8月15日にシーラーズのホテルで投函した絵はがき
自宅到着は9月7日でした。
すっかり忘れて(諦めていた)いましたが、ポストを見てびっくり
どこを、どうやって来たんでしょうねー
シーラーズのホテル
出窓がステキな商店の二階
8月15日にシーラーズのホテルで投函した絵はがき
自宅到着は9月7日でした。
すっかり忘れて(諦めていた)いましたが、ポストを見てびっくり
どこを、どうやって来たんでしょうねー
シーラーズのホテル
出窓がステキな商店の二階
広大なイランの旅のは3列シートの ゆったりしたバスでした。
道路は広く、舗装もきれいで乗り心地最高でした。
テヘランに帰ります
エマーム・ホメイニの霊廟
イラン考古学博物館
アープギーネ博物館
サアダーバード宮殿博物館
パフラヴィー王家(1925~1979年滅亡)の夏の離宮が点在している
豪華な内部の写真撮影禁止
食料品店
帰国です
ドーハ空港、2週間ぶりのビールが五臓六腑にしみました。
トランジットのあいだに無料ドーハ観光バスに乗ってみました。
海の上の都市で、蒸し暑い夜。
家族,友人からお守り3個も持たされた今回のイラン
ダマバンドも登頂でき、紀元前の歴史にも触れられた
長い刺激的な旅でした。
1597年 アッパーズ大帝が首都と定めてから
エマーム広場を中心に壮大な街並みを造り
絹の輸出などで繁栄を極めて、その栄華を目にした
ヨーロッパの商人や外交使節が
「エスファーンは世界の半分」と言わしめた 街です。
早朝 「スイー・オ・セ橋」まで 女性2人で往復1時間の散歩。
タクシーのおじさん
チェヘル・ソトゥーン庭園博物館 世界遺産
1647年にアッパーズ2世によって建てられた宮殿
繁栄を表す 壁画
英語塾の生徒たち
歩いて「エマーム広場」へ
「マスジェデ・エマーム」 世界遺産
アッパーズ1世の命により1612着工 1638年完成した寺院
真ん中の黒い石の上に立って手をたたくと 共鳴して音が広がる。
このお兄さんは、イラン語?の歌を歌ってくれた。(拍手)
動画を撮っておけばよかった・・・
チヤーイハーネ(お茶の家)で水タバコを楽しむお兄さん。
「アーリー・ガープ宮殿」 世界遺産
エマーム広場はポロの球戯場になっていて
シャー(王様)がバルコニーから観戦を楽しんだといわれる。
バルコニーからのエマーム広場の眺め
右に見えるのがマスジェデ・エマーム
正面は 「マスジェデ・シエイフ・ロトゥフォォッラー」世界遺産
王族専用の寺院
ヴァーンク教会(アルメニア教会)
1655年~64年に建てられた教会
クルド人の家族 夏休みで旅行に来ていました。
夕ご飯のあと再び「エマーム広場」に
ホテルから歩いて15分ほどです。
夜中の11時ごろでもこの賑わい
家族連れが夜のピクニックをしていたり
様々人々が涼しい夜を楽しんでいました。
いよいよ 紀元前の都 「ペレスポリス」世界遺産
紀元前520年にアケメネス朝ペルシャのダレオス1世が建築に着手して
紀元前331年にアレクサンダー大王によって陥落された都
入口にそびえるクセルクセス門
イラン航空のシンボルマークに使われている双頭鷲
階段のレリーフ
アバダーナ(謁見の間)の柱
ダレイオス1世の冬の宮殿
ある夜 百柱の間より出火して、宮殿は廃墟になった。
ラフマト山の中腹から見下ろすペレスポリス
タイムスリップして紀元前の世界を見てみたいな。
ペレスポリスから約6kmの岩山にある
「ナグシエ・ロスタム」
アケメネス朝の王家が眠る墓
お墓の下のレリーフ
世界遺産 「パサルガエデ」
紀元前546年~キュロス大王(2世)のころ建設が開始された
アケメス朝の最初の首都
キュロス2世のお墓
古都 シーラーズ 標高1600m
マスジェデ・ナスーイロル・モルク(ピンクモスク)
西の礼拝堂はステンドグラスをはめ込んだ窓から陽が入ると
絨毯に映ってこの世のもとは思えない美しさ・・・
自前の写真はいまいちなので、pcから拝借した画像です。
バーザーレ・ヴァギール
絨毯屋の少年
キャリーム・ハーン城塞
