問題のない私たち」(大阪公演・8/2, 3)を2度観劇。その感想などを…。
【公演前のBGMについて】
10代の悩み歌, 高校時代を振り返る歌, あの頃を悔恨する歌, 青春の歌, ”き~み~が~いた な~つ~は 遠いゆ~め~のなか~あ~ そ~ら~に 消えて~った 打ちあ~げ~は~なあ~び~”…。
ぶっちゃけ、(この中に)『会いたかった』『完璧ぐ~のね』は、いらない, 必要ない, 余計 & 邪魔だな~と思った。その毛色…ザ・違和感でしかないな~、と。
そもそも、公演前のBGMって…やらないんならやらない…で、全然いいと思う。だけど、それ…するんやったら、もっとこだわり…は 持つべきだ。
するんやったら、本編内容に かするような曲で統一する。または、本編内容とは、全く関係のないジャンルの曲に、これ 徹するべきだと思う。
その2曲は、あまりに中途半端だと感じた。
もしも、それ…”なっちゃんが出てるから…”とか、”会場に来てくれている なっちゃんファンへのサービス”とか、そんな事を ちょろっとでも考えているんだったら、次回からは、絶対にやめてほしい。
だって、会場した瞬間、もう (本編は)始まっているんだから。
【オープニングシーンについて】
1人の女子生徒が、10人ぐらいの女子生徒に両手を拘束され、髪の毛を掴まれ、叩かれ、蹴られ、引きずり回されている。おもむろに、リーダーらしき子が 言った…
”これだけ暑いと さすがにサッパリしたいんじゃないのー!”→ ”そうだよねー!”…
と、舞台中央で捕まっている子に向かって、青バケツを持った女子生徒2人が小走りで現れ、”せ~の~!!”という掛け声とともに
150ccぐらいの水をチビチビチビ…。バケツ2つだから、150 + 150 で、チビチョボチビ…。
見たところ、イジメの中のドッキリ的な ”遊び”でもなさそうだ。
だったら、その演出…失敗やわ。
だって、ここは、絶対に表現しなくちゃいけなかったと思うもん…”この学園には、イジメがありますよ。はびこってますよ。それも結構ド級のやつがね…”ってさ。
もちろん、こんな 冒頭で、大量の水をぶっかけたりとかしたら、ステージ上の水びたし…その処理が大変!ってのも分かる。あと、その掃除…最初っから 芝居全体のテンポとか…落ちる可能性もあるかも?…だからね。
でも、あそこは、そうすべきだった。
必要だったのは、(お客さんに) ”それは、やり過ぎだよ~”って思われるぐらいの)衝撃, インパクトだったと思う。
バケツ2杯分の バシャーン! + 泣き叫ぶ声…
え? ダメ?ダメなの?
じゃ、他に いくらでも方法あるじゃ~ん。あったじゃ~ん。
例えば、周りの笑い声 + ”せ~の~!” + ”イヤー!”とか 泣き叫ぶ声 のその瞬間!に、
全暗転 + 全ての音の一瞬ブレイク(1~2秒)…
からの~ 音処理(音だけバシャーン!+ 暗転の中の ”イヤー!”)…。お客さんの聴覚に訴えるパターンだ。
で、明転になった時は、もう朝の学校風景になっているという…例えばね。
あ、赤のピンスポ照明で表現してもいいな。あ、途中から、舞台ウラでの芝居で処理してもいいな。あ!あと…。
もう、いっくらでも浮かんでくるわ、やり方…。
正直、お客さんに見える150ccは…ないわ~。
にしても、なぜ?チョロチョロ?
あそこで必要だったのは、お客さんに、”こんなもん!このストーリーの中では、イジメへのプロローグに過ぎませんよ~”的なお知らせだったと思うのね。
チョロチョロて…そんなんコップで…
あ!最初からコップで掛けりゃ良かったんだ。良かったんだよ。青いバケツでチョロチョロ…チビチビだから ダメだったんだ。なぁ~んだ。
とにかく、あのオープニングシーンの演出は、失敗だなと思った。
【ファサッ?】
イジメの首謀者である 笹岡 澪(なっちゃん)が、いじめられている子の教科書に、これでもか!と悪口を書いた後で、それをその子の目の前, 足元に 両手で上段から叩きつけるシーン。そして、ドスをきかせる。
1日目は、バチーン!
