3月16日 13時20分
中国の海洋当局は、中国の調査船が16日午前、尖閣諸島の付近の海域に到着し、巡視活動を開始したと発表しました。
中国が巡視活動について、開始後速やかに発表するのは異例のことで、尖閣諸島の領有権を強く主張するねらいがあるとみられます。
中国国家海洋局は、16日、公式のホームページ上で、中国の海洋調査船「海監50」と「海監66」の合わせて2隻が、日本時間の16日午前6時ごろ、尖閣諸島付近の海域に到着し、巡視活動を開始したと発表しました。
この巡視活動について、中国国家海洋局は、定期的な活動であり、法律に基づいて海洋権益を守るもので、尖閣諸島の領有を巡る中国政府の一貫した立場を示すものだとしています。
中国側が尖閣諸島付近の巡視活動を、開始後速やかに発表するのは、異例のことで、尖閣諸島の領有権を強く主張するねらいがあるとみられます。
1隻は日本の領海に入る
2隻の中国政府の船は、16日午前6時ごろ、尖閣諸島の久場島の北東およそ40キロの海域を航行しているのを、海上保安庁の巡視船が発見しました。
2隻は日本の領海のすぐ外側の接続水域を南下しながら航行し、巡視船が無線で警告したところ、「この海域で巡航の任務を行っている。魚釣島などは中国の領土である」と応答があったということです。
その後、このうちの1隻は午前9時半すぎに日本の領海に入って、25分間にわたって航行し、海上保安庁の警告にも応答しなかったということです。
海上保安庁によりますと、中国の船が日本の領海にまで入ってきたのは、ことしになって初めてだということです。
尖閣諸島の周辺では、おととし、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件のあとも、中国政府の船などがたびたび現れています。
先月、日本の排他的経済水域で、海上保安庁の測量船が海洋調査をした際には、中国政府の船が調査の中止を求めてきました。
一方、衝突事件を起こした中国漁船の船長が、検察審査会の議決を受けて強制起訴されたことについて、中国外務省の報道官は15日、「日本は両国の関係を守るという大局に立って、これに反するようなことはすべきではない」と不快感を示していました。
これについて、玄葉外務大臣は、衆議院安全保障委員会で、「中国政府の船が、きょう午前9時38分から10時3分まで、わが国の領海内に侵入したことが確認された。その際、船舶は現場で、尖閣諸島に関する中国独自の主張を行ったほか、巡航任務を行っていると主張していたと承知している」と述べたうえで、16日午後、外務省の佐々江事務次官が、中国の程永華駐日大使を外務省に呼んで、抗議したことを明らかにしました。
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⇒テレ朝【動画】中国船2隻が日本の領海侵入 尖閣諸島付近を航行(03/16 14:55)
他国の領土を土足で踏み荒らし、警告を受けると「ここは中国の領土だ」と開き直る。 無法者国家が他国を侵略するときの常套手段である。 もう一つの常套手段は他国の内部に工作員を潜伏させ、その国は「中国の解放軍を心待ちしている」といった「世論」を形成することだ。
今回の八重山教科書問題で、竹富町教委が国である文科省の指導を振り切って、「尖閣諸島は中国の領土である」という中国の主張をそのまま掲載した教科書を、自腹を切ってまで採択した。しかも「竹富町の反乱」は沖縄2紙が全面的視支援したが、これに加えて地元紙の八重山毎日も全面支持しており、さらには県教委も「竹富の反乱」を支持している。
これらの事実を八重山地区の反乱と捉え、とりあえず尖閣近海を領海侵犯し、教科書の記載通りに「尖閣は中国の領土である」と主張したら慶田盛竹富町教育長は何と答えるつもりなのか。子どもたちにはどう説明するのか。
さらに異例尽くめの今回の「中国船の領海侵犯事件」だが、それにも増して驚くのはこれを報じる沖縄タイムスのベタ記事である。
社会面の中段に「中国の公船が一時領海侵犯 尖閣沖」という目立たないベタ記事を押さえ、社会面トップは過激派学生のカリスマといわれた吉本隆明氏の死亡に関する大見出しが躍っているのには驚いた。
吉本氏の死去については一面を含む計3面を使って特集を組む有様である。
主な見出しを拾っただけでもこの通りである。
沖縄問題 心寄せた論客
吉本隆明さん逝く 県内から悼む声
最高のお父さんでした
バカバカしいのでこれ以上は省略するが、大江健三郎氏や故筑紫哲也氏もそうだったが、佐野愼一氏が指摘する「大文字言葉」(「おまけ」2参照)で沖縄に迎合する人物に対しては沖縄紙は押しなべてこのような最大限の賛辞を送るものと、いまさらながら感じ入った今朝の沖縄タイムスである。
慶田盛竹富町教育長の文科省に対する反乱を、「八重山地区の反乱」と捉えた中国軍が「領土奪還」のため解放軍を派遣するという話は決して荒唐無稽な話しではない。
沖縄メディアが一昨年、「明治期の琉球処分は、日本帝国主義の琉球侵略の結末であり、無効である」といったキャンペーンを展開したが、実際明治の琉球処分の時、中国(清朝)に援軍を求めた故事を面々と書き綴ったコラムがある。
中国を母国と考える工作員新聞・沖縄タイムスの本音が垣間見える名コラム?をしつこく紹介する。
<黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった▼実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった(略)▼日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それから百余年が経過し、あれほど待ちわびた援軍をも敵と間違うところに今の位置があるのか。(略)>(2005年5月16日 沖縄タイムス[大弦小弦])
