空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

銀英伝とその二次的作品展開の多数あることに接して

2017-11-16 22:14:25 | Weblog


 流石に大ヒットを飛ばし、何十年も売れ続けている小説であって、あっちこっちにクリーンヒットする警句やらなにやらに満ちているのである。時代の肖像画とでもいえそうだ。

 例えば
「無用の誤解を避けるため、人事に配慮する必要があるのではないかということだ」
「無用の誤解とはどういうことです」
 ―といった、例の有名な査問会の件は「もりかけ」問題を思い起こす。無用の誤解を避けるため、総理大臣たるもの友人をもってはならぬ、ないし総理の友人たるもの公金が関わるようなものに触れてもならぬ、もし「誤解」が起きたら、それは総理大臣の責任である―というのは無茶だなあ。

 とまあ、雑感を持ち、『ああそうだ、次のテーマには銀英伝のあの台詞を引用しようか』と考えたところ、はたと思う。『銀英伝』は、二次的派生作品を多数持つようになったのだ。正典たる本編、銀河声優伝説と道原かつみ版。ここまでは、まあふつうのメディアミックスだろう。

 しかし多言語展開にとどまらず、いまや劇場版、新規のコミック版、新規のアニメ版まで。実写版まで用意されつつあるとか。これはもはや、創作界のひとつの古典だ。

 そこで想起する―



 手近な例では、さらに艦これもその例といえそう。ガンダムもそうだろう。



 艦これに70年は長すぎるかもしれない。ガンダムに70年は長すぎるかもしれない。が、それなりの統制があってこそブランド価値も維持され、作品生命も(ある方向性を保ちつつ)ながらえることにもなろう。『銀英伝』については、そうねえ、作品制作以来35年ほど。さしあたり、著作権は邪魔になっていないっぽいし、このままもう20~30年あっても問題なさそうだし、作者死後50年維持されているうちに、さらなる翻案の可能性もまああるか。

 …一応、通俗娯楽小説の部類ではあって、100年も主力級であり続ける場合、後代の創作家が鼎の軽重を問われそうだとも思うが。
 ……まあ学者も、あまり言えた義理ではないか。100年ぶりに学説の塗り替えくらいやってみろ、とか言われると…うんまあ。

 ともあれ、しかし



 …できるだけ早く自由な使用を実現して、それによって偉大な創作家の権利をできるだけ縮減しようというのは、うんまあ。
 なら70年はまだしも許容範囲ですかな、とも。

 ともかく、一発あてることができただけでも、かなりの貢献といえる。才能の泉のひとは、ある意味、ほうっておいてもどうせ水を出す。
 そもそも才能の泉など、ろくろくあるものではない。そんな大天才など、滅多にいはしない。となると、大ヒットを連発しないと生きていけない世界では、小天才の出る幕はまずない…。

 では、よいものの数は、さてどちらの世界のほうが多そうか。



 という、そもそもの問題があったりするが。
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