2日目は、ファサッ…。
え? ファ…? でも、あれは、小道具である教科書そのものに原因があるわ。
見開きA3よりも もうチョイ大きめの教科書。ページ数は、30ページぐらいなのかな? 正直!ペラッペラだ。
あんなもん、危険ですって! 本番1発…危ないですって! ていうか、逆に、なっちゃん、1日目…よく、バチーン!って 音させられたな。
ただ、僕は思うよ。そんなもん、最初っから 200ページ, 300ページの教科書 用意しとけ!って話ですよ、と。”ファサッ…”って、あんな 気の抜けたような音が絶対に鳴らないやつ(道具)を最初っから 選んどくべきだと。
だって、それは、威嚇のシーンだから。イジメを表現するには、必要な要素だから。
ただ、なっちゃんの良かったのは、2日目の ”ファサッ”…それに動じなかったこと。正直、一瞬!…(その後の)間がズレたけど、なっちゃんは持ちこたえた。その 0.5秒だけで、後に負のテンポを引きずらなかった。あそこは、エライ。
きっと、稽古の時から ”もしかしたら?”の経験をしていたんだなと思ったよ。それぐらい、なっちゃんの反応は 速かった。たぶん、本人自身は気付いていない…無意識だと思う。
だけど、そのシーン映像を後からフラッシュバックすると、両手に持った教科書を上段…頭の上から叩きつける なっちゃんは、その時、1日目, 2日目とも…ひざを使ってる。
おそらく、不安をかき消すためのヒザ屈伸だ。
あれは、間違いなく、バチーン!って鳴らすための(”鳴ってほしい”という)動作。でも、そんなん、本編の内容からしたら 関係ない、必要ない。
特に舞台…相手を威嚇, ビビらすためだったら、基本、その目線は変えちゃいけないと思う。目線の高さの攻防, 距離感で表現…そういうのは、笹岡 澪(なっちゃん)側がコントロールすべきだ。優位に立てていなければならない。
たとえ、その教科書が、相手に当たったとしてもね (床で、バチーン!って鳴らなくてもね)。
わざわざ、自分からヒザ屈伸…目線を突然 10cmも下げる必要はない。なっちゃんは、それでなくても(背が)小さい方なんだ。
あ、こういう方法も良かったのかなぁ~?
それは、相手が(その教科書を受け取るために)手を出し、そして、その手に渡る瞬間、なっちゃんの手からポロリ & 地面にストン…。
(バカにしたゴメ~ン!)の空気→ (欲しがったら拾えや!)の雰囲気→ その子が地面の教科書を手に取ろうとした瞬間、(なっちゃんが)サイドキックで、その教科書を5m左に蹴り払う…とかね。
また、そういう時とか、相手と同じ目線にしたりしないでしょ? あれと同じ感覚、隙のない優位性…。
ああいう設定の芝居だと、目線のコントロールは、常に必要 & 重要だと思う。だから、そのバチーン!のために、ヒザをわざわざ突然10cmも かがめなければならないんだったら、僕は、はなから全然違う…と思ったんだな。
とにかく、”危険な”小道具は、稽古段階から、積極的に排除しておくべきだと思ったのです。
【公演前のBGMについて】
10代の悩み歌, 高校時代を振り返る歌, あの頃を悔恨する歌, 青春の歌, ”き~み~が~いた な~つ~は 遠いゆ~め~のなか~あ~ そ~ら~に 消えて~った 打ちあ~げ~は~なあ~び~”…。
ぶっちゃけ、(この中に)『会いたかった』『完璧ぐ~のね』は、いらない, 必要ない, 余計 & 邪魔だな~と思った。その毛色…ザ・違和感でしかないな~、と。
そもそも、公演前のBGMって…やらないんならやらない…で、全然いいと思う。だけど、それ…するんやったら、もっとこだわり…は 持つべきだ。
するんやったら、本編内容に かするような曲で統一する。または、本編内容とは、全く関係のないジャンルの曲に、これ 徹するべきだと思う。
その2曲は、あまりに中途半端だと感じた。
もしも、それ…”なっちゃんが出てるから…”とか、”会場に来てくれている なっちゃんファンへのサービス”とか、そんな事を ちょろっとでも考えているんだったら、次回からは、絶対にやめてほしい。
だって、会場した瞬間、もう (本編は)始まっているんだから。
【オープニングシーンについて】
1人の女子生徒が、10人ぐらいの女子生徒に両手を拘束され、髪の毛を掴まれ、叩かれ、蹴られ、引きずり回されている。おもむろに、リーダーらしき子が 言った…
”これだけ暑いと さすがにサッパリしたいんじゃないのー!”→ ”そうだよねー!”…
と、舞台中央で捕まっている子に向かって、青バケツを持った女子生徒2人が小走りで現れ、”せ~の~!!”という掛け声とともに
150ccぐらいの水をチビチビチビ…。バケツ2つだから、150 + 150 で、チビチョボチビ…。
見たところ、イジメの中のドッキリ的な ”遊び”でもなさそうだ。
だったら、その演出…失敗やわ。
だって、ここは、絶対に表現しなくちゃいけなかったと思うもん…”この学園には、イジメがありますよ。はびこってますよ。それも結構ド級のやつがね…”ってさ。
もちろん、こんな 冒頭で、大量の水をぶっかけたりとかしたら、ステージ上の水びたし…その処理が大変!ってのも分かる。あと、その掃除…最初っから 芝居全体のテンポとか…落ちる可能性もあるかも?…だからね。
でも、あそこは、そうすべきだった。
必要だったのは、(お客さんに) ”それは、やり過ぎだよ~”って思われるぐらいの)衝撃, インパクトだったと思う。
バケツ2杯分の バシャーン! + 泣き叫ぶ声…
え? ダメ?ダメなの?
