亡くなったニコラス・ローグの最高作はデビッド・ボウイ主演の『地球に落ちて来た男』(76)だろうが、彼の監督作でメモが残っていたのはこちら。
『ジェラシー』(1982.6.21.蒲田パレス座。併映は『ミッドナイトクロス』)
深夜のウィーン、薬物自殺を図った女(テレサ・ラッセル)が病院に運び込まれる。付き添いの男(アート・ガーファンクル)は、刑事(ハーベイ・カイテル)から事情聴取を受ける中、彼女との日々を回想する。原題は「バッド・タイミング」。
これは男に対する女の復讐劇か。男を散々振り回し、未練を断ち切れない男の前で自殺を図りながら、しっかりと一命をとりとめ、意識のない自分を犯した男を告発する。この魔性の女を演じたラッセルと、刑事なのに怪しさを発散するカイテルが素晴らしい。
この映画、過去とも現在ともつかない展開を見せるのだが、迷うことなく引き込まれた。それは愛というものの不確かさや不条理が的確に描かれていたためか。その象徴として映るクリムトやエゴン・シーレの作品、そこに流れるキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」が印象に残った。
進行性の筋ジストロフィーを患いながら自立生活を送り、堂々と自己主張をしながら生き抜いた鹿野靖明(大泉洋)。彼と彼の日常を支え続けた大勢のボランティア(通称ボラ)の姿を、実話を基にユーモアを交えながら描く。キャッチコピーは「体は不自由、心は自由」だ。
この映画は、鹿野とボラたち(三浦春馬、高畑充希ほか)が、互いに影響を与え合いながら変化していく、出会いの物語。やがて鹿野とボラは疑似家族のようになっていく。
見る側も、最初はタイトル通りにボラをこき使う鹿野を見ながら、「何だこのわがままな男は」と反感を抱くが、やがて鹿野のポジティブな生き方やボラの献身ぶりに胸打たれ、彼らに感情移入していくようになる。つまり観客も映画を見ながら変化していくのだ。
前田哲監督は「鹿野の命懸けで真剣な生き方を知ってもらうためには、観客がなじみやすいコミカルさを交えて間口を広げ、彼が生きた証を残したい」と考えたという。それだけに、この手の映画によくある“お涙頂戴式”にはせず、あくまでもエンターテインメントとして描いた姿勢に好感が持てた。
そして、それが実現できたのは、ひとえに大泉の好演があればこそ。スタッフは「鹿野を演じられるのは大泉洋しかいない」と考えたというが、同じ道産子だから、言葉遣いもごく自然に聞こえることに加えて、人たらし、にじみ出るおかしみ、人に何でも頼める率直さ、わがままもなぜか許せてしまう得な性格、という鹿野のキャラクターは、大泉自身とも重なる部分が多い。大泉にとっては、一世一代の当たり役と出会ったと言ってもいいのではないか。
『嵐が丘』(39)(1993.1.4.)
「嵐が丘」と呼ばれる古い館に養子として引き取られたヒースクリフ(ローレンス・オリビエ)は、ジプシーの血を引く野生児だった。やがて彼は、館の娘キャシー(マール・オベロン)と身分違いの恋に落ちるが…。原作はエミリー・ブロンテ。監督はウィリアム・ワイラー。
ドイツ系移民のワイラーの映画を見れば見るほど、その奥底に、舞台や文学への傾倒や、アメリカ人のヨーロッパコンプレックスが描かれていることが分かってきたのだが、このイギリスの悲恋文学の古典を映画化したものを見ると、ワイラーの映画に共通する、ある側面が浮かび上がってきた。それは、人間の持つ冷徹さや残酷さ、裏切りや怨念といったものを作品に内包させることだ。
例えば、この映画同様に、製作者サミュエル・ゴールドウィンと組んで撮った『孔雀夫人』(36)『この三人』(36)『デッド・エンド』(37)、ベティ・デイビス主演の『黒蘭の女』(38)『月光の女』(40)『偽りの花園』(41)、戦後の『女相続人』(49)『探偵物語』(51)『黄昏』(52)『噂の二人』(61)『コレクター』(65)と、そのフィルモグラフィを見てみると、ワイラーがジョン・フォードやフランク・キャプラのようなハートウォームものをほとんど手掛けていない事が明らかになる。
