tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

さらに深く、長く

2008-05-17 18:25:23 | 日記

船で昼食を終えて浮島に戻り、サンデッキで昼寝でもと思ったのだが、やはり、午前中に試したフィンなしでのシュノーケリングが深く潜れなかったことがくやしかった。それに、まだ他の客はランチを楽しんでいる時間だから、シュノーケリングしている客は見当たらず、ライフガードもヒマそうにしている。そこで、午前中に面倒を見てくれたライフガードを捕まえて、潜れなかったことに対するリベンジを告げ、またサポートをお願いした。

シュノーケリングのセットを借りようとデッキに行くと、暇そうなデッキボーイたちに、「どこから来たの?」とか、「足をどうしたの?」とか、いろいろ聞かれて話がはずんでしまい、サポートしてくれるライフガードが途中で会話を止めてくれるまで、ぼくは質問の集中砲火を受けていた。
「今度はフィンをつける」というぼくに、ライフガードは片方だけフィンをくれるのだが、ぼくはもう片方も要求。自己責任で、やれるだけやって見るつもり。
結論から言うと、両足にフィンを着けることでぼくは水中を自由に潜ることができた。体にロープでフロートを結わえつけたライフガードが、フロートの浮力のせいで潜れずにあたふたしているのを尻目に、彼のすぐ傍を大きくフィンを蹴って水底に潜るや、すでに水面に浮上している彼に水底からノープロブレムの合図をして浮上。
彼が本気になってフロートをはずして潜るも、ぼくは更に深いところに潜って魚を追いかけていた。下は砂地。部分的にソフトコーラルがお花畑みたいに群生している。
途中、浮島のデッキボーイたちに昼食のパンを投げてもらい、魚の餌付けを。パンを指でつぶしてばら撒くと、大小、無数の魚たちがやってきて、パンくずを争って食べていた。
後で聞くと、船の上から心配そうに見ていたクルーたちは、ぼくが潜ってから1分以上も浮上しないので、潜るたびにハラハラしていたらしい。後で、10mの水底で魚の写真を撮っていたことを打ち明けると、一躍、ぼくは彼らのヒーローになってしまった。

デッキに上がってから、ライフガードやインストラクターたちに、ダイビングについていろいろ聞いた。日本語ができるというインストラクターが教えてくれたのだが、ダイビングは水深10mほどのところをドリフトするらしい。これまでにウミガメやサメを見かけたことはなく、どうやら、魚は沖縄でよく見かけるネッタイカサゴやカクレクマノミが主なもののようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュノーケリング

2008-05-16 23:03:37 | 日記

考えてみればわがままな客だ。
「泳げないかもしれない。だけど潜りたい。だから手伝って・・・・・・」
マスクとシュノーケルを受け取ると、ゆっくりシュノーケリング用デッキに設けられたステップをつたい降りて水面へ。
カエル足でフロート沿いに浮島から離れ、水面を覗き込む。下は砂地。透明度は10mそこそこというところだろうか。結構、カレントが速いにもかかわらず、海水はプランクトンで濁り気味のようだ。
手始めにジャックナイフで潜ってみる。片手に水中ハウジングに入れたカメラを持っているため手で水をかけずに、カエル足だけで潜るも沈まない。もともと、カエル足は足を曲げた瞬間、進行方向とは逆のモーメントが働くため、手で水を掻くことなしにカエル足だけで潜っていくのはつらいものがある。浮島近くの水面で、ジタバタしているぼくを見かねたのか、ライフガードの一人がぼくの手を取って、サンゴ礁のある根のポイントまで連れて行ってくれた。

シュノーケリング。ぼくら日本人は、カメラ小僧が多いから、とにかく水中へ潜りたがるようだ。潜ってサンゴの根に取り付き、息が続く限り魚に寄って写真を撮る。一方、オージーたちやコーリアンたちは、水面から水底の地形や魚の群れなどを見て楽しむ。だから、フィンもつけずに、しかも、不自由な足で深く潜ろうとするぼくの行動が理解できないでいるのかもしれない。
サンゴの根にいた魚。沖縄では見かけたことがない鼻の先に角をつけたツマリテングハギやら、横じまのリボンドグラント、クラカケチョウチョウウオ、ツノダシ、クマノミ。ダイバーのアイドルのモンガラカワハギが水底を泳いでいるのを見かけたのだが、そのそばまで潜ることはできなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天国に一番近い島

