ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

年の瀬

2007-12-29 12:47:57 | 生活
一昨日、姫路からフェリーで瀬戸内海に浮かぶ小豆島に
渡り、昨日深夜に帰宅した。

「小豆島」さて、これで一体なんと読むのか?

私は、つい先日まで本気で「こまめじま」かと思っていた。

答えは「しょうどしま」である。そんなのは当たり前だと
言われそうであるが、私は瀬戸内海の島の名前なんぞ、
淡路島くらいしか知らないのであった。
重ねて、ここが香川県であることも、全く知らないのであった。
また、惜しくも1日中雨で、せっかくの景色も台無しなのであった。
とはいっても、遊びに行ったわけではないのが、せめてもの
救いである。

まあ、そんなことはいいとして、本日は12月29日である。
多くの方は、すでにお正月休みに入っていることであろう。

今日は家族そろって「大掃除」という方も多いのではないか?
また、お正月をふるさとで過ごす方々の帰省客も大勢いること
であろう。海外で過ごす方々の出国も今日、明日がピークに
違いない。デパ地下もお正月食品の買い物客で大賑わいなはずである。

年の瀬の日本は、お正月気分のせいか、皆が浮足立っているようで、
なかなか良いものである。

そのような中、私は一人寂しくお店の「大掃除」である。
腰がちと痛いが、1年の汚れを落とさねば…。

私のお正月休みまで、あと1日である。
まずは、心ゆくまで眠りたい。



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カンブリア宮殿

2007-12-12 08:04:11 | 生活
「カンブリア宮殿」

時々見る、好きなテレビ番組の一つである。この番組は
様々な企業の経営者に様々な質問を投げかけ、成功の秘訣や
企業理念、経営ノウハウなどを伺うというような、公開討論
番組的な内容のものである。司会は作家の村上龍となぜか、
グラビアアイドルの小池栄子である。

先日は、楽天の三木谷社長であった。人柄も爽やかで、まさに
青年実業家と呼ぶにふさわしい好人物である。
彼曰く「会議は説明をする場ではなく、物事を決定する場である」
従って、楽天の会議はものの数十分で終わると言う。前日までに
出席者全員が資料を読み、出席するそうで、これなどは見習うべき
企業も多いのではないか?と感じた。

終盤、司会の村上龍がおもしろい質問をした。
「三木谷さんにあって堀江貴文にないものとは…」というような質問
だったと思う。

果たして、その答えは…

当たり障りの無い、一般論で答えられてしまったが、質問自体はナイス
な質問であった。
もう少し、つっ込んでほしかったが、村上龍もなかなかやるではないか?
(台本通りかもしれないが…)

その昔1989年頃、深夜に村上龍司会の「ryus bar」というお酒を
飲みながらのトーク番組があった。毎回ゲストを呼んでの対談番組
であったが、彼の司会は大変お粗末で、言葉が出てこないせいか、
しばし沈黙が流れることも多々あったと記憶している。それに比べれば、
大変な進歩である。
すでにあれから10年以上の年月が経っているので、当然と言えば
当然であるが…

それにしても、裁判中ではあるが、元経営者であるホリエモンや村上
ファンドさんは、毎日一体何をしているのだろう。
次の事業への下準備か、それとも反省の日々か、はたまた、いかにして
減刑を勝ち取る為の秘策を思考中とか…

しかし、なんとなくだが、この「カンブリア宮殿」を見ている気が
してならない、と思うのは私だけか…。




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問題児

2007-12-06 14:07:42 | 生活
昨日、右の足の親指を大怪我してしてしまった。

重い物を載せている台車に、ついうっかり足を挟まれて
しまったのが原因である。

「痛かった」、いや「痛すぎた」、いやいや「痛いなんてものではなかった」

病院は大嫌いだが、仕方なく7年ぶりに病院へ行った。
まず、レントゲンを撮り骨に異常がないのを確認してから
治療をするのだが、痛いのと傷口を見るのが嫌で治療中は
目をつぶり、顔を背け、時々痛いので控えめだが「オーッ」と
叫び声をあげてしまっていた。これはあくまでもそういう体質
だからである。

しかし医者は真顔で、「そんな、大げさな、たいした事ないですよ」
と鼻で笑いながら言い放ったのである。

ムカついた。

たいしたことがあるから来ているのである。「お前は医者で他人だから
そんな呑気なことを言っていられるのだ、他人の痛みがわからないなんて
あんたは医者失格だ」と言ってやりたくなったが大人なので堪えた。

近頃は病院もサービス業になったなどと言われるが、そんなことに
少し疑問を感じた反面、看護婦さんや受け付けの方々らはとても親切で、
感じが良かった。感じが悪かったのは、肝心な医者である先生ただ一人
である。

やはりこの国の、「先生」と呼ばれる人たちに問題児が多いのは
政界をはじめ、教育、医療と業種を変えても同じなのかもしれない
と、ふと感じた昨日であった。





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冬来たる

2007-11-24 07:55:27 | 生活
一咋日、調べものがあって日本貿易振興会(JETRO)行った
時のこと、パソコンでほしい情報を入手してプリントアウト
すると一枚につき30円かかるという。

