シネマやテレビ、ラジオすらなかった中世社会において、世界各地で娯楽と情報の重要な役割を果たしたのは旅芸人であったろう。旅芸人たちは、曲芸や手品、演芸はもとより、舞踊、楽器演奏、歌唱などを行い、日銭を稼ぎ各地を渡り歩いていた。こうした旅芸人が世界中にいたのである。日本でも、戦後直後までは、南京玉すだれや猿回しなどの曲芸、ガマの油売り、バナナのたたき売りなどの口上売りがさかんに行われていたようだ。
映画、「道」(1954) La Strada で、フェデリコ・フェリーニ監督は、犬のように吠えることしか知らない旅芸人の男の、過酷なほどの喪失感や絶望、取り返しの利かない失敗や恥辱、信頼してくれた人に果たせなかった約束といった人生の傷を描いて見せた。
ただただ、さすらうほかのない人生。
現代の旅芸人たちは、そうした人生のスパイスをうまくアレンジして、「笑い」を芸の領域にまで昇華させることに成功している。そう、「笑い」は、多様化するストレス社会の中で、現代人が何よりも増して必要としているものなのかもしれない。「笑い」は、現代人の心を癒し、経済や社会の不安感を払拭する。価値観が多様化した社会の中で、同じ場所でみんなで笑いあえる大道芸は、現代人にとって非常に貴重なものに思える。少なくとも大道芸の笑いは、人と人との関係を良い方向に持って行く作用を発揮するにちがいない。
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どうせ人生 回り舞台
踊れ踊り子 赤いルージュで
涙隠して 夜明けまで
笑いを提供する人間は、自分の中の笑いと相反する要素を決して悟られてはならない。
悟らせないために騒ぎ続けてはしゃぎ続けて、それでやっと他人様を感動させることができる。
一流のパフォーマーほど、裏側には観客の誰よりも深い苦悩や悲しみや傷跡を宿しているのでしょうね。
大道芸人の彼彼女らは、一人きりの時間にどんな素顔を見せるのか‥‥今シリーズの一連の写真に、そんな事を考えさせられました。
やはりサンマは房総沖だという想いが、より強くなりました。ありがとうございました。
タイニーもお笑いにはしります。
夜中に一人で笑って後ろ振り向きます。
誰もいる訳ないんですけどね。
>大道芸人の彼彼女らは、一人きりの時間にどんな素顔を見せるのか
いつか、そんな写真を撮ってみたいですね。
宿題がどんどん増えていく・・・。
>夜中に一人で笑って後ろ振り向きます。
それって、やばくね?
tetujinは夜中に一人でポットに話しかけます。
今日も、一日お疲れさまでしたと・・・