ。
バブル崩壊はある日に一瞬にして起こった現象ではない。
例えばバブルの象徴とされるジュリアナ東京は、バブル崩壊後に新規開店していた。
当時のテレビはバブル景気の象徴みたいにジュリアナ東京で踊り狂うボディコン女性を紹介していた。 だが、その時点で実はバブルは崩壊していたのだ。
バブル崩壊に先立ち、株価や地価が下がり始める。
下がりはじめた当初は一時的なものだと思うがさらなる下落が起き、次の問題が出る。
暴落が手に負えなくなり、バブル崩壊が社会問題化したのが1993年頃。
ジュリアナ東京が開店し、全国の話題になったのがバブル崩壊2年前の1991年5月だった。
バブル崩壊
1991年3月から93年10月までの急激な景気後退期を指す。それ以前のバブル経済時代、価格の上がり続ける土地を担保とした融資は、当たり前のように行われていた。が、大蔵省が90年3月、銀行の不動産向け融資を抑制する「総量規制」を実施。これを受けて、貸し渋りをする銀行が続出し地価が下がり始めた。さらに、日銀の公定歩合の急激な引き上げも重なって資金繰りの悪化する企業が増え、バブル崩壊につながったとされる。
ちなみに、日経平均株価の史上最高値はバブル最盛期の89年12月29日に記録した3万8915円。。
バブルの象徴ジュリアナ東京とバブル崩壊の関連を年表にまとめてみた。
1991年5月
ジュリアナ開店 爆発的話題に
1991年10月
(後世の検証では)バブル崩壊の始まり
1991~93年
株価・地価がどんどん下落(世の中はバブル崩壊には気付いていない→一時的な問題と思ってた)
1991~93年
ジュリアナでは浮かれた連中がジュリアナでノー天気に踊り狂っていた
1993年
この頃にバブル崩壊という言葉が広く世の中に知れ渡り、世間が先の見えない不況に突入した事を認識
1994年
ジュリアナ閉店
1995年
住専問題が噴出~翌96年住専国会で大荒れ
1997年山一、拓銀の破綻。(金融危機の最大の山場、日本発の世界恐慌かと騒がれる)
後世から見たら「バブル崩壊に向かう最中にも関わらず浮かれていた」のが当時の社会現象として伝えられる。
つまりバブル崩壊やハイパーインフレと国民の実感にはタイムラグがある。
経済指標が国民の目に知れる時期も2カ月ほどのタイムラグがある。
「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。」ニーチェ
【追記】