忘れないことが同じ苦しみを繰り返さないことの方策だとすれば、この日記はわたくしのために残しておく価値があるのかな?
そう思ってコロナに苦しんだ三週間を記録する
8月7日
職場でのコロナ感染発症の一報あり
他人事のように早朝から田舎に帰って釣り糸を垂れていた
8月8日
コロナ感染の続報
該当の感染者とは6日に会話していた
我が事とは思えず毎日釣りと温泉の日々を満喫している
午後から肋間神経痛を思わせる胸の痛みが始まる
夕方から夜中にかけて痛みで眠れず、予定より早く12日夜半1時過ぎに横浜への帰路につく
高速道路運転中も間断なく襲ってくる痛みに悪態つきながら夜明け前に自宅到着
8月12日
職場でクラスター発生の連絡
夕方、検温の報告をする為体温測ると37.5の発熱
相変わらず胸の痛みは酷く、もしかしたらと覚悟する
8月13日
PCR検査受けるため早朝に電話するが、お盆休みでもあり受診できる医院は2箇所しかない
受診できたのは車で20分ほどのクリニックでそれも夕方6時ごろ
解熱剤と胸の痛み止めを処方され帰宅
薬を飲むと胸の痛みは楽になる
お握り食べられる程の食欲あり
8月15日
感染結果連絡あり
高熱が続くわけでも無く、胸の痛みは熱い風呂に浸かると和らぐので我慢できるレベル
素麺のように喉越しが良いものを欲する
8月17日
熱も上がったり下がったりを繰り返し、胸の痛みも続く
味覚障害が出てきて食欲はない。ゼリーと梨や桃しか食べられない
酸素飽和度は96程度あるけど息苦しさが出てきた
夜うまく眠れず辛い
ウトウトすると悪夢が襲ってくる
8月18日
薬が切れそうなので薬局から配達してもらう。助かる
1日3回の処方だけど痛みに我慢できず5回も解熱剤を飲む
お粥を二食したが、もう食べられない
味覚障害より、嗅覚障害に我慢ができない。炒め物の匂いやトイレの芳香剤、風呂の香りにも嫌悪
8月21日
余りに苦しいのでコロナ119へ電話するが看護師が手薄なので我慢するよう言われるだけ
酸素飽和度が93切るようになって本気でヤバイ感じがする
無理してゼリーと経口補水液で薬を飲む
眠ると悪夢が繰り返し訪れ、夜が辛い。だからといって朝から始まる苦しい1日を思うと絶望的だ
8月22日
今朝もコロナ119へ入院要請するがもう少し自宅療養で頑張れと突き放される
酸素飽和度91なのに死なないのか
意識して息をしないと酸素が身体に入っていかない
8月23日
夜、5時間程まとまって眠れたので少しだけ楽になる
食欲まるでない。1日が長い
8月25日
保健所から自宅療養終了の連絡。本当に大丈夫か?
ウイルス拡散させない事と体調の回復はリンクせず
微熱も続き食欲は無く睡眠もまとまって取れない
息苦しさは増してるように感じるけど
8月26日
夕方近所のコンビニまで歩いてみる
小さな子が母親と手を繋いでいる姿に涙が出る
8月27日
外を歩くと風が気持ちいい
秋が近いことを感じる
8月29日
肉を食べる
味はともかく生きることは食べることだと実感する
8月30日
息苦しさの中久し振りに出勤する
独居老人なら死んじゃうな
わたくしは近年これほどまでに奥様に感謝の念を抱いたことはない
奥様は喘息持ちなんで基本的にはわたくしの近くに寄りつきたくはなかったろうけど
LINE通じて水一杯から食事の世話までずっとやってくれた
彼女がいなけりゃ死んでいた
何しろ一日も早くワクチン打つこと
人ゴミをなるべく避けること
自分が出来ることをやっても感染は免れないかもしれないけど、こんなに苦しまなくても良かったかも知れない
唯一救いであったのは二次感染を防げたこと。職場クラスターの最終感染者であった、偶然にも夏休みに突入したからわたくしから他の誰かに伝播することはなかった。故郷の両親と弟はすでにワクチン接種済みだったから唯一濃厚接触者だったけど発症しなかった。家族には発症が具体的になってからの接触だったから隔離して距離を置くことができた
二度とあの苦しみを味わわないように。自分も周辺の近しい人も