狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

人間の盾に小学生を!普天間移設の真相

2023-10-23 11:34:32 | 政治

人間の盾に小学生を!普天間移設の真相

2023-03-18 16:57:29 | 資料保管庫

 

 

人間の盾に小学生を!普天間移設の真相

2010-01-11

 

普天間基地の象徴ともなっている普天間第二小学校の危険性を考慮して過去に二度も移転の話が持ち上がったが、その度に移転反対をして妨害したのは、ほかならぬ「米軍基地反対派」の左翼勢力であったというから驚きである。

【動画】⇒3/4【沖縄スペシャル】普天間の真実[桜H21/12/29]

「基地反対派が小学校の移転にも反対する」という小学生を人間の盾にした恐るべき話を産経新聞が勇気を持って記事にした。

上記チャンネル桜の動画にもあるように、「世界一危険な小学校」と言われながら、これまで普天間第二小学校が移転しなかった理由を、沖縄県民は噂としては知ってはいたが全国紙の産経新聞が署名入りの活字にした意義は大きい。

那覇支局長に着任間もない宮本雅史支局長の渾身の記事を先ずはご覧下さい。

【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転
2010.1.9 23:26
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)

 普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。

 移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。

 当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという

 安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。
ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。

 同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。

 その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。

 当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。

                                         ◇

産経新聞の那覇支局長は昨年一年だけで小山⇒前田⇒宮本と目まぐるしく変わった。

それには閉塞した沖縄の言論空間が大きく関わっていた。

長年那覇支局長のポストにいた小山氏はブログ「今夜も、さ~ふ~ふ~」でも有名であり、沖縄居酒屋めぐりが趣味のような人で、沖縄のマスコミとも適当に折り合って上手くやっていたようである。

ところが次に那覇支局長に着任した前田徹氏は、着任当初から「沖縄タブーを叩く」と公言し、地元新聞社や、これを煽る全国紙グループに挑戦を宣言し、精力的に批判連載記事を執筆し始めた。

その結果那覇記者クラブから村八分になり、産経本社には那覇記者クラブより前田氏に対する抗議が殺到したという。

そして遂には、前田新支局長はわずか数ヶ月で那覇支局長を更迭される羽目に陥った。

小山氏が5年間も勤め上げた那覇支局長のポストを、後任の前田氏はわずか数ヶ月で去ることになったのである。

全体主義の島の言論封殺の恐ろしさである。

前田氏の突然の更迭を受け昨年11月、急遽那覇支局長に着任したのが上記記事の署名者、宮本雅史支局長である。

宮本氏は、突然の支局長交代劇だったため仕事の引継ぎもほとんどない状態だったと聞くが、上記記事でも分かるとおり前任者に負けぬ硬骨漢のようである。

全体主義の島沖縄では「不都合な真実」を報道するとバッシングを受ける。

これは前任支局長の例でも明らかなので、今回の記事で宮本新支局長へ同じようなバッシング、嫌がらせなどが予想される。

何しろ産経新聞那覇支局は琉球新報ビルの中に間借りしており、琉球新報は大家さんになるわけだ。

まさか沖縄紙にとって「不都合な真実」である上記記事で事務所を追い出されることはないだろうが、有形無形のバッシングは予想できるの。

前任の小山氏に負けず泡盛とラフテー(豚の角煮)を愛し、前田氏に劣らぬ硬骨漢の宮本現支局長にファックス、電話などで激励、応援をお願いします。

那覇覇市泉崎1-10-3
琉球新報ビル内
産経新聞那覇支局
電話:098-861-6778 FAX:098-860-3070  

 

 「沖縄タイムスの反論」らしき物に続いて、当日記の最終版反論を過去記事より引用します。

続・普天間第二小学移転頓挫の真相2016-02-09

誤解だらけの沖縄基地(8)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(上)2016年1月31日 07:15 

普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市普天間第二小校庭の真上をオスプレイが飛び交う。敷地は米軍普天間飛行場とフェンス1枚で隔てられている=2013年8月3日、宜野湾市

 

「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。普天間飛行場の危険性の象徴として、市民団体が第二小を移転させずに反基地運動に利用しているという趣旨だ。同校は1980年から10年以上も移転問題に揺れた。なぜ、学校は動かなかったのか-。

» 基地と原発のニュースをフクナワでも

 この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

 ネットで引用されているのは当時の保守系市長、安次富盛信氏や「市関係者」らへの取材をもとにした2010年のある全国紙の報道だ。

 報道によると、第二小はこれまで82年の米軍ヘリ墜落事故をきっかけに2度移転計画が持ち上がった。安次富氏が米軍と交渉し、キャンプ瑞慶覧の一部を学校用地として返還させることで合意し、予算も確保した。だが、市民団体が「移転は基地の固定化につながる」「命をはってでも反対する」などと抵抗したため、計画が頓挫したという。

 「こんな話は、聞いたことがない」。教育次長や企画部長などで同問題にかかわり、のちに宜野湾市長を務めた比嘉盛光さん(77)は首をかしげる。報道内容とは逆に、予算の補助を国に求めたが、最後までかなわなかったからだ。

 第二小は普天間小学校の過密化を解消するため69年、普天間小敷地内に暫定的に設置。翌70年、普天間飛行場に隣接し、滑走路延長上にある現在の場所に一部校舎が完成した。だが、文部省(当時)基準の4割にも満たない狭い敷地だったため、市は70年代から普天間飛行場の一部を返還させて敷地の拡張を模索する。79年には山口県岩国基地や、返還予定だった北谷町のハンビー飛行場から米軍ヘリなどが普天間飛行場に移駐。第二小の騒音は悪化し、教育環境の改善は、さらに急務となる。

