『猫を償うに猫をもってせよ』の「2008-11-29 博士号をとろうとしている人文系院生に告ぐ」が地味に反響あるとタレコミもらったのですが私の脳内ラインハルトが非常に侮蔑的な発言をし,即座に脳内キルヒアイスが困ったような笑みとともに諌めてくれた件。ありがとう脳内キルヒアイス別名良心。君は永遠の親友さ。あと敵前逃亡だろうがなんだろうがオーベルシュタインを採用する方向で善処。
ともあれ,なんかもう,あのその,なにかルサンチマンが積み重なっているところに強い酒をかっくらって何かのスイッチが入って取るものもとりあえず書きなぐった感の漏れ出しまくったよーに感じられる文章で…コメントに困る。
ちょっと読んでみよう。まあ,彼が正気で書いていると仮定して…(以下青字は引用):
「いったい、博士号をとる、というのは、就職に有利なのだろうか?」。有利不利以前に,原則今は(特に若手では)博士持ってることが前提です(例外無論あり)。これは(少なくとも)共通認識としてあるわけで,コレに反する例があれば目を引くわけだ。だから彼は「私の知っている人事で、公募だったのだが、博士号のある人が落とされて、ない人が採用された例がある」と話題をふる。
日本語なので単数か複数かは不分明。だが次のパラグラフで単数代名詞で受けているので,彼が話題とする例は1件であると推測できる:「この場合はいろいろ事情があったのだが」。
そう。いろいろ事情があるのである。
ばりばり研究やりまくって業績ありまくりの人が応募してきても,この人の講義が,まあその,なんらかの意味で採用側の大学(乃至当該の研究・教育機関)的にマッチしない(奥歯にものの挟まった言い方)場合,「スイマセンうちで欲しいのは教育者なんデスよ」で却下する可能性があろう。
時折見かけるが,将来の当該機関の幹部を育成しようと特に若い人を採ろうというのをアピールしまくってる場合もある。こうした場合,いくら研究業績的に点数(比喩的表現)が高くとも,38歳より32歳を採るだろうことはまず明らかだろう。業績が同程度なら,或いは多少目を瞑ってでも,32歳より30歳を採るかもしれない。
「優秀な俺様は研究する。論文を書く。それで大学の名を高からしめてやる。お前らはマァ校務やってろ。講義もヨロシク」なんてひとはそもそも採用したくなくなるでしょーな(少なくとも面接の時くらいごまかす演技力は欲しいところ)。
とゆーか,博士になっておくのが前提ってのは,極最近の風潮であって(文系),40以上の方で博士なしってわりと普通だと思うよ?
そんなわけで,いろいろな事情があるうち,jun-jun1965氏は「たとえば教授連が博士号を持っていない時」という場合を取り上げ,かつ当該の教授連が「博士号のあるやつなどに新任で来られては嫌だという」人々である場合を想定,この場合「敬遠されるということは、十分ありうること」だと言うんだが仮定に仮定を重ねそこから可能性1を導きだし,それで「色んな事情」を代表させ,他の事情の存在を無かったこと・見ないことにするのは思いっきりTVもとい思いっきり詭弁のパターンじゃないのでしょうか文系?博士様。
私は論理学を学んだことはないのですが(謙遜した表現),見知った例1を元に仮説Aを立て,仮説Bを導入し,仮説A・仮説Bを元に可能性Cを想定し,これを普遍的事実(博士号を「とった方は褒められず、就職に差し支える」)として理解してしまうとゆーのは,どーも絶望的に非論理的な感じがするのですがまぁ「感じる」なんて非学問的発言する人に非難されたくはないだろうな,とあるセンセイ。
あげく「(追記:言語学や心理学は理系だから博士号はあったほうがよい)」だそーで,「理系だから」って理由句が使用可能だってことからして理解不能。非論理的思考展開してる人の理系信仰ってなにかもー落語のネタにしかならないよーな…。
…つまり彼は,彼の言うであろうところの「文系」に所属しているのであって,そこでは学位を持たない教授連の恣意的人事がまかり通っていていけない,とゆーわけだろうが…。…ああうん,彼はそうなんだろうねぇ…。
つか言語や心理が理系であるって判断がなんの論拠もなく限定もなく真実あつかいされてるっぽいのですがなんかそこ問題ないですか?
