モーニング娘。絶頂期のライブを観に横浜アリーナへ行ったことがある。
一昨年嫁いだ娘がファンだったから家族全員で出かけたのだが、たかがアイドルコンサートだと舐めていたのにすっかりオヤジが夢中になってしまった。ステージの完成度が高く、ショービジネスを良くわきまえたライブだった。確かその中にデビューしたての松浦亜弥のソロステージもあったように記憶している。
彼女も三人の子持ちらしい。時は流れているのだとあらためて思う。
毎年(残念ながら昨年は中止)近所の大きな公園で野外音楽フェスが行われ、地下から必死に抜け出そうと頑張っているアイドルグループのステージを観ているが、必ず熱い応援をしているドルヲタと呼ばれるお兄ちゃんたちがいる。アイドルの子たちを観ているよりよっぽど面白いので、彼らの写真を撮っていると一緒に応援しようと誘われたりもする。その行為がヲタクと呼ばれても、何かに夢中になれることは素敵だなといつも思うのだ。
この映画にそんなヲタクの生態を面白くそして切なく描写してくれたらと期待していたのだけど少し当てが外れた。
NHK夜ドラの傑作「だから私は推しました」みたいなものを欲していたから残念な感想しか書けないけど、あの頃を懐かしむ一部の人にとっては心に染みる作品になっているのだろうか。
毎年(残念ながら昨年は中止)近所の大きな公園で野外音楽フェスが行われ、地下から必死に抜け出そうと頑張っているアイドルグループのステージを観ているが、必ず熱い応援をしているドルヲタと呼ばれるお兄ちゃんたちがいる。アイドルの子たちを観ているよりよっぽど面白いので、彼らの写真を撮っていると一緒に応援しようと誘われたりもする。その行為がヲタクと呼ばれても、何かに夢中になれることは素敵だなといつも思うのだ。
この映画にそんなヲタクの生態を面白くそして切なく描写してくれたらと期待していたのだけど少し当てが外れた。
NHK夜ドラの傑作「だから私は推しました」みたいなものを欲していたから残念な感想しか書けないけど、あの頃を懐かしむ一部の人にとっては心に染みる作品になっているのだろうか。
それにしても仲野太賀ここのところ映画にドラマに出ずっぱりだな。
知的障害のある同僚から、嵐が来る前に摘み取ったからと渡されたコスモス。雨風の吹き込む小さな部屋で、握りしめながら息絶えた短い男の一生。そんな人生でもすばらしき世界の一片だと思えればこの作品に寄り添える。
一般的に刑務所暮らしをしたことがある人間には偏見が付きまとう。額面上は刑期を終え罪を償ったのだからリセットされなければいけない。それでも世間はそんなに寛容ではないし、わたくし個人的にもよっぽどその人となりを理解していなければ近寄ろうとは思わない。
統計的によく言われるように、一度罪を犯した人の再犯率は高いようだ。世間に疎まれる孤独感からくる再犯もあるだろうけど、根本的にはその人そのものの資質だと思う。殆どの人は思い通りにならなくとも我慢し努力して生きている。そんな些細な事が出来ず他人に迷惑かけるなら、何らかのペナルティを課せられても仕方がないことだ。前提として犯罪を犯した人の更生を信じないわけではないが、我がことの様に親身になる事は出来ないというのが本当の気持ち。
今度こそ真人間になるのだと固い決意で出所した男に待ち受ける冷たく高い壁。それでも、保護司夫婦(この人たちは分かったうえで面倒見ているんだから当たり前か)やケースワーカー(これも仕事ではある)スーパーの店長、ノンフィクションライター等が差し伸べる温かい手によって生きてゆく一歩を掴んだかに思ったのだが・・・
人と人の繋がりはそんなに捨てたもんじゃないよと肯定的に解釈したけれど、一連の西川美和作品に潜む悪意みたいなものも垣間見えるのだ。
保護司だって可愛い孫が遊びに来ていれば、面倒臭い男の相談にいちいちのってはいられない。入所前に所帯を持っていた妻は別の家庭を作って小学生の娘さえいる。生き別れた母親を探す番組との前振りだったテレビ制作者は、男の暴力を写すことで視聴率が取れると目論んでいる。
粗野で狂暴な性格だけど正義感が強いって、相反するようだけど役所広司が演じれば同じ町内会には一人くらいいるように錯覚するから凄いもんだ。介護の仕事仲間が知的障害者を虐めるシーンが最後にやってくるけど、今までなら正義感で暴れまわっただろうに、世間的な普通の人として見なかったことにする。そうにして自分の居場所を確保することで、自分より弱い誰かを隅に追いやる。切ないけどこれも現実。
手放しで褒めていいばかりじゃないのは、長澤まさみ演じる視聴率第一主義のテレビ制作者を何故もっと厭らしく描かなかったのか。安田成美演じる元妻は安心して自分の娘をヤクザ上がりの男に会わせることができるんだろうか。階下に住む外国人労働者との接点も薄味で拍子抜けだ。西川監督作品の悪意を前述したけど、この辺をもう少しダークに観せて欲しかった。
最後になるが、同時期に公開されている「ヤクザと家族」との設定が類似していると意見されている。確かに良く似た内容でどちらも秀作だから比較したくなる気持ちはわかる。
