半年におよぶ朝ドラも含めて、夏ドラマが終わった。
近年稀に見る豊作のシーズンだった。そのどれもが違った工夫がなされていて見飽きることは無かった。
「この世界の片隅に」
最後まで現代パートの蛇足感は否めなかった。香川京子まで引っ張り出したのだからそれなりの結末になるのだろうと期待しながら観ていた。まさかスズさんがカープ女子?とは。最近相次ぐ水害被害で疲弊している広島への応援メッセージと捉えれば二重の意味もあるだろうけど。
原作とも映画とも違っていて良かったのは、スズさんと同年代である隣組若妻等との友情描写だろうか。当初は嫌味な嫌われキャラかと思った幸子のぶっきら棒でありながら滋味のある思いやりが心にしみたし、出征したままの夫を待つ志野がつぶやく「いいなぁ...」には胸が詰まる。戦地から戻った夫の胸に飛び込む姿には安堵した。この二人がいるからスズさんの日常は嫁ぎ先の庭からほんの少しだけ解放される。岡田脚本の上手いところだ。
伊藤蘭と田口トモロヲの舅姑も存在感があり、物語に深みを与えることに成功していた。そして、回を追うごとに重さを感じさせるのが塩見三省演じる老人だ。戦争の悲しみを全て内服したような眼差しには説得力がある。尾野真千子演じる小姑と二階堂ふみ演じる遊女は別格としても、子役から婦人会の面々にいたるまで贅沢な好演だった。その頂点に松本穂香と松坂桃李がいる。
当初心配された、のん=スズの幻影はもうどこにも無い。松本穂香がおっとりしゃべる広島弁は肉体を持つだけに耳になじむようになった。数多くの映画やTVドラマで端役をこなしながらも存在感を高めてきた彼女が、この大役を成功させたことでどんな女優になってゆくのか楽しみである。
TBSの本気度が伝わるスタッフ・キャストで、堂々たる横綱相撲だったと評価したい。
「チア☆ダン」
結局JETSには勝てなかったけど、今年の暑さはROCKETS20人が躍動した夏として気持ち良く終われた。再三青春スポーツ物の王道だと評してきたけれど、最後までそのテイストが貫けたのは正解だったと思う。観ているこちらも奇を衒った筋立てや演出を期待していないし、鉄板だが予定調和な作風を期待している。主要メンバーが週代わりに悩み活躍する姿を楽しめればいいのだ。女性アイドルグループを応援する心境に似ていて、サブキャラも含めれば可愛い女の子が20人もいるのだから、所謂押しメンを選ぶのも楽しかろう。
彼女たちの中から(土屋太鳳は別格として)次のヒロインが生まれてくる可能性を感じた。
舞台が地方であり、方言が最後まで耳に心地良かった。見慣れた東京や横浜の背景に標準語しかしゃべらない若者ばかりのドラマにはもうウンザリだ。
深い余韻とかは全く無いけど、夏のドラマはこうあって欲しいと願う。
「透明なゆりかご」
当初観る予定は無かったけど、観続けて良かった。
海辺の小さな産院で繰り返される毎日を見習い看護師の少女目線で捉えたこのドラマはNHKでしか出来なかっただろう。ほぼ毎回受け渡される命の欠片(小さなビン)、バイクで回収に来るおじさんに見習い看護師が渡す際につぶやく「じゃあね」。来院する大人だけじゃなく、現場で働く当事者(看護師)の妊娠や子供の性暴力にまでメスを入れた脚本と演出の強さには感嘆せざるを得ない。見習い看護師が産院の医師や先輩看護師に道標を与えられるだけではなく、子供を産もうとする妊婦や赤ちゃんからも生きることの素晴らしさ荘厳さを教えられる。そしてそれが、自分の母親との確執を徐々に溶かす太陽のような役割をしているのも心憎い作劇だった。
最終回はお母さんの胎内では生きられても、産まれることで生き続けることが叶わない赤ちゃんと夫婦のドラマだった。小さな棺に入った赤ちゃんに見習い看護師がつぶやく「でも、透明な子じゃなかったね」。中絶という選択が良いとか悪いとか、生命の尊厳が云々とか言い始めると胡散臭い話になるけど、少女の目線で理想と現実を語ればこんなにも素直に感動できる。それがドラマの一番大切な役割だ。
正式にナースキャップを冠した清原果耶は急に大人っぽくなり、このドラマを経てかなり成長したように感じた。
「義母と娘のブルース」
尻上りに視聴率が上昇し、第二の逃げ恥とも期待された。個人的にはそこまでとは思えないけど、新しい家族のあり方を乾いた笑いの中で描いたことは評価すべきだろう。最近流行の一話完結系のドラマではなく連ドラの典型ではあったが、一部二部と区切りが明確になっているのは新しい試みだったし、今後踏襲されてゆくのではなかろうか。本ドラマは特別にリレーが上手くいった好事例だった。昨今の視聴者を10話飽きさせないで繋ぎ止めるのはかなり難しいから、盛り上がりを途中に作ることの出来る二部構成は苦肉の策かもしれない。
