数年に一度こんな話を聴く事があります。
曰く、「今までのどの先生より親身になって話を聞いてくれた。」「おかしいと思っていたんだが、居なくなると困るから。」「もう村内のものだから...。」
わたくしの古里も山峡の無医村でしたから、医者が身近にいる事がどんなに心強いものかを肌身に感じています。医者を誘致するために、避暑地に良くあるテニスコートを潰し、そこそこ立派な診療所と住居を用意したのを目の当たりにしてますから。村のお年よりは無論、誰一人誘致された医師に批判的なことを言う人はいませんでした。村の診療所のお陰で手遅れにならず重い病気を早期発見できたと、NHKのドキュメンタリーに紹介されたのは、わたくしが里を離れた十数年後、それも小中学校を共にした幼馴染の父親のことです。
西川美和の描く僻地診療所は、現実、正しくこの通りなのです。当然、偽医者ではありませんけれど。
医療は機械的な大病院の中や、秒を争う救命救急の現場ばかりがクロースアップされがちですが、この映画では本当の医療(人が人を癒すという事)とは何ぞや!と言う直球を投げかけられます。
但し、それだけの映画なら野心的なTVプロデューサーあたりが企画しそうでしょ。西川監督の凄いところは、前作「ゆれる」と同じで人間の不明瞭な心のゆれを描いてしまうとこなんです。主人公の医師が失踪した後に暴かれた事実を、身近に接した人々がどのように心の整理をしてゆくのかを見せます。今こんな心のゆれを見せてくれる映画作家は見当たりません。「ゆれる」よりも作為的でなかった分、わたくしは「ディア・ドクター」の方が好きです。
鶴瓶がいい役者であることは、「母べぇ」で見せた演技において実感しておりましたので、それほど驚きませんでした。今作の喜びは、余貴美子の堂々たる名演技を堪能させてもらった事です。緊急処置に対応できない医師を偽者と見破りながら、救命のために的確な指示を出す場面がありますが、あのシーンでアップなった目の強さを忘れる事が出来ません。「私は知ってる。でも、その事を公にしてこの村から医者を無くしてどうする?」あの眼は一瞬にして我々観客に訴えました。映像の勝利です。他のいかなる媒体においてもあの表現はかないません。八千草薫や井川遥の使い方も上手でした。
最近の若手女流監督作品に今ひとつ疑問符のわたくしですが、西川美和作品だけは別格です。
今年になってはじめての収穫ある作品にめぐり合えました。
曰く、「今までのどの先生より親身になって話を聞いてくれた。」「おかしいと思っていたんだが、居なくなると困るから。」「もう村内のものだから...。」
わたくしの古里も山峡の無医村でしたから、医者が身近にいる事がどんなに心強いものかを肌身に感じています。医者を誘致するために、避暑地に良くあるテニスコートを潰し、そこそこ立派な診療所と住居を用意したのを目の当たりにしてますから。村のお年よりは無論、誰一人誘致された医師に批判的なことを言う人はいませんでした。村の診療所のお陰で手遅れにならず重い病気を早期発見できたと、NHKのドキュメンタリーに紹介されたのは、わたくしが里を離れた十数年後、それも小中学校を共にした幼馴染の父親のことです。
西川美和の描く僻地診療所は、現実、正しくこの通りなのです。当然、偽医者ではありませんけれど。
医療は機械的な大病院の中や、秒を争う救命救急の現場ばかりがクロースアップされがちですが、この映画では本当の医療(人が人を癒すという事)とは何ぞや!と言う直球を投げかけられます。
但し、それだけの映画なら野心的なTVプロデューサーあたりが企画しそうでしょ。西川監督の凄いところは、前作「ゆれる」と同じで人間の不明瞭な心のゆれを描いてしまうとこなんです。主人公の医師が失踪した後に暴かれた事実を、身近に接した人々がどのように心の整理をしてゆくのかを見せます。今こんな心のゆれを見せてくれる映画作家は見当たりません。「ゆれる」よりも作為的でなかった分、わたくしは「ディア・ドクター」の方が好きです。
鶴瓶がいい役者であることは、「母べぇ」で見せた演技において実感しておりましたので、それほど驚きませんでした。今作の喜びは、余貴美子の堂々たる名演技を堪能させてもらった事です。緊急処置に対応できない医師を偽者と見破りながら、救命のために的確な指示を出す場面がありますが、あのシーンでアップなった目の強さを忘れる事が出来ません。「私は知ってる。でも、その事を公にしてこの村から医者を無くしてどうする?」あの眼は一瞬にして我々観客に訴えました。映像の勝利です。他のいかなる媒体においてもあの表現はかないません。八千草薫や井川遥の使い方も上手でした。
最近の若手女流監督作品に今ひとつ疑問符のわたくしですが、西川美和作品だけは別格です。
今年になってはじめての収穫ある作品にめぐり合えました。