狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

■沖縄経済を支えた軍用地料と援護金

2023-10-26 16:11:20 | ●●沖縄の黒歴史

中国新聞胡子記者は2年前からやばい。我慢出来ずに石丸市長が吹き出す。軌跡編①

 

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■狼魔人日記・文藝コーナー■(毎日三首紹介します)

これは平成22年から令和4年まで私の生活の中で見て聞いて感じた事をメモのつもりで三十一文字にまとめたものです。 一つでもこれはとこれはと思われるものがありましたら幸いです。令和五年一月  

富原盛安(82歳・南城市)

子供らの生命奪うタリバンの天にツバする悪魔の所業

天国があるか無いかはお楽しみ己は望む永遠の無を

バカなれど務(つとめ)果さんそれなりにそう思いつつ飯をかきこ

 

■狼魔人日記・文藝コーナー■への投稿
瀬良垣譲二 (糸満市)

東京より大阪 大阪より沖縄 沖縄よりは台湾と 辺境に行くほど残る日本精神

作者注:
50年ほど前に台湾の離島( 台湾 台東県 蘭嶼島)へ行ったら通用するのは日本語だけだった・中国語=北京語・台湾語=閩南語・英語・ドイツ語みんなダメ。

 

■貉(宜野湾市)

腐敗した 日本の新聞ドブ掃除 安芸高田市 市長が奮戦

 

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■沖縄経済を支えた軍用地料と援護金

石原昌家沖国大教授は、ジャーナリスト佐野真一氏の取材に答え戦後沖縄経済を支えた「軍用地料と援護金」について、次のように答えている。

ー「援護法」で最も重要なポイントは、その適用者が”戦闘参加者”として靖国に合祀されるという”栄誉”だけでなく、遺族年金という実質的な”利益”も得ていることです。沖縄戦で”英霊”になった人の遺族はいくらぐらいもらっているんですか。四万円ぐらいですか?

「いえいえ、これがすごいんです。年度によって違いますが、ここ何十年前からは、年間一律でおよそ196万円」

ー 一人頭ですか?

「ええ、だから慶良間(諸島)で家族のうち四人が集団自決した場合は、196万円かける四人で、800万円近くになります」

ーそれはバカになりません。

だから僕は、産業らしい産業がない沖縄で大きな収入になったのは軍用地料と遺族年金だと言ってきたんです」

ーつまり金でがんじがらめにされている。これじゃ靖国合祀を取り消せという声が大きくならないわけです。石原さんは旧厚生省の役人は物凄く頭がいいと思った理由が、やっとわかりました。(佐野眞一著『僕の島は戦場だった』39頁~40頁)

 

 

■オウンゴールの石原教授

琉球新報の「言論封殺」は慶良間島の集団自決の真相にターゲット絞っており、集団自決は「援護法」に大きく絡んでいる。

簡単に言えば本来軍属にのみ適用されるはずの「援護法」を政府主導で強引に沖縄住民に適用するように政令を発して特例を設け、住民の中の「戦闘参加者」を適用対象としたのである。

「援護法」の申請の流れはこうだ。

住民(遺族)⇒各市町村の援護課⇒琉球政府⇒厚生省援護局

そして各担当部門で出来るだけ「『非該当者』を『該当者』となるように救う」という思惑が働いた。 昨日紹介したように厚生省側でも祝嶺さんのような沖縄出身者を担当職員に配置転換し出来るだけ「援護法』の適用させるように指導した。

当初は市町村の窓口でも申請書の記入などに不慣れな職員が多く、多くの申請書が厚生省側から突きき返されたという。 だがそれには厚生省側の「受理されるノウハウ」の指導が付いており、結局要領を掴めば簡単に「戦闘参加者」として受理れ援護金支給の対象となった。

政府(厚生省)、琉球政府、各市町村の三者が「出来るだけ受理する」という思惑で動けば、その申請手続きの過程で、どうしても該当しない申請者に虚偽の申請をするものが出てきても、見て見ぬふりをするどころ積極的に「偽造申請書」に加担する者も多かった。 組織ぐるみで加担した場合も多かったと聞く。

「援護法」の研究者を自認する石原昌家沖国大名誉教授は、申請書を書けない住民に代わって申請書を書く手伝いをしたと語っている。 この石原氏、援護法の研究だけやっておればそれなりの評価をされたのだろうが、沖縄で名声を得るには反日左翼複合体に迎合する必要を感じたのか、イデオロギー丸出しの論調で新聞紙上を賑わし「集団自決」訴訟では被告の大江・岩波側の弁護に回り、「軍命派」の論陣を張った。

