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”あさがお”も”ほおずき”も秋の季語。
一方、「ほおずき市」は盛夏に行うため、秋の季語とする中に夏の季語とする意見も。。
夏休みが始まった都内は、浴衣の女性の姿もちらほら。
特に、下町に浴衣姿は良く似合う。涼しげな浴衣姿を求めて下町散歩。。
明治26年に大学を卒業した夏目漱石は、講師として東京師範学校へ赴任。小石川伝通院のそばの法蔵院に間借りした。
当時、小石川の源覚寺(こんにゃく閻魔)から伝通院にかけては、漱石お気に入りの散歩コースだったようだ。小石川付近の情景が小説になんどか登場する。
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「電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なく向うの崖を眺めました。(こころ)」
また、永井荷風は、明治12(1879)年に伝通院の近くで生まれ14歳まで育った。随筆『伝通院』(明治42年頃)では、「パリにノートルダムがあるように、小石川にも伝通院がある」と賞賛した。
さすがに当時のころの様子は今は残っていない。
だが、下町の狭い路地をたどっていると、かつての明治の文豪たちが住んだ町だったことを思い起こされる。
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