じゃ、他に いくらでも方法あるじゃ~ん。あったじゃ~ん。
例えば、周りの笑い声 + ”せ~の~!” + ”イヤー!”とか 泣き叫ぶ声 のその瞬間!に、
全暗転 + 全ての音の一瞬ブレイク(1~2秒)…
からの~ 音処理(音だけバシャーン!+ 暗転の中の ”イヤー!”)…。お客さんの聴覚に訴えるパターンだ。
で、明転になった時は、もう朝の学校風景になっているという…例えばね。
あ、赤のピンスポ照明で表現してもいいな。あ、途中から、舞台ウラでの芝居で処理してもいいな。あ!あと…。
もう、いっくらでも浮かんでくるわ、やり方…。
正直、お客さんに見える150ccは…ないわ~。
にしても、なぜ?チョロチョロ?
あそこで必要だったのは、お客さんに、”こんなもん!このストーリーの中では、イジメへのプロローグに過ぎませんよ~”的なお知らせだったと思うのね。
チョロチョロて…そんなんコップで…
あ!最初からコップで掛けりゃ良かったんだ。良かったんだよ。青いバケツでチョロチョロ…チビチビだから ダメだったんだ。なぁ~んだ。
とにかく、あのオープニングシーンの演出は、失敗だなと思った。
【ファサッ?】
イジメの首謀者である 笹岡 澪(なっちゃん)が、いじめられている子の教科書に、これでもか!と悪口を書いた後で、それをその子の目の前, 足元に 両手で上段から叩きつけるシーン。そして、ドスをきかせる。
1日目は、バチーン!
2日目は、ファサッ…。
え? ファ…? でも、あれは、小道具である教科書そのものに原因があるわ。
見開きA3よりも もうチョイ大きめの教科書。ページ数は、30ページぐらいなのかな? 正直!ペラッペラだ。
あんなもん、危険ですって! 本番1発…危ないですって! ていうか、逆に、なっちゃん、1日目…よく、バチーン!って 音させられたな。
ただ、僕は思うよ。そんなもん、最初っから 200ページ, 300ページの教科書 用意しとけ!って話ですよ、と。”ファサッ…”って、あんな 気の抜けたような音が絶対に鳴らないやつ(道具)を最初っから 選んどくべきだと。
だって、それは、威嚇のシーンだから。イジメを表現するには、必要な要素だから。
ただ、なっちゃんの良かったのは、2日目の ”ファサッ”…それに動じなかったこと。正直、一瞬!…(その後の)間がズレたけど、なっちゃんは持ちこたえた。その 0.5秒だけで、後に負のテンポを引きずらなかった。あそこは、エライ。
きっと、稽古の時から ”もしかしたら?”の経験をしていたんだなと思ったよ。それぐらい、なっちゃんの反応は 速かった。たぶん、本人自身は気付いていない…無意識だと思う。
だけど、そのシーン映像を後からフラッシュバックすると、両手に持った教科書を上段…頭の上から叩きつける なっちゃんは、その時、1日目, 2日目とも…ひざを使ってる。
おそらく、不安をかき消すためのヒザ屈伸だ。
あれは、間違いなく、バチーン!って鳴らすための(”鳴ってほしい”という)動作。でも、そんなん、本編の内容からしたら 関係ない、必要ない。
特に舞台…相手を威嚇, ビビらすためだったら、基本、その目線は変えちゃいけないと思う。目線の高さの攻防, 距離感で表現…そういうのは、笹岡 澪(なっちゃん)側がコントロールすべきだ。優位に立てていなければならない。
たとえ、その教科書が、相手に当たったとしてもね (床で、バチーン!って鳴らなくてもね)。
わざわざ、自分からヒザ屈伸…目線を突然 10cmも下げる必要はない。なっちゃんは、それでなくても(背が)小さい方なんだ。
あ、こういう方法も良かったのかなぁ~?
それは、相手が(その教科書を受け取るために)手を出し、そして、その手に渡る瞬間、なっちゃんの手からポロリ & 地面にストン…。
(バカにしたゴメ~ン!)の空気→ (欲しがったら拾えや!)の雰囲気→ その子が地面の教科書を手に取ろうとした瞬間、(なっちゃんが)サイドキックで、その教科書を5m左に蹴り払う…とかね。
また、そういう時とか、相手と同じ目線にしたりしないでしょ? あれと同じ感覚、隙のない優位性…。
ああいう設定の芝居だと、目線のコントロールは、常に必要 & 重要だと思う。だから、そのバチーン!のために、ヒザをわざわざ突然10cmも かがめなければならないんだったら、僕は、はなから全然違う…と思ったんだな。
とにかく、”危険な”小道具は、稽古段階から、積極的に排除しておくべきだと思ったのです。