その一方で「沖縄靖国訴訟」では原告(遺族)側の証人となって法廷で証言をした際、イデオロギーと研究の狭間でついうっかり自分の現在の立ち位置を見失ってしまい致命的発言をしてしまった。

石原氏は、沖縄戦で犠牲になった住民を靖国に合祀するため政府主導で「軍命による自決」などの「戦闘参加者」を作って援護金を与え口封じした、という趣旨の意見書を提出し、証言台では次のような趣旨の証言を行った。

被告側弁護士:「石原先生の説明ですと、沖縄の遺族の中で援護金を貰っている人の中には本来、もらう資格が無い方々が多く含まれているということですか?」 

石原証人:   「いえいえそうではありません。ほとんどです」

被告側弁護士と石原証人との尋問で、石原証人は次のことを証言したことになる。

■石原証言のポイント

1)戦闘参加者という受理条件を与えるために、日本政府がその基準に合うように暗に指導していた。

2)日本軍が住民に命令や要請を受けた時点で国と住民に雇用関係が発生すると考えで、積極的な戦闘協力をした、と指導した。

3)壕の提供は、軍事行動であり、現認承認があれば軍属と認める。

4)厚生省から付き返されることは、結果的に書き換えて受理となった。

5)援護法の実態を解明することは、沖縄戦の事実を引き出すことになる。

               ☆

この証人尋問が、反日サヨク勢力にとって何ゆえ致命的なのか。

石原氏は別の裁判である「集団自決訴訟」では大江・岩波側を支援し「軍命あり派」の論陣を張ったが、「沖縄靖国訴訟」では、「軍命は『戦闘参加者』を作るための虚偽記入」であり、国がそれを指導したと主張した。 ということは法廷で軍命は虚偽だったと証言したことになる。

石原氏の証言に関しては反日左翼側からも批判の矢が飛んでいると聞くが、結局、石原氏は、法廷での宣誓の通り、真実を語ったことになる。

真実を語ったため「集団自決」は軍命であるという持論を結果的に否定してしまったのだ。

もっともこの石原氏の致命的証言は、「不都合な真実」は徹底的に隠蔽する琉球新報、沖縄タイムスが報道するはずもなく、法廷記録として残っているだけである。

石原氏の証言を要約すると、援護法と靖国合祀は、住民を死に追いやった戦争責任を回避するための口封じという「恨み辛みの歴史観」になる。

<沖縄タイムス 2005年3月6日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](8)
東京の目
援護法での救済に腐心
「生かされた」責任感じ

 沖縄戦で看護隊として亡くなった女子学徒は、援護法で「準軍属」にあたる。一九五五年、女子師範学徒八十八人に、死亡公報が発せられた。それに基づき、援護法申請の手続きが取られていった。

 申請書類をめくると、女子師範、一高女、寮で一緒だった同級生や下級生の名前が記されていた。審査にあたった厚生省職員の祝嶺和子さん(77)=静岡県=は「寮で枕を並べた友達が、死んでいるんだから。絶対救わなくちゃいけない。そんな気持ちがありました」。当時の悲しみが再び込み上げて、言葉を詰まらせた。

 「でも、それだけやったから、私はね、自分が生きてもね、みんなには『お前は来なかったな』と言われないで済むと思っていました」

 夫、正献さんの生前の口癖は「特攻隊で自分の友達も皆、死んだ。自分らは生き残ったから、国のために何かやれということなんだ」。名護にいた幼少時から空手を学んでいた正献さんは、六三年に空手を基にした武術「躰道」を本土で広めることに努めた。

 「自分は生き残った」という思いを持ち続けた祝嶺さんは、沖縄戦で犠牲になった人々を援護法の対象として救うことに、心を傾けていった。

 一般の住民は逃げ回っていたのではないか。軍人が住民にも一緒に戦えと命令したのか。軍人が「自分たちが使うから、おまえたちは出て行け」と言って、住民を壕から追い出した―。

