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■マットベッド⇒3:23
【東風西風】中世世界と米国の法精神
西洋中世史を専門にする阿部謹也氏に、生前インタビューしたことがあった。ご自宅で、一橋大学の研究室で。ある時、話を聞き終わって、現代の米国社会について、「法意識や、町の形成の仕方など、西洋の中世社会にそっくりという印象を受けます」と尋ねると、「その通りです」と答えてくれた。
話はそれだけだったが、この問題をもっと突っ込んで論じているのが、西洋法制史を専門にする山内進氏の『決闘裁判』(ちくま学芸文庫)だ。エピローグの「正義と裁判」で展開している。
山内氏によると、米国の民主主義や個人主義は、西洋の市民の自由や自己救済の伝統を、絶対主義を知らなかったために、中世世界から直線的に発展させたという。そのため可能な限り公権力を頼らず、それを制御する制度と精神を築き上げることに。その一例が武器を保蔵し、武装する権利だ。
この権利は自然権というだけでなく、人の名誉の源泉である武装権の流れを汲(く)んでいて、山内氏は阿部氏の研究を引用し、ヴァージニアの人権宣言などにうたわれた個人の権利も、「西洋封建社会で育まれた」と解説。
米国の裁判で原告と被告、検察官と被告人または弁護士が、平等な敵対者として敵対して争い、裁判官はフェアに進行させる。この当事者主義は中世の裁判が基層にあり、日本の場合は真実の究明を意図する立場で、実体的真実主義というのだそうだ。
(岳)
■民主主義とは何か
GHQが自由と民主主義を日本に指南するため乗り込んで来た1948年から1953年まで、中学校と高校で使われていた教科書がある。
敗戦間もないころ、日本は軍国主義の社会から民主主義国家へと脱皮しようとしていた。「民主主義を知ろう」と、こんな教科書をつくられていた。
民主主義を学ぶには、『民主主義』(文部省・著/角川ソフィア文庫)があるである。
実はこれ、かつて文部省(現在の文部科学省)がつくった民主主義の教科書。教科書といえば、教科書会社がつくり、文部科学省が検定を行い、合格すれば学校現場で使われることになっているが、この本はなんと文部省自らがつくった本なのである。いま考えれば自虐史観の起源と言うこともできる。
当時としては画期的で、いまでも高く評価されているとあって、その復刻版が出たというわけ。その一部を紹介しよう。
「民主国家では、かならず言論・出版の自由を保障している。それによって国民は政府の政策を批判し、不正に対しては堂々と抗議することができる。その自由があるかぎり、政治上の不満が直接行動となって爆発する危険はない。政府が、危険と思う思想を抑圧すると、その思想はかならず地下にもぐってだんだんと不満や反抗の気持をつのらせ、ついには社会的・政治的不安を招くようになる。政府は国民の世論によって政治をしなければならないのに、その世論を政府が思うように動かそうとするようでは民主主義の精神は踏みにじられてしまう」(P141)
「要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまくゆかない。国民が賢明で、ものごとを科学的に考えるようになれば、うその宣伝はたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。高い知性と、真実を愛する心と、発見された真実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任をもって貫ぬく実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と協力と――りっぱな民主国家を建設する原動力はそこにある。そこにだけあって、それ以外にはない」(P147)
やはり、“ひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまくゆかない”のだ。玉城デニー県知事のような人物を県民が選出するのも民主主義のなせる業である。ヒトラーを選出したのもドイツ国民の民主主義の結果ある。
マッカーサー率いるGHQが日本に乗り込んできたとき、アメリカは民主主義の本家のように言われていた。
ところが民主主義の本場は、イギリスであり、アメリカはイギリスの植民地に過ぎなかった。
民主主義の総大将ともいえるイギリスのチャーチルが述べた民主主義論を紹介しよう。
「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除け
これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、
またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだ
民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、
-ウィンストン・チャーチル 下院演説 (November 11, 1947)
https://ja.wikiquote.org/wiki/
その抜粋文(英文)
https://winstonchurchill.org/r
その原文全文(下院での議論全文)
https://api.parliament.uk/hist
「多くの政府形態が試されてきたし、これからも罪と災いのこの世界で試されるだろう。誰も、民主主義が完璧であるとか、すべてが賢明であるとかいうことはない。
実際、民主主義は、時折試みられてきた他のすべての形態を除けば、
最悪の政府形態であると言われています。」
江藤淳の占領期日本の研究の一つである本書は、アメリカがどのように占領期に検閲を行い、その影響が戦後日本の言語空間に影響を与えているのか、一次資料を丹念に調査したものである。この調査によれば、アメリカの行っていた検閲はかなり巧妙になされていたということになるだろう。
というのも、アメリカは日本に「自由」を植え付けるためにやってきたのだが、検閲というものはその「自由」を奪うものに他ならない。「言論の自由」の国であるアメリカが、それを自ら破るという矛盾した行為となる。したがって、検閲の正当性を考え出さなければならないし、巧妙に隠蔽しなくてはならなかったのだ。そのために様々な情報の統制が行われていた。
したがって戦後の日本は、検閲によって言語空間を拘束されていた、いや拘束され続けているということになる。江藤淳は、「いったんこの検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されようになれば、CCDが消滅し、占領が終了したのちになっても、日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部をつづけ、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」と述べている。