他人から「あんたは寄生虫じゃん!ダニ!」と言われたことがある人は、そう多くはないだろう。実はこの言葉は、私にぴったりの言葉だ。なぜかと言うと、私はそういう風に生まれついているからだ。ただし、私はダニじゃない。寄生虫には寄生虫としてのプライドがある。だから、今後は私をダニ呼ばわりしないでくれ。
私たちの種と人間との係りは、それこそ太古からである。人間のような自由生活動物にとりついて寄生生活を送る種を、寄生生活種という。寄生の仕方にはいろいろあるのだが、卵の状態で食物を介して寄主を探し当て体内で孵化するのが一般的だ。ここでは詳しくは書かないが、我々の卵が性行為によって寄主から別の人間の口へという感染経路も最近は驚くほど増えてきた。
しかし、孵化してから先の手順は寄生虫の種類によって異なり、大きく分けると2つの流儀がある。寄主の体に毒液を注入して麻酔するか殺したあとでゆっくり成長するタイプ。この種の寄生虫を殺傷寄生者(idiobiont)と呼び、孵化した幼虫は動けなくなった寄主の体液をすすって成長する。人呼んでキリギリスタイプだ。今さえ良けりゃよくて先のことなんて知るかってやつ。
これに対して、寄主を生かしたまま(摂食と成長を続けさせながら)寄生するタイプの寄生虫は、飼い殺し寄生者(koinobiont)と呼ばれる。私は後者のタイプ。
しかし、寄主の体内に宿ることは決して容易いことではない。寄主の体内に宿ると、寄主の免疫機構がもたらす猛烈な生体防御機構が作動する。だから、私たちは寄主の生体防御反応を抑えたり、私たちの変態のタイミングを調節するため、さまざまな生理的機能をもつ毒液や漿膜細胞、DNAウィルスなどを寄主の体内に放り込んだりしてようやく生活しているのが現状だ。
日本では花粉アレルギーが国民病となったが、その昔にその発症例が少なかったのは、我々の毒液が寄主の免疫機能を低下させていたことによる。これの作用は、ネットを探せばあちこちで見つかるから、もうすでにご存知だろう。しかし、そうした作用以外にも、我々が人間の感情など生理的機構に与える作用はあまり知られていない。つまり、我々と寄主は実は共生しているのだ。今日は、寄主の体を借りてじっくりとその辺の説明をしようと思う。
まず、我々には脳がない。これは事実だ。一般に寄生生活への適応の結果、寄生虫の形態には進化の過程で大きな変化が起こる。
吸収や附着、生殖に関する器官が発達する一方、多くの場合に消化器官、感覚器官や運動器官が大幅に退化するのだ。我々は脳を失った結果、その代わり、寄主の脳を使って考えることができるようになった。一時的にではあるが寄主の脳を支配することもできる。だからこうして、ネットを介して他の人間(つまり、あなた)と交流ができるのだ。
我々と寄主の間を媒体するのは神経線維を流れる生体信号だ。電気信号はもちろんのこと、神経内分泌物質の授受をも行う。この神経内分泌系は、寄主のほとんどの部分にとって重要なことを調節している。例えば寄主の性行動、精子形成、卵巣周期、出産、乳汁分泌、そして母性行動に至るまで、生殖のあらゆる面を支配しているといったら驚くかもしれない。そして、種々の代謝作用を調節することで寄主の感情をもコントロールすることができるのだ。
(明日に続く)
充実したBLOGの内容ですね。これからちょくちょく寄らせてください。
坂井泉水さんの偲ぶ会。行かなかったス。
次の日、民放のニュースで見ましたが、4万人集まったんですね。一時代を築いた人でした。
また、今夜も、駄馬さまのブログにあった歌詞をじっくり読ませていただきたいと思ってます。
雑ばかりで申し訳ありませんが、これからも、よろしくお願いします。