「小笠原家」は、江戸幕藩時代、1万石以上といわれる大名家が
一族で5家も有るのは、この一族のみといわれている。
(徳川・松平家を除く諸侯300家のうちの5家)
私の町、旧藩、福井県勝山藩は、藩主がその小笠原の1家。
当時はその長男家、宗家といわれ
明治維新まで8代にわたり続いていた。
幕藩時代の武士の礼法は、小笠原流が主とされ、
その中には、「弓道・乗馬・作法」など、内容は多岐に渡り、
武士の必要心得であった、
現在でもれんれんとして、その伝統は、武家の無くなった今、
すべての国民の礼法にもなっていることが多い。
この度、勝山城博物館と勝山市連携共催展が開かれる中の一企画、
小笠原流礼法、弓馬術「木馬の型」を受講する機会を得た。
動く「まわし木馬」
「弓馬術」は、鎧滴れを付け、、実際の馬でなく動く「まわし木馬」で練習した。
馬術では、「馬上の弓」を射ることが必要になり、
1.流鏑馬2.笠懸3.犬追う者の3つが必須とされた。
今回は3名の講師で、現在も続く、「京都下賀茂神社」等で
の行事を報道で見ることの有る、「流鏑馬」の実演を解説と共に見た。
古式にのっとった道具・衣装は 当時を見るような迫力、
馬上(練習は、まわし木馬)からの矢は、的まで2m間隔で有るが
当たると「54cm角の木的が割れる音と共に大音響」。
流鏑馬の馬場は120間(216m)、この馬場の入口は「らち」と呼ばれ、
現在用語で「らちかあかない」とは、
このスタートが切れないことが語源。
とにかく、往時を思わせる小笠原伶礼法の弓馬術「木馬の型」は、
すばらしい実演を見せての講演会でありました。
勝山城博物館では、別の階で
「勝山藩主歴代の書画」が展示され
その芸術性に光が当てられている、
私しにとっても、始めての見る物の経験でした。