私が思うに,学問には,適切な手法でもって事実を集積し,それらを吟味し,事象に合理的な解釈を与えるとゆー作業が必要なんであって,この場合実例=観察対象たる公募の事例を一定程度集積(当該分野の,まあそうね,日本国内の5年ほどの全公募くらいで),問題ある事例・問題ない事例を弁別(この時点で既に不可能ですが),問題ある事例に特徴的に現れるパターンを解明,記述せねば一般論もなにもあったもんじゃないと思うんだが。んで,そーいう手続きって,学問である以上,理系も文系もなにも関係なしに共通の側面をもつと思われるんだがもしかして私の認識の方が間違ってるでしょうか皆々様。
…でまあ。
さておき。
勿論,彼は博士号を得た人物であって,ここまでアレな議論を(実名つきで)展開するのは,その論述に相当の自信をもってのことなんだろう。実例としてあげてあるのは1つだけだが,これまでの長い経験で得られた印象等々を叩き込んでいるかとも思われ,その点,上掲の私の批判は的外れであるかもしれない。大体が,彼は採用側にいたこともあるようである。結構,体験談的側面もあるのかもしれない。
ところで「大学への就職というのは、あまり業績があり過ぎると妬まれて不利になるから、なるべく少なめにしておくというのが、学者の処世術だ」…って初めて聞きました…。どこの腐った分野の話ですか,それ…。…腐った分野の腐った事例を文系一般の普遍的事実であると敷衍するのって,なんかそーとー問題あるっぽく感じるんだけどまあ「感じる」なんて非学問的発言する人に非難されたくはないですかね,とあるセンセイさんは。
あーあとCiNiiでちょこっと業績みさせてもらいました。彼の代表作って,なんなんでしょうかね? いや一般書のそれもだけど(一冊たりとも読んでません),学術の代表作って(こっちは見てみたいかも)。
ともあれ,なんかもう,あのその,なにかルサンチマンが積み重なっているところに強い酒をかっくらって何かのスイッチが入って取るものもとりあえず書きなぐった感の漏れ出しまくったよーに感じられる文章で…コメントに困る。
ちょっと読んでみよう。まあ,彼が正気で書いていると仮定して…(以下青字は引用):
「いったい、博士号をとる、というのは、就職に有利なのだろうか?」。有利不利以前に,原則今は(特に若手では)博士持ってることが前提です(例外無論あり)。これは(少なくとも)共通認識としてあるわけで,コレに反する例があれば目を引くわけだ。だから彼は「私の知っている人事で、公募だったのだが、博士号のある人が落とされて、ない人が採用された例がある」と話題をふる。
日本語なので単数か複数かは不分明。だが次のパラグラフで単数代名詞で受けているので,彼が話題とする例は1件であると推測できる:「この場合はいろいろ事情があったのだが」。
そう。いろいろ事情があるのである。
ばりばり研究やりまくって業績ありまくりの人が応募してきても,この人の講義が,まあその,なんらかの意味で採用側の大学(乃至当該の研究・教育機関)的にマッチしない(奥歯にものの挟まった言い方)場合,「スイマセンうちで欲しいのは教育者なんデスよ」で却下する可能性があろう。
時折見かけるが,将来の当該機関の幹部を育成しようと特に若い人を採ろうというのをアピールしまくってる場合もある。こうした場合,いくら研究業績的に点数(比喩的表現)が高くとも,38歳より32歳を採るだろうことはまず明らかだろう。業績が同程度なら,或いは多少目を瞑ってでも,32歳より30歳を採るかもしれない。
「優秀な俺様は研究する。論文を書く。それで大学の名を高からしめてやる。お前らはマァ校務やってろ。講義もヨロシク」なんてひとはそもそも採用したくなくなるでしょーな(少なくとも面接の時くらいごまかす演技力は欲しいところ)。
とゆーか,博士になっておくのが前提ってのは,極最近の風潮であって(文系),40以上の方で博士なしってわりと普通だと思うよ?