 「戦闘参加者」として、一般住民の申請書類が上がってきた時に、厚生省で批判的にみる人もいた。

 祝嶺さんは振り返る。「逃げ回っていた人もいたと思う。でも、そういうと沖縄の人が救われない。『戦闘参加者』として参加したんだと、はっきり言った」

 沖縄戦では、住民と軍隊が混在した。三カ月にも及ぶ戦闘の中で、一人の人間の死に至る過酷な体験は問題にされることはない。援護法の適用で、注目されるのは「軍への協力」、その一点だ。

 書類の審査で難しいケースについては、最終的には沖縄戦体験者の祝嶺さんのところに、回ってくるようになった。

 「軍への協力」が必要と、入り口を絞られた書類の上の沖縄戦。戦場で同じような行動をしていても、書き方一つで住民は「戦闘参加者」か、そうでないかに分けられる。

 「事実を書いてあるのだが、書類では通すことが難しい事例がある。だから、ほかはこのようにして通っているのだから、これと同じような書き方でと、そうちらっと教えた覚えはあります」

 「今からいうとおかしいかもしれないが、自分は生かされた。死んだ人はどうしても救わないといけないという、責任みたいなもんがあった。私はただ、沖縄の人を救えばいいという気持ちだった」(社会部・謝花直美)(毎週木―日曜日に掲載)



■未公開資料を入手

「援護金のカラクリ」が、沖縄の集団自決論争に深く関わっているといわれて久しい。だが、肝心の「援護金」関連の公的資料はプライバシーに関わる案件ということで、これまで一般には公開されていなかった。

 「援護法のカラクリ」とは専ら、日本軍を誹謗中傷する左翼陣営の専売特許として用いられてきた。石原昌家沖縄国際大学名誉教授などのサヨク学者が沖縄戦の研究という大義名分を掲げこれら資料を独占してきたからだ。

 石原氏が頻繁に沖縄紙に発表する「援護法」関連の論文は、独占した資料を都合のいいように解釈(歪曲)し、「国が援護金の給付という飴を与えて、その代償として国による沖縄戦の捏造が行われた」という類のものだった。石原氏が主張する「国による沖縄戦の捏造」とは、概ね「国が歴史を捏造し、『集団自決に軍命はなかった』という虚偽の歴史に作り変えた」というものだ。

ところが沖縄戦遺族会のご協力で援護法に関する非公開のマル秘資料を入手できた。 未公開資料を分析し、さらにこれまで口を閉ざしていた遺族会の方々の証言を検証すると、このような事実が判明した。

「援護法のカラクリ」とは、実際には存在しなかった軍命を援護金受給の方便のため、援護金申請の際「軍命があった」と虚偽の記入をしたら援護金が貰える。

つまり「援護法のカラクリ」とは、反日サヨクが日本軍を貶めるため、沖縄住民に示した政府の「善意」を逆手に取った卑劣な手口であったということだ。

■沖縄経済を支えた援護金

米軍統治下の沖縄の経済に大きく貢献したのは「米軍用地代」と「援護法受給」だといわれている。

軍用地については、新聞などで絶えず取り上げられるので、国が支払った軍用地代金が沖縄経済に貢献したことは誰もが認めることである。 だがもう一つの援護法受給金については、プライバシーの要素などが絡み、マスコミの話題になることもなく、その実態は当事者だけの内密の問題とされていた。

 戦後、子どもを抱え親戚の厄介者扱いされていた未亡人が、突然莫大な援護法の支給を受け、親戚が群がってきたという話も仄聞するが、受給者の大多数は受給を内密にしており、表立って援護金の受給を語る人は少なく兄弟でさえ秘密にしている人もいるくらいだ。

渡嘉敷島の集団自決の生き残りで、親兄弟5人の家族を手にかけたことを「軍の命令」だと証言し、大江・岩波訴訟では被告側証人として証言台に立った金城重明氏は、星雅彦氏のインタビューに答えて自身が援護法を受給したことを否定している。 金城重明氏は兄重栄氏と2人で5人の家族を含む、複数の村人を殺害したと証言している。 援護法の受給手続きさえすれば、金城兄弟は「軍の命令により」親兄弟を殺害したのであるから、少なくとも親兄弟5人分の遺族として莫大な額の援護金を受給しているはずだが、金城重明氏はこれを否定しているのだ。 重明氏は青山学院大で神学を学びその後沖縄キリスト教短大の設立にもかかわった。後には教授から学長まで務めているが、その当時の一連の学費は本人の弁によるとキリスト教教会の援助によるものであり、援護金の給付によるものではないという。
重明氏に取材した星雅彦氏によると、当時のキリスト教会は重明氏の大学進学の援助をするほど資金的余裕がなかったとのこと。 ただ重明氏は、戦後座間味村に留まってペンション経営をした兄重栄氏(故人)の方に援護金が行っている可能性は否定しなかったという。



