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アイドリアンとして思わぬ幸運、映画「幕が上がる」(ナッキー)

2015-03-08 01:19:22 | 映画・芝居・ミュージカル・ドラマ
アイドリアンとして思わぬ幸運、映画「幕が上がる」(ナッキー)

映画「幕が上がる」は、成功しているアイドル映画。
成功の要因は、ももいろクローバーZのメンバーが誰か、映画が終わる直前まで明かさないこと。

映画を見に来るほとんどの観客は、ももクロの5人を知っているでしょうが、アイドリアン(アイドル研究家)を名乗りながら、私は把握していなで映画を見ました。

主人公は当然ももクロメンバーとして、髪の毛がショートの演劇部エースの子は黄色の衣装、ここまでは分かったが、後の3人は、最後に5人でももクロの歌で踊るところまで分かりませんでした。(かなりの間抜け)

この映画の素晴らしいところは、本当に、女子高生の演劇部に起こりそうなお話がすすんでいくこと。
アイドルとは現実を忘れさせる虚構であるところに価値があるのだけど、映画では「現実におこりそうなお話」を演じ続ける女の子たち。

倒錯した気持ちで、映画を見続けるナッキー。
みんな輝いているけど、有名なアイドルグループ・ももいろクローバーZのメンバーはどの子なの?

ときめき研究家さんの評に、『銀河鉄道の夜』をモチーフにした劇中劇が中途半端だったことが残念、とありましたが、
この映画の劇中劇は、教室で生徒を集めて演じる一人芝居の連作(これが映画での一番の見せ場)のみ、とするための演出なのでしょう。

映画を見終った後で、あの場面で、一人芝居を演じたのが、ももクロメンバーだったことに気がつきました。
どの子がメンバーかというアイドル鑑賞を忘れるくらいに、映画に引きこまれてみました。

ナッキーがももクロを知らないのは、(1)AKB48が面白すぎで他のアイドルを見なくなったというポートフォリオ集中という失敗、(2)他のアイドルで見たのは東京女子流という非アイドルだったという失敗など、アイドリアンとしては反省すべきなのだが、

ももクロメンバーを知らなかったが故に、アイドルを目で追うという邪念を排除することができ、「幕が上がる」の鑑賞レベルが劇的に上がったので、「アイドリアンとしては幸運」だった、と考える。

映画の中で、唯一虚構であると感じたのは、演劇部に入る前は全く興味がなかった主人公が演出家としての腕をあげていくこと。高校の演劇部で演出の能力を発揮する学生は少ないので、最初からある程度の知識がないとね。この設定は、アイドルは能力がなくても成長できるという暗示か。

「幕が上がる」公式HP

ナッキー
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1 コメント

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実は私も (ときめき研究家)
2015-03-09 07:18:27
3年生の3人と転校生までは確実にももクロだとわかりました。5人目がどの子なのか、結構後半になるまで解りませんでした。
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