こちらは、とある国の企業のホームページを約100社ほど
検索していて、帰宅してからしっかり見ようと、とりあえず
社名とホームページアドレスだけを、ひかえようと思っていた。
ワードかエクセルにコピーすれば一枚に収まると踏んでいたが、
ところがどっこいジェトロのパソコンにはこういうものは
入っていないのである。

1社づつコピーすると100社で3000円である。高い。
もったいないので、必死に手書きで写して帰った。
一枚30円をケチる私もセコイが、ワードやエクセルを使用
させないジェトロもかなりセコイのではないか…。

近頃は、世知辛い世の中になったものである。

このところめっきり寒くなってきた。
本格的に冬到来である。
少し前まで、例年より暖かかったせいか、妙に寒さが身にしみる
今日この頃である。

どこか暖かい南国にでも行きたいな。



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物事の本質

2007-11-22 09:43:37 | 生活

とあるアジアの国の人と、日本人との会話である。

アジアの国の人:「なぜあなたはそんなに働くのだ?」

日本人:「会社で出世してよい給料をもらう為だよ」

アジアの国の人:「出世して良い給料を貰ってどうするのだ?」

日本人:「家族の為に家を買うんだ」

アジアの国の人:「家を買った後は、どうするのだ?」

日本人:「その後は、老後にのんびり、好きなことをして過ごすんだ」

アジアの国の人:「なーんだ、そんなことなら、俺はずっとのんびり
好きなことをして暮らしてるよ」

「一生懸命働くのは、少しでも良い暮らしをしたいからである」
というのは、ある意味当然である。

では、「良い暮らし…」とは一体何なのか?

人によっても異なるだろうが、完全たる物欲に満たされた
生活の先にあるものは…

おそらく「退屈」である。

自分が目指すものの先にある「本質」をもう一度考え直してみると、
そこに到るまでのプロセスが、もっと短縮化できるのかもしれない。



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世の中は広い

2007-11-19 18:02:20 | 生活
昨日と一昨日は、年に一度の在庫処分市と言うことで、昨年から
恒例となった催事に参加させていただいた。
(アジアのお店の在庫処分です。)

翻訳会社経営の友人夫婦のツテであるが、その日は泊めていただき、
友人の友人らも多数集まり、久しぶりにぎやかな一夜を過ごした。

皆それぞれ個性の強い方ばかりで、どちらかというと日本社会から
少しはみ出ている方が多く(人のことは言えないが…)そこには、
ブラジル人やアメリカ人もいて、プチインターナショナルな楽しい
集まりでもあった。

人にはいろいろなタイプの人間がいるのは、当然のことであるが、
昨日はあらためてそれを実感することになった。

「イチゴは、皮を剥いて食べる」「キュウイは、種を取って食べる」

こんな人もいるのである。

世の中は実に広い…。

今朝、出勤途中、電車の中で景色を見ていると、周囲が全体的に
霞んでいる。「今日は曇りか」などと思いながら、うとうと寝てしまった。
40分後、電車を降りる頃になって、ハッとメガネをかけ忘れている
ことに気がついた。

良く見直すと、今日は快晴であった。

こんなこともあるのである。

世の中は実に広い…。


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早起き

2007-11-07 22:49:17 | 生活
昨日、久しぶりに風邪をひいた。

正確に言うとひき始めで、薬を飲んで11時間睡眠をして
一晩でなんとか完治した。しかし、たまには病気でなくて
も早めにぐっすり眠るのは、良いことのような気がしている。

ぐっすり寝た日は、目覚ましの音もワンコールで止められる
ほど、翌朝の目覚めが良い。

今日は早朝から仕事であったが、顔に当たる冷たい空気が
さわやかで気持ちが良かった。

こんなのは、何年ぶりだろう。

「たまには仕事でなくても、早起きしよてみようかな」と
思った朝であった。

(しかし決して早起きできないことを、本人が一番良く知っている。)






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これが、私のダイエット

2007-10-29 07:55:41 | 生活

昨日、メタボリックシンドロームについて書いてみた。
そこで今日は、昨年初めて試みたダイエットについて
の結果を少々お伝えしたい。

一昨年の年末に里帰りをした際、久しぶりに会った母親に
「太ったわね」と言われたのをきっかけに、年始から一日一食
ダイエットを始めた。スタート時の体重は67キロである。

とりあえず、朝と昼を抜き、夜だけは普通の量を食べる。
もともと朝食は食べない習慣なので、基本的に昼抜きの感覚である。
午後2時くらいになるとさすがにお腹が空くが、ミントキャンディー
を常に携帯して紛らわしていた。しかし、2ヶ月経ってもわずか
1キロ程度しか落ちず、少々落胆するも我慢して継続する。