成功のポイントは森下佳子の脚本力であることは間違いないけれど、やはり一番の功労者は綾瀬はるかだろう。TV版「世界の中心で愛をさけぶ」「仁」2作は森下=綾瀬だったから、野木=新垣ペアのような親和性があるのだろう。それ故に少々現実離れした主人公を綾瀬はるかは嬉々として演じているように見受けられた。演出家(監督)と役者の相性は昔からよく言われたことだけど、脚本家と役者にも色濃くあるのだと最近のドラマを見ていると強く思う。まあ、アテガキをするのだろうから役者という素材を良く知ってさえいれば、余程演出がミスらなければ面白い人物が造形されるだろう。
娘みゆきが義母に言う「世間ではそれを愛って言うんだよ」の台詞は秀逸だった。
「半分、青い」
半年に及ぶ朝の連続テレビ小説は、名古屋単身赴任中のよりどころだったけど、昨年の2作は観ることなく終わった。朝ドラは習慣性の強い嗜好品みたいなものだから、止めてしまえばそれなりに口寂しくても我慢できてしまう。
「半分、青い」を観ようと思った理由は三つ。
①脚本が北川悦吏子であること。②ヒロインが永野芽郁であること。③舞台が知り合いの多い東濃地方であること。半年間欠かさず観て、その三つはとても満足のいくものであった。
脚本が優れていた点。先ずスピーディーな展開(中盤はやや急ぎすぎた感はあるけれど)。端折る所は徹底的にカットしていたので、だれる感じが無かった。人物設定と配置も良くできていた。岐阜編は王道の家族構成だったし、ふくろう会の四人も仲睦まじかった。東京の漫画家編もバランスの良い配役で楽しかった。難点の百均レジと結婚編がくれぐれも残念だったけれど、あれが無いとカンちゃんは生まれていないから差し引き0か。最終週に震災絡みの話になり、ちょっと詰め込み過ぎたきらいがある。何でもかんでも皆んなハッピーとはいかないが、唐突な感じが残る終わり方だった。同じく震災を扱った「あまちゃん」と比べると厚みが違い、見劣りがした。
やっぱり北川脚本の凄いところは心揺さぶられる切ないラブシーンだ。鈴愛と律が近づいてまた離れてゆくいくつかのシーンは強い印象を残した。七夕の短冊に書かれた夜、夏虫駅のホーム、木曽川での水切り。その延長上に毛布に包まれた二人のキスシーンがある。
題名の(半分)というのも深いなぁと感心しているところだ。
近年稀に見る豊作のシーズンだった。そのどれもが違った工夫がなされていて見飽きることは無かった。
「この世界の片隅に」
最後まで現代パートの蛇足感は否めなかった。香川京子まで引っ張り出したのだからそれなりの結末になるのだろうと期待しながら観ていた。まさかスズさんがカープ女子?とは。最近相次ぐ水害被害で疲弊している広島への応援メッセージと捉えれば二重の意味もあるだろうけど。
原作とも映画とも違っていて良かったのは、スズさんと同年代である隣組若妻等との友情描写だろうか。当初は嫌味な嫌われキャラかと思った幸子のぶっきら棒でありながら滋味のある思いやりが心にしみたし、出征したままの夫を待つ志野がつぶやく「いいなぁ...」には胸が詰まる。戦地から戻った夫の胸に飛び込む姿には安堵した。この二人がいるからスズさんの日常は嫁ぎ先の庭からほんの少しだけ解放される。岡田脚本の上手いところだ。
伊藤蘭と田口トモロヲの舅姑も存在感があり、物語に深みを与えることに成功していた。そして、回を追うごとに重さを感じさせるのが塩見三省演じる老人だ。戦争の悲しみを全て内服したような眼差しには説得力がある。尾野真千子演じる小姑と二階堂ふみ演じる遊女は別格としても、子役から婦人会の面々にいたるまで贅沢な好演だった。その頂点に松本穂香と松坂桃李がいる。
当初心配された、のん=スズの幻影はもうどこにも無い。松本穂香がおっとりしゃべる広島弁は肉体を持つだけに耳になじむようになった。数多くの映画やTVドラマで端役をこなしながらも存在感を高めてきた彼女が、この大役を成功させたことでどんな女優になってゆくのか楽しみである。
TBSの本気度が伝わるスタッフ・キャストで、堂々たる横綱相撲だったと評価したい。
「チア☆ダン」
結局JETSには勝てなかったけど、今年の暑さはROCKETS20人が躍動した夏として気持ち良く終われた。再三青春スポーツ物の王道だと評してきたけれど、最後までそのテイストが貫けたのは正解だったと思う。観ているこちらも奇を衒った筋立てや演出を期待していないし、鉄板だが予定調和な作風を期待している。主要メンバーが週代わりに悩み活躍する姿を楽しめればいいのだ。女性アイドルグループを応援する心境に似ていて、サブキャラも含めれば可愛い女の子が20人もいるのだから、所謂押しメンを選ぶのも楽しかろう。
