tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

悪魔のいた超高速サーキット(14)

2007-01-24 20:09:26 | bad news

結局は、事故の原因はセナのドライビングミスのせい・・・・。
こうしているうちにも、F1自体は何事も無かったように毎年開催され、続いていく・・・。
恐らく、人類が生存競争という本能があるかぎり、人類が最後の一人になるまでモーター・スポーツは続けられていくのであろう。命を賭けた限界への挑戦は、人類の宿命なのだ。そして、2~3人の天才と呼ばれるドライバー達が、同じようにデッドヒートを繰り広げ限界に挑戦し、人々はそれに熱狂する。ネルソン・ピケとナイジェル・マンセル、セナとプロストの熾烈なチャンピオン争い。ミハエル・シューマッハに「最高のライバル」と言わしめたミカ・ハッキネン。歴史は繰り返すのだ。
そして、起こるべくして事故が起こった時、我々はやれやれと頭を振る。我々は人類である限り、こうした過剰な競争による事故は避けられないものと知りつつ、その人類が背負った宿命を呪うのだ。我々はここから決して逃げることはできないのだと。この意味で、イタリアでの裁判は、人類の持つ特質まで踏み込んだ裁判であったと言うことができる。セナの事故は、人類がいつの時代においても戦いの中で進化していく生物であるがゆえに、我々に課せられた避けられない宿命に起因するものであったと・・・。そして、これがイタリアではなく、アメリカや日本での裁判であったのなら、結果は異なり、マシンを構成する材料や空力フォルムに帰着していたかもしれない。その意味で、何ももたらさなかったイタリアの裁判は、皮肉にも人間の本質に迫るものだったと言ってよい。
 
セナの亡骸は、ブラジル・サンパウロ市にあるモルンビー墓地に葬られた。墓碑銘は「NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS(神の愛より我を分かつものなし)」。
「レースをやっていると、人間とはいかに脆い存在かということがわかってくる」。生前のセナの言葉だ。

おわり