そんなわけで,いろいろな事情があるうち,jun-jun1965氏は「たとえば教授連が博士号を持っていない時」という場合を取り上げ,かつ当該の教授連が「博士号のあるやつなどに新任で来られては嫌だという」人々である場合を想定,この場合「敬遠されるということは、十分ありうること」だと言うんだが仮定に仮定を重ねそこから可能性1を導きだし,それで「色んな事情」を代表させ,他の事情の存在を無かったこと・見ないことにするのは思いっきりTVもとい思いっきり詭弁のパターンじゃないのでしょうか文系?博士様。
私は論理学を学んだことはないのですが(謙遜した表現),見知った例1を元に仮説Aを立て,仮説Bを導入し,仮説A・仮説Bを元に可能性Cを想定し,これを普遍的事実(博士号を「とった方は褒められず、就職に差し支える」)として理解してしまうとゆーのは,どーも絶望的に非論理的な感じがするのですがまぁ「感じる」なんて非学問的発言する人に非難されたくはないだろうな,とあるセンセイ。
あげく「(追記:言語学や心理学は理系だから博士号はあったほうがよい)」だそーで,「理系だから」って理由句が使用可能だってことからして理解不能。非論理的思考展開してる人の理系信仰ってなにかもー落語のネタにしかならないよーな…。
…つまり彼は,彼の言うであろうところの「文系」に所属しているのであって,そこでは学位を持たない教授連の恣意的人事がまかり通っていていけない,とゆーわけだろうが…。…ああうん,彼はそうなんだろうねぇ…。
つか言語や心理が理系であるって判断がなんの論拠もなく限定もなく真実あつかいされてるっぽいのですがなんかそこ問題ないですか?
私が思うに,学問には,適切な手法でもって事実を集積し,それらを吟味し,事象に合理的な解釈を与えるとゆー作業が必要なんであって,この場合実例=観察対象たる公募の事例を一定程度集積(当該分野の,まあそうね,日本国内の5年ほどの全公募くらいで),問題ある事例・問題ない事例を弁別(この時点で既に不可能ですが),問題ある事例に特徴的に現れるパターンを解明,記述せねば一般論もなにもあったもんじゃないと思うんだが。んで,そーいう手続きって,学問である以上,理系も文系もなにも関係なしに共通の側面をもつと思われるんだがもしかして私の認識の方が間違ってるでしょうか皆々様。
…でまあ。
さておき。
勿論,彼は博士号を得た人物であって,ここまでアレな議論を(実名つきで)展開するのは,その論述に相当の自信をもってのことなんだろう。実例としてあげてあるのは1つだけだが,これまでの長い経験で得られた印象等々を叩き込んでいるかとも思われ,その点,上掲の私の批判は的外れであるかもしれない。大体が,彼は採用側にいたこともあるようである。結構,体験談的側面もあるのかもしれない。
ところで「大学への就職というのは、あまり業績があり過ぎると妬まれて不利になるから、なるべく少なめにしておくというのが、学者の処世術だ」…って初めて聞きました…。どこの腐った分野の話ですか,それ…。…腐った分野の腐った事例を文系一般の普遍的事実であると敷衍するのって,なんかそーとー問題あるっぽく感じるんだけどまあ「感じる」なんて非学問的発言する人に非難されたくはないですかね,とあるセンセイさんは。
あーあとCiNiiでちょこっと業績みさせてもらいました。彼の代表作って,なんなんでしょうかね? いや一般書のそれもだけど(一冊たりとも読んでません),学術の代表作って(こっちは見てみたいかも)。
>1.人殺し医療
>著者:ベンジャミン・フルフォード
なんてあってですね(アクセスさっき)
思わず吹いた
どういう性質の本なのかというところから問えば,或いはその目的に必要とされる品質は保証されているのかもだ。
上掲記事の内容を一言で要約すると「小谷野先生トバしすぎ!」だろうか
それはそれで効用があるわけで,そーしたもので名をなしその上阪大ほどの大大学の教官にまでなったなら世間的には十二分に報われた人と思われもするだろうし,同僚から嫉視もされようと思います。
差し当たり彼のネット日記数日分読んでみましたが,……まーどーでもいーよね。
タイトルだけでお腹一杯な本ばっかですけど。