tetujin's blog

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ありがとうトルコ

2019-09-24 22:32:55 | 日記

トルコの領空に達した時、その飛行機の機長は「WELCOME TO TURKEY」とアナウンスした。次の瞬間、機内に歓喜の叫びと、大きな拍手とが起こる。
心からほっとした乗客の一人が、そばにいたキャビン・アテンダントに声をかける。「ありがとう」。
その声にトルコ航空のキャビン・アテンダントはほっと一筋の涙を見せる。彼女もイラン・フセインの空爆が怖かったのだ。乗客の手荷物よりも、客室の毛布を優先してキャビネットに詰め込むうような日本航空のキャビン・アテンダントには、とうていできない自己犠牲の勇気だ。

1985年3月19日、2機のトルコ航空の飛行機がテヘラン空港に緊急着陸し、自国民および日本人216名全員を乗せイランを脱出。イラン上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃するとサッダーム・フセインが宣言したタイムリミットの1時間15分前だった。

この時、イランに住む日本人以外の外国人はおのおの自らの国の航空会社や軍の輸送機によって順次イランから脱出した。ところが、日本においては日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されないことを理由に政府専用機による日本人救出を拒否。
イランとて、日本航空の旅客機を戦闘機で護衛するわけにはいかない。しかも、外国人が皆無になれば自国の爆撃が決定的になる。日本航空はイランのこうした出方を見越してのことだろう。
当時の自衛隊は外国における活動を人道目的を含めて想定しておらず、また、イランまでノンストップで飛行できる航空機が配備されていなかった。
なお、トルコ機は自国が近隣に位置することから陸路での脱出もできる自国民よりも日本人の救出を最優先し、実際この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出。

日本は戦後、目を見張る経済発展を果たした。その間に忘れてしまったものがたくさんあるように思えてならない。



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