
今年最後の3連休が終わった。各地で多くの催しがありさすがの公園も人影なし。落葉した桜の木の下で遊具が日向ぼっこをしていた。その影が複雑な幾何学文様となって地面に伸びる。これはアインシュタインでも解析は出来ないだろうと眺める。遊具を設置する時に安全には留意するだろうが、影の文様まで気を配ることはないだろう。
砂場、ブランコ、滑り台が遊具の基本3種となっていて、これらは人力で動かすもの。動力をもって駆動するものと区別されているそうだ。遊園地でスピードや高さなどが売りものの遊ぶものとは確かに違っている。人力や自力で動かし運動する遊具には、それを使う、主に子どもだろうが、より高くより幅広く楽しむための工夫やその経験の積み重ねがいる。公園の遊具はそんな子どもの発達を促すだろう。
いつだったか、兄弟がシーソーで遊んでいた。兄は片方の真ん中あたり弟は反対側の先端にまたがっている。眺めていると、上がったり下がったりするたびに喜ぶ弟に合わせ兄はシーソーを上下させていた。兄は人を喜ばせる術を遊びの中から自然に会得しているし、弟はいつかこのことを思い出し、同じ経験をするだろう。兄弟仲が良い、それ以上のことを無意識に体験している、そう思いながら見ていたことを思い出した。
遊具の事故も報道されることがある。自然にさらされた設備なので管理者による厳重な点検補修は欠かせない。子どもの、人としての素養を育む設備への十分な配慮を願いたい。缶けりにパッチン、コマ回しやチャンバラなどは昭和前半の時代の懐かしい思い出だ。