 80年9月25日。安次富氏は、ある方針を打ち出す。

 「騒音で中断を余儀なくされ、適正な教育活動もできない。移転することが得策だ」。第二小の移転先として普天間飛行場と500メートルほど離れたキャンプ瑞慶覧の一部(現在の西普天間住宅地区)返還を求め、那覇防衛施設局(当時)へ要請書を出した。

 わずか1週間後の10月2日、滑走路で離着陸訓練中のOV10ブロンコが墜落。第二小移転の機運はさらに高まった。(「沖縄基地」取材班)

                                 ☆

>「反基地運動のために市民団体が普天間第二小学校の移転を意図的に妨害して、子どもたちを人質にした」。世界一危険な米軍普天間飛行場宜野湾市)に隣接する第二小をめぐり、インターネット上でこんな話が流布されている。

 >この「人質論」は、基地問題に対する沖縄の市民運動に批判的なブログやフェイスブックなどSNSで拡散。普天間飛行場は街のど真ん中にあり、周辺には住宅や学校、病院が密集するが、これらについてネット上では「『世界一危険な基地』は、学校を移転させずに危険をとどめようとする左翼のでっちあげだ」などのコメントが躍る。

ここで言う「インターネット上の流布話」とか「市民運動に批判的ブログ」とは当日記のことと思われる。(笑)

記事では移転が頓挫した理由として、国が移転に掛かる経費を補助する制度がなかったかとしているが、そもそも国が市の小学校移転に補助する制度などあるはずがない。 ただ、「子ども達の生命を守るため」と、市長が本気で取り組んだら移転が頓挫するはずはない。

市長が移転を断念した一番の理由が「市民」や「PTA役員」だったことは次の記事を見れば明白である。

誤解だらけの沖縄基地】(10)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)

2016年2月2日 07:01
 
 
PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

PTA総会で普天間第二小学校の移転を断念することを報じる本紙の1992年9月19日付朝刊紙面

「危険と同居 仕方ない」「PTA苦渋の決断」

» 誤解だらけの沖縄基地(9)普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)

 1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。

 なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。

 たとえ移転を選択しても、学校用地費は計画当初の25億円から50~60億円に高騰。市が要求してきた国の補助は認められず、移転はいつになるか分からない-。

 PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。

 当時、校長の比嘉岳雄さん(81)は「天井のコンクリートがはげ落ちて落下する。鉄筋はむき出し。私たちにできることは、老朽化による危険から子どもたちを守ること。米軍基地からの危険を取り払うのは政治にしかできなかった」と振り返る。

 比嘉さんは新校舎落成記念誌に、沖縄に米軍基地が集中している現状を踏まえ、国から用地費の補助が出なかったことに、こう記している。

 「当時の関係省庁は沖縄の実情を全く組み入れず、全国共通メニューで操作していて、政治的配慮に欠けていたと思う」

 さらに、学校を移転しても米軍基地の整理縮小、市全体の危険性にはどう向き合うのか。移転計画は基地あるがゆえの問題に阻まれた。

 一般質問で第二小問題を取り上げていた革新系元市議の上江洲安儀さん(80)は「第二小が移転するということは普天間飛行場が存在し続け、市に危険がそのまま残るということだ。近くにはほかの学校もあり、第二小を移転したとしても、根本的な解決につながらない。普天間飛行場こそ撤去するべきだった」と指摘する。

 報道は、歴史的背景や経緯が不明なままネット上で拡散し、オスプレイや辺野古新基地建設の反対運動への批判を誘導している。

 沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)は「報道を利用した反対運動への批判は、沖縄への米軍基地の集中を正当化したい心理があり、沖縄をおとしめて、罪悪感を拭いたいという気持ちがある」と指摘。その上で、「若者がネット上の虚偽の言説を受け入れてしまうのはなぜかも考える必要がある」として、歴史の知識の欠如に警鐘を鳴らした。(「沖縄基地」取材班)

                  ☆
>1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。
 
 
>なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。
 
子供たちの生命を守るために、一体何をもって「苦渋の決断」をするのか。
 
皆で一致団結して国に移転経費の補助を求めることは出来なかったのか。(怒)
 
子どもを隣接する普天間基地の危険から守るために移転するのに「苦渋の決断」もヘチマもないだろう。
 
>建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。
 
決断もクソモない。
 
現在地での建て替えは結局、逆の意味での「普天間の固定化」を子供たちに押し付けたことになるのではないか。
 
これって、親のイデオロギーで子供たちを犠牲にしたのでしょうが。(怒)
 
>PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。
 
増改築だって金が掛かる。
 
沖縄タイムスは「市民」の意見や「PTA決議」に責任転嫁しているが、彼ら「市民」や「PTA役員」こそ、ネットが普及していないその当時の「プロ市民」であったことは間違い。
 
良識ある市民やPTA役員だったら、子供たちを危険から守るための移転に反対決議などするはずがないからだ。
 
沖縄タイムスは当時の新聞を提示して「危険と同居仕方がない 普天間第二小移転を断念」などと報じているが、こんなバカな話はない。
 
「危険と同居仕方がない」。
 
これが「プロ市民」や沖縄タイムスの本音ではないのか。
 
 
沖縄タイムスが3回連載で「普天間第二小学校の移転頓挫の真相」を弁解していたが、弁解すればするほどブーメランとなって己を直撃するのには、滑稽でさえある。
 
結局、普天間第二小学校が移転を断念した理由は、プロ市民の妨害によるもの。
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