【おまけ】
産経新聞・【産経抄】3月17日
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真夜中の不気味な揺れでたたき起こされた。寝ぼけまなこでテレビのスイッチを入れると、各局とも字幕で震度を伝えてはいたが、NHKは録画撮りのニュース解説を中断せず、某民放はふだん通りに芸能ニュースをやっており、逆にほっとした。
▼目がさえてゴソゴソしているうちに吉本隆明さん死去を知った。学生運動華やかなりし頃、一世を風靡(ふうび)した「共同幻想論」から「脱原発」批判まで、大衆から遊離した権威が大嫌いだった彼については書きたいことがヤマほどあるが、きょうはへそ曲がりだった吉本さんに敬意を表して別の話を書く。
▼尖閣諸島がいよいよ危なくなってきたのだ。きのう朝、中国の海洋監視船が尖閣諸島沖の領海を侵犯したが、今までとかなり様相が違う。中国の国家海洋局が、「定期的な巡視活動だ」とただちに発表、国営の新華社通信が速報したのが何よりの証拠である。
▼中国には、日本や欧米では当たり前の「報道の自由」がない。チベットや台湾など中国の国益に直結するニュースは、共産党が記事や映像を厳しくチェックし、都合の悪い情報は公にされることなくボツにされている。
▼そんな閉ざされた情報環境で、新華社が尖閣沖の「巡視活動」を速報した意味はひとつしかない。東日本大震災の復興に手間取り、消費税増税問題で与党内がゴタゴタしている野田政権の隙をつき、本気で尖閣諸島領有の布石を打とうとしているのだ。
▼お隣の北朝鮮もまたぞろ長距離弾道ミサイルを発射しようとしている。そんなきな臭い空気の中、民主党の元大臣が成算もなく北の高官に会おうとしているのは、どういう了見か。政府の無策と政治家の無定見は、真夜中の地震より怖い。
【おまけ】2
『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』佐野眞一著
「はじめに」より
沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。だが私から言わせれば、ほとんどが“被害者意識”に隈取られた“大文字”言葉で書かれており、目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぽえる。
沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。
渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。
だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。
沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。そこには、沖縄の歴史を一九四五(昭和二十)年六月二十三日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである。
大江や、これに同調する筑紫哲也の話題が出るたび、心ある沖縄人たちから「われわれを“褒め殺し”するのも、もういいかげんにしてくれ」という台詞が出る場面に、私は幾度となく遭遇した。
こうした跪拝意識に“大文字言葉”が加わって、沖縄は米軍に占領された被支配者の島である、といった左翼宣伝ビラでもいまどき書かないようなプロパガンダ本が、うんざりするほど生産されることになった。
“大文字言葉”とは何か。いい機会なので、ここで私がよく便う「大文字」と「小文字」の違いについて、少し噛み砕いて述べておこう。
「So what?」という英語の慣用句がある。私流に訳せば「それでどうしたの?」という意味である。私が言う[大文字」言葉とは、聞いたときにはわかったような気にさせるが、あとから考えると「So what?」という疑問がわく言葉のことである。
テレビに登場するコメンテーターが口にする一見もっともらしい発言は、だいたい[大文字」言葉だと思って間違いない。私は彼らのおごそかな口調の割には無内容なコメントを聞くたび「雨が降るから天気が悪い。悪いはずだよ、雨が降る」という俗謡を思い出してにが笑いする。
彼らは同義反復しているだけで、実は何も言っていないのに等しい。何かを言っているように聞こえるのは、彼らの顔や仕草を見て、こちらが情報を補ってやっているからである。
これに対して「小文字」とは、活字だけで世界がくっきり浮かび上がる言葉のことである。それは小さい声ながら、有無をいわせぬ力で読者をねじふせる。
物事を「説くにには「大文字」言葉が便利だが、物事を「語る」には「小文字」言葉を身につけなければならない。「語って説かず」。それがノンフィクションの最大の要諦だと、私は常々言ってきた。
■■講演会のご案内■■
テーマ 「ウチナー口の起源」 Ⅱ
講師:ドキュメンタリー作家 上原正稔氏
会費: 1000円 (希望者のみ会費制懇親会あり)
とき: 平成24年3月24日 (土) 午後3時~
ところ: 那覇市西2-12-14
学校法人 ゴレスアカデミー
日本文化経済学院 3階ホール
連絡先:098-865-3230
■■講演会のご案内■■
藤原正彦氏 沖縄講演会
演題「二十一世紀を担う沖縄の若者たちへ」
■日時:平成24年3月17日(土)12時開場・受付 開演13時~15時
■場所:かりゆしアーバンリゾート・ナハ(6階ニライカナイの間)
■会費:2,000円 500席 (全席自由席)