みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

秘花

2008年05月22日 | 
瀬戸内寂聴「秘花」読了。
能聖と呼ばれる「世阿弥」の半生を通して語られる、女史の老境だろうか。85年の歳月を通して、女史の中で育まれた言葉たちが、すがすがしく響いてくる。

しかし、結局、題字のとおりではないけれど、終盤の肝心なところは、秘されていたような・・・。文字通り、秘すれば花か・・・。

能のことは、からきし分からないけれども、ここで語られていることは、広く芸の世界にあてはまるだろうか?目指すは、花と幽玄をたたえたピアノ?ん~、無理だなあ・・・。少なくとも、ブログで駄文を書き連ねているうちは。

古語や和歌の素養があると、もっと面白く読めるんだろうな・・・。

そうだ、将来の夢は、ピアノを弾きつつ花咲か爺さんになることかもしれない。

気になった言葉

この世の時には男時(おどき)と女時(めどき)があるのだ。男時はすべてが勢いづく上向きの時、女時とはその反対の、すべての勢いが衰え、不如意になる時だ。女時の最中(さなか)に焦ってはなるぬ。自然の勢いには逆えぬ。そういう時こそ、じっとわが心を抱きしめて耐えていることだ。ふたたびめぐってくる男時の訪れを辛抱強く待つのだ

桃夭

秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず

この世の中で人間ほどいとしいものはない。人間ほど摩訶不可思議な生き物もいない。汲めども尽きぬということばは泉ばかりの形容ではなく、人間の不可思議の深い心にこそふさわしい気がする。

神仏も地獄の鬼も幽霊も、すべて人の心が生み出すものだ。あると信じる心にはあるし、無いと思う心には見えない。

愛別離苦

人の世の苦しみの中で逆縁ほど辛いものはない

「出離者は寂なるか、梵音(ぼんのん)を聴く」
出離者は心の煩悩の炎を沈静して、浄寂の境地にいる。乱れのない心にこそ、梵音がおごそかに聞こえてくるという意味だそうだ。

梵音とは仏に関するすべての妙音だ。寺の鐘の音、仏前の鉦の音、木魚の声、読経の声、説法の声もすべて梵音だ。いやそればかりではあるまい、私はその時師に訊いた。春の小川のせせらぎ、小鳥の囀り、松風の囁き、波の声、生まれてくる赤子のたくましい産声、相愛の男女の睦みあうことば・・・あらゆる森羅万象の発する耳に心に快い音が梵音なのではあるまいかと。師はそうだとうなずいてくださった。

花とは一口にいえば何でしょうと訊いた時に、「色気だ。惚れさせる魅力だ」とお答えになった。「幽玄」とは、とつづけて問うと、「洗練された心と、品のある色気」と答えられた。


秘花
瀬戸内 寂聴
新潮社

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