そして、オードリー・ヘプバーンと組んだ『ローマの休日』(53)と『おしゃれ泥棒』(66)こそがワイラーにとっては異色作であったことに気付かされるのだ。ただ、フォード同様に、ワイラーもまた“映像の魔術師”であり、監督としての堂々たる力量の大きさを示して、救い難く、重過ぎるドラマを、名作にしてしまうところがすごいのである。
ローレンス・オリビエのプロフィールは↓
マール・オベロンのプロフィールは↓
パンフレット(50・太陽洋画ライブラリー)の主な内容
解説/梗概/原作者エミリイ・ブロンテのこと/ローレンス・オリヴィエ、マール・オベロン、デイヴィッド・ニヴン、ジェラルディン・フィッツジェラルド/嵐ヶ丘の背景について(山本恭子)/嵐ヶ丘のメモ(岡俊雄)/鑑賞講座 映画「嵐ヶ丘」について(田村幸彦)
ウィノナ・ライダー、キアヌ・リーブス4度目の共演作。セリフがあるのはこの2人だけ。中年になった2人がとにかくしゃべりまくる。「こんなウィノナ、キアヌ、見たことない」という感じで、少々スパイスが効き過ぎの感もある。大笑いではない、失笑、苦笑を誘発する異色作。
『映画の森』と題したコラムページに「11月の映画」として5本を紹介。
独断と偏見による五つ星満点で評価した。
古書を巡るミステリー『ビブリア古書堂の事件手帖』☆☆
凶悪なダークヒーローが登場『ヴェノム」』☆☆☆
ロックバンド・クイーンの軌跡『ボヘミアン・ラプソディ』☆☆☆☆
若者投資グループによる詐欺事件『ビリオネア・ボーイズ・クラブ』☆☆☆
シーツをかぶった幽霊の摩訶不思議な物語『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』☆☆
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WEB版はこちら↓
https://www.kyodo.co.jp/national-culture/2018-12-18_1958421/
『長い灰色の線』(54)(1987.7.4.)
ウェスト・ポイントにある陸軍士官学校の教官マーティ・マー(タイロン・パワー)の半生を、妻(モーリン・オハラ)との生活を中心に綴る。監督ジョン・フォード。
士官学校が舞台なので、ストーリー的にはあまり好きになれない映画なのだが、『わが谷は緑なりき』(41)にも見られた、劇中で亡くなったり、去っていった人々を、ラストで再び登場させるというカーテンコールの絶妙のタイミングに毎度やられる。ずるいぞ、センチメンタルだぞ、などと思いながらも、何度見ても“フォードの魔法”に魅せられてしまうのだ。
タイロン・パワーのプロフィール↓
モーリン・オハラのプロフィール↓
パンフレット(55・東宝事業課(日比谷映画劇場 No55-1))の主な内容
「長い灰色の線」の魅力(双葉十三郎)/かいせつ/この映画に主演の二人タイロン・パワー、モーリン・オハラ/ジョン・フォードとその周囲(潮義正)/ものがたり
『ララミーから来た男』(55)(1992.1.19.)
殺された弟の復讐を果たすべく、ニューメキシコにやって来たロックハート(ジェームズ・スチュワート)は、真相究明のためにある男を捜し回るが…。
アンソニー・マン監督、スチュワート主演という名コンビの一作。これまた一風変わった西部劇に仕上がっていた。先に見た『裸の拍車』(53)に続いて、ここでも、痛めつけられた結果、怒りが爆発する主人公の姿が描かれているからだ。それを演じるのが好漢スチュワートというギャップも面白い。スチュワートはこうした役の積み重ねが、後の『シェナンドー河』(65)の父親役に通じていったのだろう。
また『裸の拍車』では5人の登場人物のそれぞれのドラマを絡ませ、この映画では主人公の犯人捜しに、ドナルド・クリスプ親子の愛憎劇や、アーサー・ケネディ扮する牧童頭の苦悩や恋といったドラマを巧みに絡めている。このコンビの映画は、本筋にさまざまな横糸を絡ませて、味わい深いものにするのが特徴のようだ。
ジェームズ・スチュワートのプロフィール↓
アンソニー・マンのプロフィール↓
パンフレット(55・国際出版社)の主な内容
かいせつ/ものがたり/ジェームス・スチュアート/アーサー・ケネディ、キャシイ・オドネル、ドナルド・クリスプ、アリーン・マクマホーン、ウォーレス・フォード
『俺が犯人(ホシ)だ!』(55)(1983.8.23.)