■大甘な厚生省の対応 そのわけは?■

通常、お役所に何らかの給付金を申請するとき、お役所側は重箱の隅を突っつくように、申請書の記入ミスを指摘し、できるだけ給付金を与えないようにする。

ところが沖縄戦に関わる「援護法」の給付金申請の場合、役所の対応は豹変する。 それも申請者が沖縄県民に限ってのことだが、多少の記入ミスには目をつぶってでも何とか給付しようという態度に変わってしまうのだ。

つまり当時の厚生省は、本来軍人に給付すべき「援護金」を、沖縄戦と沖縄県民に限り拡大解釈し、軍に協力したという虚構を黙認し、何とかして給付させたいという善意が働いた。 かくして書類の不備を指摘するどころか、今考えればお役所が「偽造申請」に加担したような場面も散見された。当時の厚生省は裏付け調査を省いて、書式さえ整っていたら全てを給付の対象にしたのだ。

■厚生省の担当者に沖縄出身者を配属■
当時の厚生省は、校長など地域のリーダーがほとんど無条件に署名した現認証明書をそのまま受け付けるという極めて大雑把な審査をしていたという。
 
政府側は今から考えると違法性を問われかねない措置をしていたが、何とか沖縄側の申請に対応しやすいように、東京側の厚生省担当者にわざわざ沖縄出身者を配属して、出来るだけ援護法の適用の拡大を計った。
 
その当時東京側の厚生省担当に配属された沖縄出身者の証言が沖縄タイムスの2005年3月5日付朝刊に掲載されている。
 
< 沖縄戦の住民犠牲者が、援護法の対象となる「戦闘参加者」として、「該当」するか否か。最終的に決定したのは厚生省だ。その決定に携わっていたのが、沖縄県出身の祝嶺和子さん(77)=静岡県=だ。
 一九八九年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。
 沖縄戦当時、女子師範本科に在学していた。四五年三月、女師、一高女の学生が、看護隊として出陣する集合に、空襲に遭い、祝嶺さんは間に合わなかった。
 大勢の同級生や後輩が「ひめゆり学徒」として、亡くなった。戦後、そのことは「ずっと、頭を離れることはなかった」という。
 多くの友人を亡くし、生き残った元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、五四年、厚生省に入省した。
 沖縄出身ということで「『沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい』と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた」。
 前年から、米軍統治下の沖縄でも、軍人軍属に対して、日本の援護法適用が始まっていた。祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ
 「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」
 当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。
 沖縄の市町村が受け付け、琉球政府を経由して、厚生省に送られる援護の申請資料。防衛隊など軍人軍属への申請書類に目を通していた同僚が、祝嶺さんに、尋ねた。
 「普通のおじさんやおばさんも、軍のために働いたのか」
 沖縄戦では、一般住民が、武器らしい武器もなく、米軍への切り込みを命じられ、日本軍のために弾薬を運び、「集団自決」を強いられた。・・・ (社会部・謝花直美) >
                    ◇
沖縄県出身の祝嶺和子さんは、19584年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。

祝嶺さんは戦後、元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、1954年、厚生省に入省したが、沖縄出身ということで「沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい」と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた。 祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ。

 祝嶺さんは「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」 と証言する。 当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。
集団自決における「軍命」は援護金支給のための方便であり、それを指導した援護課の拡大解釈による強引な援護金支給は、政府主導の公金横領といわれても仕方がない。 だが、結局一連の政府の指導は「集団自決に軍命はなかった」という証明に他ならない
 
「集団自決」は戦時中の特殊な状況の下で行われた事件であり、金城重明氏の例のように、たとえ他人の「自決」に手をかして、本人が生き残ったとしても現在の価値観や法律でこれを裁くことは出来ない。
同じように、実際には存在しない軍の命令を政府指導で捏造し、「援護金」と言う形の公金を横領したことも現在の価値観や法律で断罪できない。
また、これらの「犯罪」を事実上指導・誘導した当時の厚生省、そして現在の厚労省が先輩の行った「過誤」を認めるはずはない。
従って「捏造命令書付き申請書」の存在を認めるはずはない。
 
