自分だけ安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し、他人を戦場にかりたてて後方で安楽な生活を送りたい?ダメ政治家? pic.twitter.com/ipA9UQuAKA
— ユミキチ (@hktn_AGO) 2017年10月20日
流石に大ヒットを飛ばし、何十年も売れ続けている小説であって、あっちこっちにクリーンヒットする警句やらなにやらに満ちているのである。時代の肖像画とでもいえそうだ。
例えば
「無用の誤解を避けるため、人事に配慮する必要があるのではないかということだ」
「無用の誤解とはどういうことです」
―といった、例の有名な査問会の件は「もりかけ」問題を思い起こす。無用の誤解を避けるため、総理大臣たるもの友人をもってはならぬ、ないし総理の友人たるもの公金が関わるようなものに触れてもならぬ、もし「誤解」が起きたら、それは総理大臣の責任である―というのは無茶だなあ。
とまあ、雑感を持ち、『ああそうだ、次のテーマには銀英伝のあの台詞を引用しようか』と考えたところ、はたと思う。『銀英伝』は、二次的派生作品を多数持つようになったのだ。正典たる本編、銀河声優伝説と道原かつみ版。ここまでは、まあふつうのメディアミックスだろう。
しかし多言語展開にとどまらず、いまや劇場版、新規のコミック版、新規のアニメ版まで。実写版まで用意されつつあるとか。これはもはや、創作界のひとつの古典だ。
そこで想起する―
著作権の、特に保護期間問題をやってきた人間としていうと、「長く観賞される作品」には幾つか特徴があって、中でも大きいのは「繰り返し二次創作された」こと。まもなく著作権が切れる作家では吉川英治や江戸川乱歩。武蔵や明智小五郎の再三の映像化は、間違いなくオリジナル側の作品生命も延ばした。
— 丹治吉順 a.k.a. 朝P (@tanji_y) 2011年1月22日
手近な例では、さらに艦これもその例といえそう。ガンダムもそうだろう。
著作権が現にある状態で盛んに二次創作された作品を引き合いに出して、「二次創作には著作権が障害となる」「だから著作権の保護期間は短いままがよい」と立論するのは、かなり複雑な理屈になるはずだ。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年11月9日
艦これに70年は長すぎるかもしれない。ガンダムに70年は長すぎるかもしれない。が、それなりの統制があってこそブランド価値も維持され、作品生命も(ある方向性を保ちつつ)ながらえることにもなろう。『銀英伝』については、そうねえ、作品制作以来35年ほど。さしあたり、著作権は邪魔になっていないっぽいし、このままもう20~30年あっても問題なさそうだし、作者死後50年維持されているうちに、さらなる翻案の可能性もまああるか。
…一応、通俗娯楽小説の部類ではあって、100年も主力級であり続ける場合、後代の創作家が鼎の軽重を問われそうだとも思うが。
……まあ学者も、あまり言えた義理ではないか。100年ぶりに学説の塗り替えくらいやってみろ、とか言われると…うんまあ。
ともあれ、しかし
一発当てると、後は遊んで暮らせるのと、次々良いものを出さなければならないのではどちらが良いものが多く出るだろう。著作権を無くせとは言わないが90年は長すぎる。出来るだけ早く自由に使える方が良い。90年はアメリカの我がままで伸びたものだと思う。
— 下戸一 (@gekoich) 2017年11月9日
…できるだけ早く自由な使用を実現して、それによって偉大な創作家の権利をできるだけ縮減しようというのは、うんまあ。
なら70年はまだしも許容範囲ですかな、とも。
ともかく、一発あてることができただけでも、かなりの貢献といえる。才能の泉のひとは、ある意味、ほうっておいてもどうせ水を出す。
そもそも才能の泉など、ろくろくあるものではない。そんな大天才など、滅多にいはしない。となると、大ヒットを連発しないと生きていけない世界では、小天才の出る幕はまずない…。
では、よいものの数は、さてどちらの世界のほうが多そうか。
90年という数字は聞いたことがありません。OECD加盟34カ国の中で日本カナダNZ以外の31カ国は作者の死後70年です。ベルヌ条約の最低限は50年ですが、それを長くする先鞭をつけたのは、米国ではなく欧州諸国。スペインは80年でしたが、EUで足並みを揃えるため70年に短縮。貴見は、事実誤認の塊です。 https://t.co/KgGqrZeHb5
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年11月10日
という、そもそもの問題があったりするが。
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