わたくしはどちらかと言えば、役所広司主演の今村正平監督作品「うなぎ」を思い浮かべていた。浮気していた妻を刺し殺し服役していた男が、獄中で身に付けた技術を活かし辺鄙な町で床屋を営み、保護司はじめ近隣の人々と馴染む中で愛する女と出会い再生してゆこうとする話だ。世界的な巨匠の作品(パルムドール受賞作でもあるし)と比べるのは酷かもしれないが、西川監督にもこんな映画にしてもらいたかったとの思いもある。
二月中旬、冬ドラマも中盤を迎えたところでそれなりの感想を
「おちょやん」
杉咲花は朝ドラヒロインにドンピシャだなと毎日感心して観ている。漸く本題の役者修行の話になってきて、舞台をつくり上げるために皆の力を合わせるプロセスが面白い。朝ドラはヒロインの一代記を描くことが主眼ではあるけれど、やっぱり群像劇の中で成長してゆく姿が一番感動的だと思う。多分今のパーツもその内終焉を迎え新しい世界に飛び込む事になるんだろうけど、できるならこのままのノリを崩すことなく最後まで進んで欲しい。
「ウチの娘は、彼氏が出来ない‼︎」
あの北川悦吏子だって、もうキュンキュンするようなシナリオは書けないってことなんだと、毎週痛ましい思いで観続けている。象印の意味と娘の出自に何か曰くがありそうだからこの先の展開にもう少し付き合おうと思ってはいるけど、菅野美穂演じる小説家ママの色恋沙汰には全く興味そそられないし、浜辺美波の娘がトキメイテいる整体師もなんか違うかな。きっと最後はマンガヲタク仲間の彼に落ち着くんだろうけど、設定がヲタク娘ならもっとその辺をデフォルメしないとドラマに膨らみが生まれない。福原遥の拗らせ女も面白いキャラだけど、中村雅俊のおじいちゃんとはあり得ないので結局元サヤということになるのだろうか。オーソドックスに母娘の人情噺で終わらせるか、幼馴染の沢村一樹とじれったいような中年ラブストーリーに的を絞った方が良いように思う。
野木亜紀子を意識してか、徹子の部屋のパロディなんかもブチ込んできたけど、先端を捉えていた北川悦吏子の枯渇が侘しく感じる。
「天国と地獄」
中盤に来てようやく入れ代りに慣れてきた。二人とも上手い役者だから、こちらが違和感を払拭できさえすれば物語に集中できる。何故入れ代わりが起きたのかという謎解きよりも、猟奇的な殺人事件の真実に焦点はあてられ始めているのもミステリードラマとしては正解だ。どうやら真犯人は高橋一生演じる日高ではなさそうだし、綾瀬はるかの女刑事綾子とのバディ感みたいなものまで感じさせてきている。まあ、そうならないと入れ代わりドラマとしては成立しないので、やっとそこまで来たかという気もしているが。森下佳子脚本なので散らばった主要キャストがどんどん纏りを深め事件解決へと向かっていくんだろう。北村一輝のライバル刑事のかかわり方も楽しみになってきた。
確か日高はゲイだとの触れ込みがあったので、綾子のパートナー柄本佑演じる陸に注ぐ目線とかが面白い伏線として用意しているのであれば今日的ではある。それにしても綾瀬はるか、春には36歳になろうとしているが、いい女になったなとしみじみ思う。男と入れ代ったことで声のトーンを低く抑えているのも不気味さを醸し出しているし、ドレスアップした本来の美しさはある程度年齢を重ねないと出せない魅力でもある。
「にじいろカルテ」
三話で安達祐実演じる若年認知症主婦を取り巻く人々のエピソードは、岡田惠和ドラマらしくてとても好感が持てたのに、それ以外ははっきり言って酷い出来だ。あんなに実力のある役者を揃えたのにこんなドラマを作っていたんじゃ、テレビ朝日のドラマは敬遠されても仕方がない。最後まで観続けられる自信がないな。
「俺に家の話」
このシーズン一番のドラマになるのは間違いなさそうだ。設定の特異性だけで話のスカスカなドラマを観せられることの多い中、ちゃんと家族を描くことができているのが良い。認知症の父親との確執や兄弟との軋轢なんかもベースに描かれているからメルヘンの国のお話になっていないし、そうかといって暗く重たい雰囲気にならないのが宮藤官九郎の真骨頂だろう。父親の一番弟子だと思っていた男が、実は腹違いの兄弟だと新たな展開になってきた。腹黒そうな介護士の動向に気を取られていたけど、やっぱりそんな単純な話じゃなくなりそうだ。主人公長瀬智也の息子との親子関係も含めて家族の話は二転三転しそうだ。
個人的に好きなのはクドカンお気に入りの荒川良々演じるケアマネージャーと、江口のりこの旦那でラッパーのラーメン店経営者。
「モコミ」
このドラマもちゃんと家族が描かれている。だからとても小さなお話だけどみんなリアリティがあるんだ。モコミの特殊能力は裏を返せば異端者でもあるわけで、昨今の多様性を重んじる時代の流れをつかんでいるともいえる。家族同士でもなかなか分かり合えないこともあるのだから、ましてや利害の一致しない他者と柔軟な関係を築くことはとっても難しいことで勇気のいることなのかもしれない。インターネットの普及により現実感の薄れた人間関係に追い打ちをかけるようなコロナ禍での生活環境は潜在的なモコミを生みだしているし、そういう異端を糾弾しようとする悪意はなくとも富田靖子演じる母親のような思い込みや花屋の店員が表す不満感を誰しも持っている。