「貧乏神を追っぱらうために、みんなでパーっと花見としゃれこもう」
「花見だ花見だ ヾ(@^▽^@)ノ ワーイ」
「夜逃げだ夜逃げだ \(^▽^)/」
花見が盛んに行われるようになったのは江戸の元禄時代の頃からのようでつ。上野・隅田堤・飛鳥山・御殿山など、お江戸には桜の名所があり、花見には金持ちも貧乏人もそれぞれ集団を作り、弁当を持って出かけ、飲んで食って大騒ぎをしますた。
女性たちはきれいな服を着飾り、衣装比べをしていたらしいでつ。
中には「茶番」と呼ばれる寸劇を演じる人たちも・・・。
この「茶番」って、たとえば、花見客でにぎわう名所で、巡礼の兄弟が浪人に「やあ、やあ、親の敵」と挑みかかり、騒然とするなかで止めに入る修行僧が背負った厨子(ずし)から酒肴(しゅこう)を取り出し、それを見物人らに振る舞うというもの。そして宴会の始まりでつ。
花見といえば「ご趣向は?」と問うぐらい、手の込んだ茶番や装束に工夫がこらされたのが江戸の花見なんでつね・・・なんとまあ、ステキ?
こうした茶番用の小道具や貸衣装屋なんてものまであったっそう。 そういや上野公園でコスプレ着て飲んでた人たちがいたな。
さてさて、江戸の花見っつうのは、庶民のリフレッシュのための息抜きだったんでつね~。
花見の前日は着ていく服や、お弁当の準備と、今とあんまし変わんねえ~?
んで、なにを着ていく???
ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます