空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

田原総一朗氏による朝日批判の月刊誌についての論評:興味ある論点を含む

2018-03-10 13:03:07 | Weblog
AERA 田原総一朗「月刊誌の『朝日新聞批判』が毎月のように続く理由」 田原総一朗2018.3.8 07:00週刊朝日

もちろん言論、表現は自由だから、朝日新聞批判を行うのは何の問題もない。だが、毎月のように朝日新聞批判を、まるで目玉企画としているのは尋常ではない。それほど新しい展開はないにもかかわらずだ。つまり、朝日新聞批判を目玉とすると雑誌が売れるということなのだろう

 重要な論点は二つ。

それほど新しい展開はないにもかかわらずだ

朝日新聞批判を目玉とすると雑誌が売れるということなのだろう

 新しい論点がなくともモノは売れるということ、あるものを目玉にするとモノが売れ続けるということ。こうして簡単な稼ぎになれると、おそらく全体的に知的には劣化するのであり、現場の結果としては同じことを延々聞かれて疲れ果てたりして、対象とされたひとの精神が病む。商売のために、結果として誰かを死なせるシステムができあがる。

両誌が朝日新聞批判を大きく報じ始めたのは、森友・加計疑惑などが生じて、安倍内閣の支持率が落ち始めたころからである

 部数が落ちてきているという朝日新聞も…ということになる。第三の重要な論点。田原氏が問題とする二誌とおなじ「どつぼ」に朝日新聞も落ち込んでいるのではないか、ということ。

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毎日新聞や東京新聞を外し朝日新聞だけを集中攻撃したのは、朝日新聞が戦後長い間、特別の権威を持った新聞のように扱われてきて、現在でも年長者にはそんな認識が残っているので、あえて標的にしたのだろう

 特別な権威と思われたから狙われたか―ということを認めれば、『朝日新聞は(挑戦されるに値する)権威である、それは朝日新聞が政府に挑戦したのと同様の意味で』ということになり、まあ横綱として相撲をとってくださいよというオチになろう。

私は戦争を知っている最後の世代で、昭和の戦争は、やってはいけない戦争だったととらえている

 この「昭和の戦争は、やってはいけない戦争だった」というのは、多くのひとに議論がないことだろう。「そして、敗者としての責任を自覚している」のも、まあそうかなあと。しかしこの認識と、「あらゆる戦争に絶対に反対しなければならない」などの認識は一致しないし、起こってはならない戦争を抑止するためにどういう努力をすべきかという方策を一意的に定めるとは限らないだろう。

朝日新聞も、敗者としての責任を強く自覚しているはずだ。だが、敗者としての責任を自覚し続けるのに我慢できなくなった者が予想外に増え、朝日新聞攻撃に快感を覚えるようになった、ということなのだろうか

 世代が変わったんですよね。正直にいえば。世代がいくつか過ぎつつあるんだ。で、若い世代が、『お前らの方法では片付かなかった論点があるだろ』と異議申し立てをしはじめた、その声に誠実に向き合っていないんじゃないかという疑いも持っていいかと思う。

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