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■県知事選の真相ーデニー氏圧勝の理由
デニー氏「翁長氏の遺志」前面に 「亡霊」と闘った佐喜真氏
約2ヶ月の休載から復活し早々の記事が「無能なデニー知事」を巡る記事だった。
ではこのような無能では前代未聞の知事が、県政史上最多の得票数で知事の座を獲得した。
デニー氏圧勝の経緯について、振り返ってみよう。
デニー氏圧勝の理由は極めて単純である。県民が急逝したお翁長知事の「亡霊」に誑かされたのだ。
在任中急逝した翁長知事の弔い合戦を前面にうちだした知事選で玉城デニー氏が圧勝した原因が種々取りざたされた。
その一部を紹介すると、「自民党県連の怠慢」「公明党票が逃げた」あるいは「佐喜真淳氏が“辺野古”の争点化から逃げた」などと指摘された。
それぞれ佐喜真氏惨敗の理由の一部を指摘しており、間違いではないだろう。
しかし、玉城デニー氏が圧勝した最大の理由は、そんな枝葉末節な論議ではない。
デニー氏圧勝の最大の勝因は、「オール沖縄」陣営の稀に見る「戦略勝ち」と断言できる。
その戦略とは、一体何か。
「オール沖縄」側が、翁長氏の死を「弔い選挙」とする印象操作に途中から変更した戦略だ。 それがデニー圧勝の大成功をもたらしたもたらした。
そう、佐喜真氏は、デニー氏に敗北したのではなく、翁長氏の「亡霊」に完敗したのだ。
県知事選までの重要選挙は、浦添市長選、沖縄市市長選、宮古島市長選、石垣市長選そして直近の名護市長選、と「辺野古反対」を争点に掲げる「オール沖縄」候補に対し、保守側候補が連続して勝利してきた。
「オール沖縄」分裂の流れに乗って行けば、県知事選も佐喜真候補が勝利する予想されていた。
ところが8月8日、絶妙のタイミングで翁長前知事が逝去することにより、流れが大きく変わった。
翁長前知事の「弔い選挙」という流れだ。
◆「亡霊」の陰に身潜めた玉城氏
デニー氏は選挙戦の当初デニーカラーを全面に打ち出し「新基地建設反対」を公約の筆頭に打ち出した。
しかし、「オール沖縄」の戦略は途中で変更を余儀なくされました。
「デニーカラー」を打ち出すには、時間が足りなかった。
それにデニー氏には基地問題を真剣に検討する才覚も経験も皆無であった。
そこで「志半ばで命を削った沖縄の英雄」というような「翁長氏の神格化」に戦略を変更した。
街宣でも、翁長夫人の樹子氏や次男の雄治氏ら遺族にマイクを持たせ、「翁長氏の遺志の継続」を訴えた。
◆地元2紙勝利の前回
さらに沖縄2紙の選挙用全面広告は翁長氏の「遺影」を紙面中央に掲載。遺族の写真と「翁長は心の底から沖縄を愛し、140万県民を命がけで守ろうとした」などと感情的な翁長夫人のコメントで飾りました。
肝心の玉城氏の写真やコメントは省略し、翁長氏の「辺野古阻止」の無念を「後継者に託す」という趣旨で選挙戦を貫く徹底ぶりでした。
この全面広告を見て、「これでは佐喜真さんは翁長知事の亡霊と戦ってるようだ」と苦笑する人もいたくらいだった。
しかしそれは、単純な「弔い合戦」で片付けられる話ではない。
翁長氏の無念の死によって、沖縄県民の「新基地建設」への怒りが眠りから醒め、翁長氏の「後継者」とされる玉城氏の圧勝に結び付いたと考えられるからだ。
極論するなら翁長氏の無念の死こそが、デニー氏圧勝の重要ポイントだった。
「翁長さんの遺志を継ぐ」。
これが「オール沖縄」側の方針になり、デニー氏は翁長氏の「亡霊」の陰に身を潜めて闘ったのだ。
翁長氏の後継者として「亡霊」の陰に身を潜めるには、玉城氏ほど適材の人物はいなかった。
新里米吉県議会議長が、8月17日に持ち込んだ「謎の音源」以来、デニー氏は「翁長知事の遺志を「重く受け止める」と言いながらも立候補を躊躇していました。
デニー氏が再三、出馬会見を延期した時、背中を押したのは当時の自由党代表の小沢一郎氏だった。
小沢氏はかつて、「神輿(みこし)は軽くて、パーがいい」という名言を吐いている。
小沢氏がデニー氏を県知事候補として担ぎ出したのは「軽くて、パーだ」と見込まれたのだろうか。
