昨夜、「爺ちゃん、イブですが何を食べましたか」と自炊生活中の孫娘からライン。孫は出勤で残業、遅くなりケーキは買えなかったが買い置きのお菓子でイブを過ごすという。祖父にイブだけどクリスマスケーキを食べたか問うと「わしはクリスチャンじゃあない、仏教徒だ」と返ったという書き込みを苦笑しながら読んだ。我が家は陶芸のツリーでイブとした。
大都会の昨夜の夜景はコロナ禍の日本とは思えない、まるでおとぎの国のような電装が輝く光景を報道映像で見る。LEDで電力消費は抑えられているというナレーション。消費電力はそうかもしれないが、発電に伴う諸問題をどこまで考えて、知ってのことだろうかと疑う。
石化から自然エネルギーへの転換で、風力や太陽光パネル発電が進んでいる。生活の水源となる山の木々を伐採、その後を重機で掘り返し、工事は進んでいく。その結果、土石流が田んぼに流れ込む、雨の後は水が濁り鉛やヒ素が検出され、稲作を放棄した、こんな話を実際に耳にしているし写真も見ている。大都市への電力を遠く離れた地域の水源をつぶして賄う、大都市の人は知っているのだろうか。
産業の発展と分配がアベノミクスに変わって国策となっている。経済界の勢いを示すバロメーターのひとつに電気の消費量がある。その給源の安定は必要だが、そのために自然破壊と地域住民の安全を犠牲にしてはならない。盛り土災害と同じく、自然エネルギー開発は山間の小さな集落の声を聞く、そこから出発して欲しい。