スマホがただならぬ警報を発し、その後、大きな揺れ。あの東日本大震災を思い出した。
停電するかもと、パソコンの作業中のウィンドウをすべて閉じて様子見。
テレビを見ないぼくは、災害時の情報収集はもっぱら、ラジオとパソコンだ。今朝も朝からラジオを聞いて過ごした。人の声を聴いていたい、そんなときもある。
昨夜の地震について触れるパーソナリティ(死語?)は、いない。プログラムの合間にニュースセンターからの情報が入るのみ。いつもどおりのバックビートのラップ。局の人たちは、これを心地よい音楽と感じているのだろうか。高音の金切り声が耳に突き刺さる。普段なら刺激的な音楽と思えるのかもしれないが、うるさいだけだ。
「国難とも呼べる災害や不幸のときには、普段対立している人たちも一致団結して協力し合う」とか「弱者の味方をする人々は、弱者に寄り添い、助けてくれるだろう」という考えは、いつもながら幻想にすぎない。あのFUKUSHIMAから10年間、ずっと思い知らされたことだ。
被災地を助けるどころか社会不安をますます煽り、攻撃し、被害に追い打ちをかけてくる。
もう、そんなラジオ局はいらない。パーソナリティ、スタッフたちはもう一度、何のための放送なのかを考えた方がよくはないか?