翁長氏の「亡霊」を前面に打ち出して選挙戦を勝ち抜くには、ラジオパーソナリティーで鍛えた軽い口調で有権者に接し、好感度抜群の笑顔を振りまく玉城氏ほど担ぐ神輿として適材適所の人物はいなかった。
玉城デニーという知事候補本人の「意志」以上に、「翁長氏の『遺志』」が前面に出てくる選挙であった。
選挙戦の主役は名実ともに急逝した翁長氏の「遺志」、つまり死者の遺志になった。
◆具体的政策は避ける
では肝心のデニー氏本人はどのような言動で選挙戦に対応したのでしょうか。
街宣で叫ぶショートフレーズでもそうだが、沖縄2紙を飾る大見出しでも、玉城氏は具体的政策は極力避けて、「翁長知事の遺志を受け継ぐ」などと、あくまでも翁長知事が憑依(ひょうい)した「後継者」のように対応したのです。
もともと、玉城氏は6年余の国会議員時代、沖縄県政を真剣に考えた様子は見られない。少なくとも、翁長氏と県政について懇談した様子はない。時たま見られる「玉城語録」も整合性に欠け、具体的政策論では到底行政経験の豊富な前宜野湾市長の佐喜真氏に太刀打ちできるとは思えなかった。
例えば、得意なはずの安全保障問題でも、尖閣問題を持ち出されると、「外交交渉で解決する」などと、沖縄選出の国会議員出身とは思えぬ無知を曝(さら)けだした。
尖閣問題でわが国が、中国と領土権で「外交交渉」などするはずはない。仮に外交交渉を切り出したら、その瞬間「領土問題の存在」を認めたことになり、中国の思うツボになるからだ。
佐喜真氏は知事選をデニー氏と闘ったのではなく、翁長氏の「亡霊」、いやむしろ、神格化し「神」に化身した翁長氏と闘い、そして完敗した。
デニー氏の圧勝が決定した2日後の10月2日付沖縄タイムスの社会面トップは、新知事である玉城デニー氏が翁長氏の霊前に手を合わせる写真だった。さらに翁長氏の「亡霊」がいまだに成仏できないかのように、樹子夫人の写真と、次のような見出しで紙面を埋めていた。
「翁長さんの志に共鳴/デニーさんなら継いでくれる」
デニー氏が圧勝した翌日、安倍首相は選挙結果の感想を問われ、「結果は政府として真摯(しんし)に受け止め、今後、沖縄の振興、そして基地負担の軽減に努めていく」と敗者として極めて真っ当なコメントを述べた。
その際、「改めて翁長知事のご冥福をお祈りしたい」と付け加えるの忘れてはいなかった。
翁長氏の成仏できない「亡霊」が知事就任後の玉城氏の周辺に彷徨い出ることを恐れて、改めて「冥福を祈った」のだろうか。
【おまけ】
沖縄県は2日、在沖米軍で新たに70人の新型コロナウイルスの感染が確認されたと発表した。1日も在沖米軍では過去最多の235人の感染が確認されている。玉城デニー知事は2日、臨時の記者会見を開き、「米軍陽性者の急増は、米軍における管理体制の不十分さを示すもので激しい怒りを覚える」と強く米側の対応を非難し、対策の徹底を再度求めた。
会見で玉城知事は「県内のオミクロン株の感染拡大は米軍からの染みだしが大きな要因」とも指摘した。
玉城知事によると、県が国立感染症研究所の協力を得てオミクロン株の広がりを調査したところ、12月30日までに確認された市中感染の疑いがある複数人から、米軍基地従業員らと同じオミクロン株のゲノム系統が確認されたという。また、12月31日と1月1日の2日間でオミクロン株の感染が確認された計45人のうち29人は海外渡航歴がなく基地従業員との接触もないことから市中感染の疑いがあるという。
玉城知事は、米軍関係者は日米地位協定に基づき日本側の検疫の対象になっていないことなどから、「日米両政府は、構造的な問題であるという強い危機意識を持って頂きたい」と協定見直しも強く訴えた。
県内のオミクロン株の感染者は計65人、うち市中感染の疑いは計31人。
https://www.asahi.com/articles/ASQ126KCDQ12TPOB001.html
引用元:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1641128713/