シーラーズは落ち着いた感じの都市で緑も多くとても気に入りました。
ヤズドのお土産屋さん かわいい食器がいっぱい。
車で1時間ほどのゾロアスター教の聖地「チャク・チャク」へ
山の中腹にある寺院
7世紀ごろ サーサ―ン朝ペルシャが滅ぼされるとき
皇女の一人がこの地まで逃げてきて、ここで姿を消してしまった。
そして彼女の化身のように1本が立ちその根元から水がポタポタ
(チャクチャク)と流れ落ちるようになったといわれる場所です。
地の果て
市内にある ゾロアスター教寺院
ゾロアスター教開祖
燃え続ける火
昔の邸宅を改装した雰囲気のあるお宿です。
瓶は、相変わらずのホメイニビール(ノンアルコール)
アミール・チャグマーグノタキーイエ
15世紀に建てられた
ゾロアスター教の鳥葬(風葬)の丘「沈黙の塔」
左の丘に登ってみました。
ゾロアスター教徒は火と水と土を神聖なものとし、それらを汚す火葬や、土葬を嫌った。
そのため 遺体を鳥葬場に安置して鳥が喰いつくして
自然に還す方法をとった。
現在は鳥葬は禁止され、イスラム教徒と同じく、土葬になっています。
ヤズドの近くでイスラム教徒の集会に遭遇。
次の街はシーラーズ
有名レストランで夕ご飯
洗練されたお店でお味もなかなかおいしい。
生バンドの演奏もありました。
テヘラン観光
ゴレースターン宮殿
ガージャール朝(18世紀~1925)時代の宮殿
タフテ・マルマル 19世紀の王座
タラーレ・アスリ
バートギール 風の塔
シャムス・オル・エマール
バザールは覗いただけ
テヘラン郊外のトーチャル山(3900超え)の山まで ながーい3200mテレキャビンを乗り継いで
テレキャビンの終点で約3700m、山頂は3900m。
ここまでテレキャビンが来るとはおどろきです。
冬にはスキー場になるらしいが すごく寒いらしい。
見下ろすテヘラン
遅い昼食はこんなレストランで。
チェロウ・キャバーブ
イランではアルコールはなく、見えるカンは通称「ホメイニビール」
ノンアルコールの 炭酸飲料です。
下山日
テント場から朝の風景 毎日晴れです。
イランの美女美男もどんどん登ってきます。
皆さん人懐っこく「サラーム、サラーム」とあいさつ&写真攻撃。
ジャポン ジャポンと 返事しながら 楽しく下山。
spa(温泉)まで移動 本来は 水着着用ですが女性専用は日本人だけでしたので
普通に入浴、深さは肩ぐらいまであるプールのような室内風呂でした。
テヘランに向かう窓からの風景。
ダマバンド登頂日
ここは約標高4150m
5:30 発
とにかく複式呼吸に気を付けて、大げさなほど大きく息をしながら
一歩一歩足を進める。
何度も 休み休み 歩きます、
あまりお腹がすかなかったが。
行動食のイランのミックスナッツが美味しい。
ピスタチオ、干しいちじく、干しブドウ、ナッツ類 に朝淹れた紅茶。
5000mあたり 高度障害は感じられなかったが、息苦しさだけ。
12:50-13:30 ダマバンド 山頂 5609m
ダマバンドの火口 雪で埋まっていました。
富士山より小さめの火口、1周30分もあれば歩けそうです。
下り5000mのテラス、で2:30から2:45まで仲間とお昼寝。
無風で暖か、見下ろすイランの山々
最高に幸せな 「お昼寝」でした。
イラン二日目はいよいよ ダマバンド登山です
ホテルからはバスで登山口近くのプロールまで。
登山中に食べるために購入 1個10000リアル(約35円)
ダマバンドが見えてきました。
昼食をいただいた カフェ
焼きたてのナンがおいしいかった
プロール 標高2100m
ここでジープに乗り換えて、未舗装の山道を登山口まで。
モスクのあるグスファントサライ、標高約3100mから歩きはじめます
大きな荷物はロバが荷揚げしてくれます、袋1個 20弗
荒寥とした イランの地
アタックキャンプ「ボルガセボン」標高4150m
17:30着 テント泊
この後 夕ご飯の支度 メニューは 焼肉、ごはん、焼きそば・・・
夜半に起きると 満天の星 星座の位置が日本と違っていました。