
昔は「虎の巻」というものがあった。教科書で学習する内容の要点が記されていて、調べたリ考たりする必要のない参考書。存在を知ってはいたが欲しがらなかった。英語の授業、教科書の英文和訳の時を思い出す。指名されると教科書を直立させ、教師から見えないように虎の巻を重ね該当箇所の訳を読み上げる。時には読み過ぎたりすることもあった。「一字一句違わない訳を他のクラスでも聞いた。何かに書いてあるのか」真面目に問い返す教師は教科書に指導要領を挟んでいた。
何もかもスマホやタブレットだというこの頃、隠し持つようなものはないだろう。90歳の女性が疑問を抱いたらすぐにスマホで問い合わせると、待つ間もなく答えが送られてくるので、スマホは手放せない。あの雲は何というのだろう、いい終わらぬうちに知人はスマホで撮って送る。その答えはすぐに返ってきた。「豆単」を繰る、なんてことは遠い過去になった。
与党の幹部が自身のブログで「霞が関文学など」のタイトルで国会の本会議や委員会での答弁について書いている。「『何が言いたいのかよくわからないように』委曲を尽くして書いてある。委員会質疑を充実せるに資するとは言い難い。本会議となると、時間の制約もあって書かれたものをそのまま読むという誠につまらないことになってしまいます」と官僚の書いた答弁を評している。答弁に味のないのは、いわれていた通りこうした虎の巻の朗読だからと分かる。
辻踊りを復活させる、そんな活動が近くで始まった。多くの人がその成功を心待ちしている。その踊りの甚句は「七・七・七・五調」の歌詞になっている。100近くもあるという歌詞を「よく覚えておいでで」と聞いたら、扇子の両面に墨で歌詞が書かれていた。歌い手さんの名誉のためにも言い添えるが、勿論、扇子を持たずに歌われる人ある。