変化が現れたのは、3ヶ月目の後半ぐらいからだろうか?
一気に体重が落ち始め、気が付くと5キロ減の62キロになっていた。
この時ダイエットを始めて4ヶ月目である。それからは1ヶ月で2キロ
程づつ落ちていき、始めてから6ヶ月目で58キロまで落ちた。
半年で9キロのダイエットである。

正直、それほど辛くなく、「ダイエットなんて簡単だ」と思っていた。
世間一般では、なかなか痩せられず、様々な方法を試している方々が、
多いと聞いていたが、「要は気力の問題ではないのか」と鼻で笑って
いた節があった。

が、しかし、その頃から体の調子が優れなくなった。いつもなんとなく
だるいのである。何をやっても力が入らず、疲れやすくなり、休日も
外出する気にならなくなった。また夏の暑さとも重なり、疲労感が
ピークだった時は人と話すのも、おっくうであった。こうなるともう
「軽いうつ状態」である。

さすがに怖くなり、無理してでも食べることにしたが、あれほど大好き
だったお肉や揚げ物が、最初は食べられなくなっていた。徐々に量を
増やしていき、秋になり涼しくなると、以前と変わらず食べられる
ようになった。その後、自然と体のだるさもなくなり、体調は以前に
戻っていった。その時の体重が62キロであった。

こういうのを、まさに「無理なダイエット」と言うのだろう。

完全にアホであった。

病院に掛かることなく済んだから良いものの、遊び感覚で始めた
ダイエットで、とんでもない事になるところであった。

自分がやってみて言うのも何だが、できるならダイエットなど、
すべきではないような気がする。多少の肥満なら、愛嬌でカバー
できるものである。すでに肥満が末期状態の方のみ、すれば良い
のではないかと思う。

そして、痩せたいのなら、絶対に運動して痩せるべきである。

健康的に痩せるには、これに尽きるような気がしている。



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メタボ

2007-10-28 07:59:17 | 生活
 「メタボ」「メタボリックシンドローム」

最近、いやちょっと前から良く耳にする言葉である。

簡単に言うと内臓脂肪の蓄積により、インスリンの働きの
低下が起こり、糖尿病、高血圧などの動脈硬化の危険因子が、
一個人に集積している状態を言うそうである。

要は「内臓脂肪の多い人は、病気になりやすいぞ」とでも理解
しておけば良いだろう…?

概して、医学用語は難しいものであり、私などは、文字を見ただけで
理解する以前に挫折してしまうタイプである。簡単をさらに倍くらい
にして頂いて、ちょうど良いくらいである。

先日、その診断基準となるウエストの値に異論が相次いだことを受けて、
日本肥満学会は「男性は85センチ以上、女性は90センチ以上」という
従来の基準が「妥当」との結論を出した。とのことである。

私のウエストサイズは確か、71センチほどだったと記憶している。
と言うことは、まだ14センチも余裕があるではないか?
最近、めっきりお腹が出てきたようで、ちょっと気になってはいたが
これでひと安心である。ケーキバイキングにも、心置きなく行けそう
である。

思い起こせば、最後にケーキバイキングに行ってから、すでに5年が
経っている。あの時は普通サイズのケーキを14個食べて、吐きそうに
なった。ギャル曽根から見たら「屁たれ」であろうが、今の年齢を考え
ると、おそらく10個が限界であろう。

まあ、食べれるうちが花である。そして、食の秋でもある

健康に充分気を使いつつ、食を楽しみたいものである。


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私の生きる道

2007-09-05 08:01:43 | 生活


昨日は久しぶりの休みであった。
実にお盆開けの16日から数えて20日ぶりのことである。

今日は何もしないと決めて、1日中ゴロゴロしながら
本でも読んで…と思っていたが、こんな時しか行けない
銀行やら、買い物やらと結局、半日はのんびり出来ずじまい
であった。

時折テレビをつけると、どこのチャンネルでもニュースでは、
農水大臣の辞任問題が大きく報道されていた。
3人連続の不祥事ともなると、さすがに安倍さんの運も尽きた
ような気がしなくもない。

その昔、「政治家に正直や清潔を求めるのは、八百屋で魚を
くれと言うのに等しい」と言った大臣がいた。
当時は田中角栄のロッキード事件の頃で、四半世紀も前になるが
今の時代とは、我々が政治家に求めるものが異なるのであろう。
昔の政治家は、倫理観も価値観も我々民衆とは、かけ離れたところに
あったようだ。政治さえしっかりやってくれれば、多少に事は多めに
見てくれる風習が一般的であった。

それが今の政治家は、物事を我々庶民と同じ物差しで計られてしまう。
当然と言えば当然なのであるが、「政治家だからって特別扱いは許さないぞ」
、と国民の目は厳しくなるばかりであるような気がする。

まあ、これも時代の変化なのだろう。
変化に適応できない者は、取り残される。
それは政治の世界も民間の世界も同じである。

つくづく生きていくのに厳しい時代になったものだと思う。

時代に左右されない生き方なんてあるのかどうか、わからないが
常にわが道を行きたいと、思う今日この頃である。


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