tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

クラッシュ

2006-09-27 00:18:02 | cinema

えーと、あのう・・「あ・うん」の呼吸ってご存知です?でも、コミュニケーションなしに他人と理解し合うっていうのは、ぜったい無理でやんすよね。
だいたいは、外見で差別されて、本心が伝わらないままに諍いが起こっちまうでやんす。
でもね。アニメの「あらしのよるに」では、外見の壁を取っ払えば例え捕食の関係にあるオオカミとヤギでさえ真の友達になれるって・・いや~、いい映画ですよね・・ほんとに!

「あらしのよるに」に出てきたオオカミのキャラクターには、あこがれに近いものを覚えた。が,それは置いておいて・・・

いくつもの全く関係のないストーリーが、登場人物とつながって、物語が完結していくという構成の映画が増えてきたように思える。「クラッシュ」でも、一見バラバラな登場人物たちの人生が、思いもかけない形で交錯し、狂い始めていく様子が描かれている。
ぶつかりあう人間達。全く別々立場の人間が、それぞれ微妙に関係して人間ドラマが形成されている。生から死へ、愛から憎へ。連続的に繰り返されるいくつものドラマ。

中国の思想に曼荼羅の世界感があるが、まさにこの映画に表されているものはそれである。互いに、わずかづつでも影響しあって、人と人が必然的にクラッシュする場所、それが社会(人生)なのだとこの映画は伝えてくれる。

しかし、登場人物であるアジア人、アラブ人、アメリカ人等の自己主張はすさまじく,辟易させられる。
きっと、この自己主張の強さが米国の人種差別の根底にあるものと考えてしまう。

差別と言えば、学生時代に旅行したイギリスの地下鉄でのこと。がらがらの車両で、その車両には僕と、目の前に座る帽子をかぶりステッキを持ったステレオタイプの初老紳士の2人だけがいた。
くだんの紳士は、あたりをきょろきょろ見回し、僕以外、誰もいないことを確認すると、手に持っていたまるめた紙くずを座席の下に捨てたのである。
これを見て、彼を躊躇させた原因であろう行き届いた英国マナーに関心すると同時に、いくら東洋の若造であれ、目の前に座っている僕を人間として見なさない差別に愕然とする思いであった。
(まあ,この時も普通にクラッシュには至らなかったけど・・・)

 It's the sense of touch. In any real city, you walk, you know? You brush
past people, people bump into you. In L.A., nobody touches you. We're
always behind this metal and glass. I think we miss that touch so much,
that we crash into each other, just so we can feel something. (from Crash)

 



 

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