大雨をもたらした秋雨前線が通過していくのに合わせるように新潟県村上市まで墓参りに行ってきました。
村上・間島間の鉄道は不通になっており、線路下の土が流されていて、復旧まで1ヶ月弱かかる見込みだそうです。
暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったもので、気温も30度を切り、過ごしやすい天候でした。
農協の直売所で、おにぎりを買って食べました。
岩船方面の水田では、コシヒカリがまだほとんど残っていました。
新潟市周辺ではほとんど刈り取りが終わっています。
明日から、晴れが続くようで、一気に収穫が進みそう。
夜の気温が下がって散歩に丁度良くなりました。
寝る前に散歩をするとほどよく疲れて眠りの質がよくなるかなと思ってでてみました。
関屋大橋を渡っていると、上流にある平成大橋が見えます。
仕掛け花火にように水面に映るライトが美しい。
関屋分水手前で、川幅が広いところもポイントです。
久しぶりに、まともな気温で過ごせた日でした。
秋晴れの下、散歩をしているイラストをAIに描いてもらいました。
まだ、紅葉には早いですが、紅葉していないイラストを注文しても描けませんでした。
仕方がないので、ヒツジ雲の下で散歩をしているイラストを描いてもらいました。
いやいや、ヒツジ雲って、こうじゃないでしょう。
外国ではヒツジ雲といわないのか?
では、イワシ雲の下でお願いします。
いや、いや、生臭いだろ、これ。
傘を差しても大して効果ないでしょ。
昭和40年代中頃、過激派の学生に狙われ、名誉も誇りもなく、安月給の軍隊もどき自衛隊。
著者のそこでの体験をもとに、面白おかしく、そしてお涙頂戴で描かれた陸上自衛官たちの連作短編集となります。
町で声をかけられ、訳も分からないうちに誘拐拉致のように入隊させられた社会のはみだし者たちが、理不尽な暴力と拘束のために自衛隊に染められていきます。時に見せる上官のやさしさまでも暴力的で、今ならパワハラではすまないでしょう。
しかし、拳で語ろうぜ! の一昔前の少年漫画のノリで泣かせてくるタイプの話です。
軍隊は、娑婆と同じ価値観で勤まるものではなく、それは経験した者にしかわからないでしょう。ある意味、(軍隊では)暴力も正義なのです。
そんな中で、個性的な面々がみせる自衛隊からの脱走計画は、個々に違っていてそれがおもしろいのです。
徴兵制がない日本では、このような書籍で、軍隊内部の生活を垣間見るしかないですからね。
わたしには、こういう生活は絶対に合わないですが。
3ヵ月毎の歯科検診に行ってきました。
洗面所が暑くて、雑な手入れになっていたので、心配していたのですが、前回と変わりなしでした。
重点的に手入れをするところも明確になったので、次は、今回より良くなるように頑張って磨きたいと思います。
最高気温28.7度と、猛暑が和らいだ日でしたが、関屋浜の浜茶屋で飲んできました。
生ビールと焼きそば、冷やしキュウリ、豆アジ唐揚げ等で、潮風を感じながら、まったりしてきました。
このくらいの気温が快適ですね。
海は人も疎ら。最近は、海水浴よりプールの方が人気だと言うことです。
卒業が間近なのに、卒論の準備をまったく行っておらず焦っている夢を見ました。
定年退職したばかりなのにね。
仕事でやった試験研究を卒論に転用できるかな? レベルが違いすぎて、それは無理だろう! とか考えてました。
時系列がバラバラでおもしろい。
まだまだ、発展途上人で、成長の余地があるということだと解釈しました。
第二の人生の出発地点だということです。
まだ、歩き出している実感がわかないので、あせっているのですね。
とにかく、歩き出そう。
最初の一歩を踏み出そう。
小学6~高校3年生までサイクリング車に乗っていました。そのときは、変速機を使わず、登りだろうが下りだろうが、最も重いギアに入れっぱなしで乗っていました。そのため、チェーンが伸びて何回も詰めてもたったし、ペダルを踏み折ってしまったこともありました。
変速機はいらないもとと思っていて、その後は変速機なしの自転車に乗っていました。
そして、この春に購入したクロスバイクは変速機付きです。
還暦をすぎて、高校生のころより確実に体力が低下しているので、一番重いギアで漕ぐのは無理というものです。
しかも、上り坂になるとギアを軽くしないと苦しい。また、平地だと重くしないと加速しない(笑)。
60年生きて、やっと変速機のありがたさを知りました。