彼女たちの中から(土屋太鳳は別格として)次のヒロインが生まれてくる可能性を感じた。
舞台が地方であり、方言が最後まで耳に心地良かった。見慣れた東京や横浜の背景に標準語しかしゃべらない若者ばかりのドラマにはもうウンザリだ。
深い余韻とかは全く無いけど、夏のドラマはこうあって欲しいと願う。
「透明なゆりかご」
当初観る予定は無かったけど、観続けて良かった。
海辺の小さな産院で繰り返される毎日を見習い看護師の少女目線で捉えたこのドラマはNHKでしか出来なかっただろう。ほぼ毎回受け渡される命の欠片(小さなビン)、バイクで回収に来るおじさんに見習い看護師が渡す際につぶやく「じゃあね」。来院する大人だけじゃなく、現場で働く当事者(看護師)の妊娠や子供の性暴力にまでメスを入れた脚本と演出の強さには感嘆せざるを得ない。見習い看護師が産院の医師や先輩看護師に道標を与えられるだけではなく、子供を産もうとする妊婦や赤ちゃんからも生きることの素晴らしさ荘厳さを教えられる。そしてそれが、自分の母親との確執を徐々に溶かす太陽のような役割をしているのも心憎い作劇だった。
最終回はお母さんの胎内では生きられても、産まれることで生き続けることが叶わない赤ちゃんと夫婦のドラマだった。小さな棺に入った赤ちゃんに見習い看護師がつぶやく「でも、透明な子じゃなかったね」。中絶という選択が良いとか悪いとか、生命の尊厳が云々とか言い始めると胡散臭い話になるけど、少女の目線で理想と現実を語ればこんなにも素直に感動できる。それがドラマの一番大切な役割だ。
正式にナースキャップを冠した清原果耶は急に大人っぽくなり、このドラマを経てかなり成長したように感じた。
「義母と娘のブルース」
尻上りに視聴率が上昇し、第二の逃げ恥とも期待された。個人的にはそこまでとは思えないけど、新しい家族のあり方を乾いた笑いの中で描いたことは評価すべきだろう。最近流行の一話完結系のドラマではなく連ドラの典型ではあったが、一部二部と区切りが明確になっているのは新しい試みだったし、今後踏襲されてゆくのではなかろうか。本ドラマは特別にリレーが上手くいった好事例だった。昨今の視聴者を10話飽きさせないで繋ぎ止めるのはかなり難しいから、盛り上がりを途中に作ることの出来る二部構成は苦肉の策かもしれない。
成功のポイントは森下佳子の脚本力であることは間違いないけれど、やはり一番の功労者は綾瀬はるかだろう。TV版「世界の中心で愛をさけぶ」「仁」2作は森下=綾瀬だったから、野木=新垣ペアのような親和性があるのだろう。それ故に少々現実離れした主人公を綾瀬はるかは嬉々として演じているように見受けられた。演出家(監督)と役者の相性は昔からよく言われたことだけど、脚本家と役者にも色濃くあるのだと最近のドラマを見ていると強く思う。まあ、アテガキをするのだろうから役者という素材を良く知ってさえいれば、余程演出がミスらなければ面白い人物が造形されるだろう。
娘みゆきが義母に言う「世間ではそれを愛って言うんだよ」の台詞は秀逸だった。
「半分、青い」
半年に及ぶ朝の連続テレビ小説は、名古屋単身赴任中のよりどころだったけど、昨年の2作は観ることなく終わった。朝ドラは習慣性の強い嗜好品みたいなものだから、止めてしまえばそれなりに口寂しくても我慢できてしまう。
「半分、青い」を観ようと思った理由は三つ。
①脚本が北川悦吏子であること。②ヒロインが永野芽郁であること。③舞台が知り合いの多い東濃地方であること。半年間欠かさず観て、その三つはとても満足のいくものであった。
脚本が優れていた点。先ずスピーディーな展開(中盤はやや急ぎすぎた感はあるけれど)。端折る所は徹底的にカットしていたので、だれる感じが無かった。人物設定と配置も良くできていた。岐阜編は王道の家族構成だったし、ふくろう会の四人も仲睦まじかった。東京の漫画家編もバランスの良い配役で楽しかった。難点の百均レジと結婚編がくれぐれも残念だったけれど、あれが無いとカンちゃんは生まれていないから差し引き0か。最終週に震災絡みの話になり、ちょっと詰め込み過ぎたきらいがある。何でもかんでも皆んなハッピーとはいかないが、唐突な感じが残る終わり方だった。同じく震災を扱った「あまちゃん」と比べると厚みが違い、見劣りがした。
やっぱり北川脚本の凄いところは心揺さぶられる切ないラブシーンだ。鈴愛と律が近づいてまた離れてゆくいくつかのシーンは強い印象を残した。七夕の短冊に書かれた夜、夏虫駅のホーム、木曽川での水切り。その延長上に毛布に包まれた二人のキスシーンがある。
題名の(半分)というのも深いなぁと感心しているところだ。