刑務所から出所したロイ(ジャック・パランス)は、堅気になることを望むが、強盗の腕を買われ、シエラ山系にあるホテルの売り上げ金強盗計画に加わることになる…。ラオール・ウォルシュ監督の『ハイ・シエラ』(41)のリメイク作。監督はスチュアート・ヘイスラー。プログラムの表紙はシェリー・ウィンタース。
東京12チャンネル「昼の映画劇場」で珍しい映画が放送された。製作は1955年。今からおよそ30年前の映画である。従って、ストーリー云々よりも、出てくる俳優(ジャック・パランス、シェリー・ウィンタース、リー・マービン、アール・ホリマン…)の若き日の姿の方に目が行ってしまった。
ストーリーはハードボイルドタッチだが、犯罪の手口や、犯人(パランス)の人物描写を見ると、古くささを感じさせられるのは否めない。追われる身であるにもかかわらず、あまりにも犯人が堂々と、のんびりし過ぎていて、われわれがこの手の映画に求めるハラハラドキドキが薄いのである。
まあ、30年という時の流れを思えば、最近のスピーディーな犯罪映画と同一線上で考えてしまう方がおかしいのかもしれないが…。
ジャック・パランスのプロフィール↓
シェリー・ウィンタースのプロフィール↓
パンフレット(56・外国映画社)の主な内容は
解説/この映画の監督スュチアート・ハイスラー/製作ウィリス・ゴールドベック/物語/この映画の原作・脚本W・R・バーネット/ハイスラー=パランス=ウィンタース(槇由起雄)/ジャック・パランス、シェリー・ウィンタース
『勇者のみ』(51)(1992.1.9.)
舞台は、南北戦争直後のニュー・メキシコ。卑怯者の烙印を押された騎兵隊の大尉(グレゴリー・ペック)が、インディアンとの戦いを通じて汚名を返上するまでを描く。
図らずも、こうした旧作を見れば見るほど、もう真っ当な西部劇は作れない、という事実を思い知らされてしまう。例えば『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)を見た後でこの映画を見ると、ペック演じる主人公がインディアン相手に騎兵隊員としての尊厳を必死に守ろうと努力する姿を見せられても、素直にうなずけないし、ハッピーエンドにも空しさを感じてしまう。
もちろん、それは時代差が生んだ感慨であり、そんなふうに昔の映画を見たら、面白くないのは分かっているのだが…。多くの西部劇が描いた、騎兵隊=正義、インディアン=悪という図式は、今見るとつらいものがある。
パンフレット(52・国際出版社)の主な内容
解説/梗概/出演者素描グレゴリイ・ペック、バーバラ・ベイトン、ロン・チャニイ・ジュニア、ウォード・ボンド/「欲望という名の電車」紹介
『静かなる男』(52)(1990.7.)
故郷のアイルランドの小さな村に戻ってきた元ボクサー(ジョン・ウェイン)が、一人の女性(モーリン・オハラ)に恋をしたことから巻き起こる騒動を描く。
初めて目にするノーカット、字幕スーパー版。ジョン・フォードお得意の詩情あふれるストーリー展開、ウィントン・ホックの見事なカメラワーク、ジョン・ウェインの男ぶりの良さ、モーリン・オハラの美しさ、脇役たちの妙味…。そのどれもが、今や再現不可能な夢の世界である。年月を重ねるほど、この映画は輝きと味わいを増すようだ。
パンフレット(53・東宝事業課(有楽座 No53-5.))の主な内容
解説/物語/Star Memoジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、バリイ・フィッツジェラルド、ヴィクター・マクラグレン、ミルドレット・ナトウィック、ワード・ボンド/美しき緑と愛蘭の微笑 静かなる男の風土(友田純一郎)/ジョン・フォードと「静かなる男」/「静かなる男」の楽しさ(菊田一夫)