「月例坐禅会」は、早朝6時スタート、とほほ・・。
今月になると暗いうちに自宅を出ることになりました、
スタートの6時はまだ明けきらなく薄暗い。
老師のお撞きになる6時の梵鐘の音、
町は静寂、良く伝わってきます。
この時間、参禅者は全員着座。
蜀灯を残してすべて消灯、禅堂は静かで薄暗い。
「坐禅」の雰囲気一段と濃い季節。
「検単」直ぐに小鐘3つ、そして老師のお話が始まった。
人は油断をすると、体から精気が抜けるものです。
抜けないよう常に「天地陰陽」、
この体を通して宇宙を表現する、具体的には、天の空気を吸い込み
下腹部近くに組んだ「法界定印」の手の平の上に
吸い込んだ空気を集める、
そのとき下腹部を前に押し出すような構え、同時に背筋を伸ばし
背骨をぴんと「天地陰陽」、
「入気丹田」(天地の空気を丹田にあつめる)天と地の空気が交わり「天地開合」、
そのときの姿勢は、「耳と肩と対し鼻と臍と対せんめんことを要す」。
ぼっと座っているのでなく、空気を丹田にあつめ、吐き出していく「天地解離」する。
その瞬間には己は消えてなくなる、
有るのは「天地の陰陽が一つになる塊」として息している体。
天地解離した生き物の身体は、自由に天空を駆け巡る「燕」がすいすいと飛んでいたり、
「鶴」が舞い遊ぶように天空を我が物にする。
しばらく遊び終わったら大地を踏み占め、一息一息(一息半歩)どうどうと
大地を歩き回るのです、それをわが身に体現する。
その姿は「耳と肩と対し鼻と臍と対せんめんこと、顎、舌上のあざとにかけ唇歯相著け、
目は須らく常に開くべし」、「鼻息微かに通じ、身相既に調えて、欠気一息し」
大地を踏みしめ天地と一つになって息するのです。
十分遊んだら、頭の頂点で天を持ち上げ両足を踏みしめ大地に立つ、
すなわち「頂点立地」。
その姿勢とカラダの構え・呼吸を持って「天地笑喜」。
そのことは、日常の生き方として己を亡くす「天地融合」、
わが身のすべても天地と一つになる。
静かに身体にためた空気を解き放つ「気帰丹田」。
「気入丹田」から始まり「気帰丹田」までの呼吸は、
天地陰陽・天地開合・天地解離・頂点立地・天地笑喜を繰り返す。
深く静かに天地宇宙に帰っていく。
お釈迦様の思いを道元禅師様が訳してくださった「大宇宙観」です。
今、私達は座禅をしてそれをまねて(学んで)います。
何れは、行ずることが出来、そのものになりきることが出来る。
人間で有ることを心から喜べる世界を頂くのです。
われわれはそれを次代へ伝えていく、
それは「行ずる己の後ろ姿」として現してほしい。
と結ばれた。
何時の間にやら外はしっかり空け、明るいことに気が付いたのは
老師のお話が終わった30分後でした、
しっかりの一炷40分での小鐘一つ。
静に終わった早朝座禅会でした。
(老師の口伝であり「仏教専門用語の間違い」が有ると思います、お許しください)