■石原昌家氏の二枚舌■
集団自決の軍命論争ではいろんな場面で沖縄の識者たちがカメレオンのようにくるくると自説を変えていく例が多い。これを一々論じていたら一冊の本が出来るくらいなのでここでは深く立ち入らないが、援護法の研究者を自認する石原昌家氏の立場は微妙である。
石原氏は「集団自決訴訟」では被告・大江、岩波側を支援し、軍命はあったと主張する。
石原氏は「集団自決」という述語は「強制集団死」と呼ぶべきだと主張し、述語の中に軍命を意味する「強制」を使うなど、徹底した「軍命派」である。
その一方で、沖縄靖国訴訟では原告の遺族側の証人に立ち、「軍命は政府側が住民を靖国に祭るためのに指導した方便」という意味の証言をして、結局は軍命が「政府によって偽造されたもの」(軍命否定)といった自己矛盾の発言をしている。
つまり政府が援護法認定のために、実際は存在してない「軍命令」を、「軍命令があった」と偽って申請するように示唆したというのだ。
もっと具体的に言えば、石原氏は自分の体験も含めて、援護法申請書に「実際はなかった軍命による自決」と書いて出せば、援護金をもらえたと証言しているのだ。
この人物、同じテーマの裁判に首を突っ込んでしまい原告と被告が逆の立場であることをうっかり失念して「オウン・ゴール」をかましたことになる

 



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ニーチェ:事実と解釈を分けないやつはバカ

2023-10-26 11:36:57 | 政治

 

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ニーチェの名言

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

事実と解釈を分けないやつはバカと思われます

 

【おまけ】

安芸高田市石丸市長から学んだこと。

個人攻撃と人格攻撃の混同

個人攻撃personal attack)とは、議論(何らかの係争関係にある会話・対話など)において、相手の発言の内容ではなく、発言者である相手自身を話題にして応答すること。論点のすり替えの一種。

人格攻撃personality attack)。議論におけるルール違反[。個人攻撃によってビジネス上の議論や交渉の本筋から脱線してしまうが、こうしたことを避けて上手に伝達することは教育分野や家族間においてもコミュニケーション上の重要な考え方となる。

一般に、個人攻撃はその行為自体が否定的に捉えられがちである。なぜなら理論に対し理論の欠点をついて反論するのではなく、議論の論旨と無関係に相手の欠点を見出して、それを足がかりに反論をするからであり、その行為自体が理論的とは言えないためである。また個人攻撃に際しては、ある属性から想像する性質があるはずだとするステレオタイプなど、本人の性質とはもはや無関係な理由により、相手を貶めることが行われる部分も、理知的な議論とは相容れない理由となっている。

例えば「お前は日本人ではない(云々)」、「お前は貧乏人である(云々)」と言うパターンがあるが、これらは日本人ではないからといって必ずしも日本語が堪能でないという等式は成立せず、また貧乏人であるから学が無く物事の可否が判定できないとか良いものが解らないという理屈は必ずしも成り立たない。これらの点で、論理として破綻している。加えて、実際に相手が「日本人ではない」や「貧乏人」であることの立証が出来ない限り、それはもはや発言者当人の願望であり、単なる言いがかりである。

そのため、大抵の議論においては個人攻撃をすることは避けられるべきであるとされる。

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アイドル化したエビス記者!【2021年11月~2023年7月】時系列で振り返る「石丸市長vs中国新聞エビス記者」【安芸高田市/切り抜き】

2023-10-26 10:32:08 | 政治

 

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【2021年11月~2023年7月】時系列で振り返る「石丸市長vs中国新聞エビス記者」【安芸高田市/切り抜き】

【勇敢?無謀?】2ヶ月前に取材禁止になった中国新聞エビス記者が石丸市長に煽られ負けて激昂する【安芸高田市/切り抜き】

【石丸市長】中国新聞えびす記者が焦って反撃すると石丸市長に完全論破される…

 

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「恥を知れ」市長vs「発狂」エビス記者、中国新聞の胡子記者が安芸高田市の会見なのに、一方的にまくし立てて石丸市長の言葉を遮る。最終話【石丸伸二市長】

2023-10-26 05:24:40 | 政治

中国新聞胡子記者は2年前からやばい。我慢出来ずに石丸市長が吹き出す。軌跡編①

 

