古代の山陽道が歴史に登場するのは日本書紀によると飛鳥時代という。都大和から筑前大宰府を往来する要路として整備された。「周防なる磐国山を越えむ日は 手向けよくせよ荒らしその道」、これは奈良時代の天平2(730)年に詠まれた万葉歌で、周防国の道筋の中で最も険しいところであることを詠ったもの、といわれる。その険しいところは欽明路峠という。
その欽明路峠、今は交通の要所。県道岩国周東線(通称 欽明路道路)を初めJR岩徳線、山陽新幹線、山陽高速道の各トンネルが標高わずか208㍍の峠をくぐっている。国道2号線を迂回する欽明路道路は生活に物流など地域には欠かせない幹線道となっている。先日の西日本豪雨で法面の崩落などで通行止めとなた。隣の玖珂での欠かせない用向きがあり欽明路道路を脇道沿いに進む。最後のトンネルが通行不可。
トンネルへの上り坂中ほどから左折、旧山陽道へ入る。道幅は狭く離合苦手な人には薦められない。ほどなく行くと登坂という運転になる。洪水の影響を心配したが、荒れた様子はない。欽明路道路ができるまで何度か運転したが全線舗装されていた。洗濯板の波のような箇所があり、滑り止めの配慮もしてある。万葉の頃には山賊もいた、というが、暮れると少々気になるかもしれない。欽明路道路下り車線で欽明路トンネル入り口上方にチラッと見えるのが旧山陽道。
峠を越えるといくつかの分岐点があるがどれも右方向に進む。家並みが始まると第29代欣明天皇ゆかりの欽明寺の白亜の山門が見える。ここに至るまでは連続するカーブなので運転に気を抜いてはいけない。欽明路道路の開通は1970年だから、半世紀ぶりの山陽道越え、元気な人には歩いて峠越えを薦めたい。明日の午後5時、通行止めは解除予定と情報あり。