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これは平成22年から令和4年まで私の生活の中で見て聞いて感じた事をメモのつもりで三十一文字にまとめたものです。 一つでもこれはとこれはと思われるものがありましたら幸いです。令和五年一月  

富原盛安(82歳・南城市)

二人目の孫さずかりし我が身にはうれしさも半ば厳しきも半ば

目の前で草刈る我をながめてる己が心を読めるか小鳥

何もない冬のこの道バスの中東風(こち)吹く頃は梅も匂うか

 

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瀬良垣譲二 (糸満市)


わが相棒10円安いとスーパー巡り ガソリン代や100円、200円

キャベツが一個77円と 余りの安さに我びっくり 女房殿と目糞鼻糞

 

■貉(宜野湾市)

安芸高田 市長が新聞フルボッコ 明日は我が身と怯える沖縄紙

中国新聞の胡子記者が安芸高田市の会見なのに、一方的にまくし立てて石丸市長の言葉を遮る。最終話【石丸伸二市長】

この動画は安芸高田市の石丸伸二市長が7月に行った定例記者会見の様子です。第二話では石丸市長の定例記者会見の場で、メディアである中国新聞の胡子記者が食って掛かるという過去見たことない珍場面でした。

しかし、最終話の今作は前回を上回る笑劇となっています。 胡子記者は記者であるにも関わらず論理的に思考することが出来ません。挙句、感情が暴走して石丸市長の会見ですが言葉を遮り、一方的に自己の主張を話続けるという記者としてあるまじき行為に出ます。

しかも、保護者として来た中国新聞次長は一切止める様子もありません。さらに、二人とも日本語のプロである記者にも関わらず、石丸市長が再三丁寧に「問うたことに対してのみ答えて下さい」と言っも一切守ることができません。本当に目を疑うレベルです。 皆さんはこの安芸高田市の会見を見てどう思いますか? 当チャンネルは、今後も広島県安芸高田市の市長である石丸伸二に関する動画を挙げていくのでチャンネル登録も宜しくお願いします!

【関連動画】

第一話

    • 中国新聞次長が胡子記者を庇うも、石丸市長が引きずり出す。メディアに説明責任...   中国新聞次長が胡子記者を庇うも、石丸市長が引きずり出す。メディアに説明責任はない? 第一話【安芸高田市長石丸伸二】

第二話    • 【今年一の珍場面】中国新聞の胡子記者が石丸市長に食って掛かるも空回りしまく...   「【今年一の珍場面】中国新聞の胡子記者が石丸市長に食って掛かるも空回りしまくる。こんな会見観たことないわww

第二話【安芸高田市長石丸伸二】」 #石丸市長 #石丸伸二 #中国新聞 胡子記者 #安芸高田市 #中国新聞 安芸高田市

【石丸市長 vs 中国新聞 胡子(えびす)記者】お引き取り下さい。偏向報道するメディアの取材は拒否します。議員の居眠りの診断書が黒塗りw

 

ご視聴頂きありがとうございます!石丸市長の切り抜きを更新していきます。チャンネル登録と高評価よろしくお願いします。 安芸高田市臨時記者会見(令和4年6月10日)より

【目次】 0:00 動画のハイライト 2:45

一方的な取材内容では? 6:27 中国新聞の取材は拒否 8:43

報道の私物化を正すべき 10:28 議員の居眠りが発端 12:57 議会の暴走が極まった事例

【プロフィール(石丸市長公式サイトより)】 氏名:石丸 伸二(いしまる しんじ) 誕生日:1982年8月12日 経歴: 安芸高田市吉田町生まれ。 吉田小学校、吉田中学校、広島県立祇園北高等学校を経て、京都大学経済学部を卒業。2006年に三菱UFJ銀行へ入社。主に企画部や金融市場部で分析・予測の専門家(アナリスト)として従事する。担当範囲は日本、米国、中国、韓国、中南米などの政治・経済・市場。2014年にアナリストの初代ニューヨーク駐在として赴任し、4年半にわたってアメリカ大陸の主要9ヵ国25都市で活動。 メディア:日経CNBC「朝エクスプレス」、NHK BS1「キャッチ!世界のトップニュース」、TBS「ひるおび!」、フジテレビ「めざましテレビ」などに出演 趣味・特技: トライアスロン、漫画集め、空手、ジャグリング 好きな言葉: "You're never wrong to do the right thing." (正しい行いは迷わずやれ)

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