2008-05-15 22:29:57 | 日記

さて、運良く開いていた両替商に立ち寄り、無事に両替を済ませた後、車はバリハイクルーズへ。
島の人口に比べて圧倒的に多すぎるように見える車やバイク。文明の利器ではあるものの、逃れることのできない交通事故や地球温暖化のデメリットに思いをめぐらせつつ、桟橋のゲートをくぐる。
受付を済ませ乗船すると、昨夜、足の悪いぼくのために特別に食事をサーブしてくれた女性がやってきて再会。さらに、ナディアも顔を見せに来た。彼女は航海中サンデッキにいると言う。ラウンジでコーヒーを飲み干すと、ぼくはサンデッキの階段を松葉杖で登っていった。まもなく出航のサンデッキには、数名の客がいるだけだった。

レンボンガン島へ着くまでの約1時間のクルージングの間、ナディアはぼくをエスコートしてくれた。天気は時おり小雨がぱらつくものの、その合間には薄日が射し、雨季にしてはまずまずの天気だ。というよりも、南国の猛烈な陽射しがない分、天国かもしれない。船は外洋の大きなうねりを乗り越え、波しぶきを上げて高速で進んでいく。
森村桂は、ニューカレドニアを”天国に一番近い島”と形容した。ぼくにとって一番天国に近い島は、顔を合わせると満面の笑みをくれるバリニーズの住む島だ。

船はレンボンガン島の海岸から50mほど沖合いに設けられた浮島に接岸。バナナボートやオプションのダイビング、パラセーリングなどすべてのアクティビティは、この浮島をベースに楽しめる。
ダイビングのオプションを選んだ日本人やオージーたちに羨望のまなざしを向けながら、さっさと水着に着替えたぼくはシュノーケリングの案内を請う。
もともと黒いのだが、さらに見事な日焼けで黒光りする肌をした立派な体格のライフガードが、シュノーケリングのエリアを指差して教えてくれる。そして、足の不自由なぼくを見て、ライフジャケットの着用を勧めてくれるのだが、水中に潜りたいぼくはライフジャケットの着用を渋った。水深10m程度とはいえ、外洋につながっている海はうねりが強く、フロートで区画されたポイントを外れて30mほど岸に向かえば、サーファーが大勢待ち構えているポイントとなる。
波打ち際では1mぐらいの日本で言う大波が白く砕けていて、こいつに捕まっちまったら、今のぼくには命の保障はない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リーフクルーズ(ピックアップ)

2008-05-14 20:13:32 | 日記

翌朝、リーフクルーズのピックアップのための8時の待ち合わせに現れたドライバーは、プナと名乗る40過ぎの陽気な男だった。結局、彼とは長い付き合いになることになる。彼は、そこそこ英語を話すため、会話には全く不自由をしない。
ホテルのロビーのイスに座ってピックアップを待っているぼくに、しばらく様子を伺ってからバリハイクルーズのリーフレットを掲げて見せたのが彼だった。
彼と会うなり、ぼくはいきなり交渉。実は、何に使ったのか、おととい空港に着くなり両替した820,000ルピアがもうすでになくなりかけていたのだ。手持ちが82,000ルピア(1000円)を切ってくると、さすがに物価の安いバリとはいえ心細い。両替はいつでもできるわけではないので、飲み水すら買えなくなってしまう恐れがある。だから、クルーズ前に街のMoney Exchangeに寄ってと。
そして、交渉成立。どっかの両替屋に寄ってくれるとのこと。
約束の待ち合わせ時間を過ぎても、現れない他の日本人客を待っている間、プナはウブドへの車のチャーターを40US$で持ちかけてきた。相場よりも安い。ただ、ぼくはもしウブドに行くのなら、昨日、夜のクタを案内してくれたドライバーのアデサに頼もうと思っていたので、返事を保留にした。ホテルのインフォメーションや、ガイドブックの情報と比較すると、チャーター料金40US$は確かに安いのだが、どうも怪しい。だから、アデサにも聞いてみて、それから決めようと思ったのだ。しかも、アデサの方が生活に苦しそうな印象があり、喜んでもらえそうな気がする。

遅れてきた日本の3人の若者たちを乗せ、車はホテルを出発。昨日のバリハイクルーズ行きの道と違う道と思ったら、ハイアットホテルの玄関で、2人のオージー娘をさらにピックアップ。どおりで、マイクロバスで迎えに来るわけだ。
オージー娘をピックアップするため、 ハイアットホテルの玄関前でドライバー不在になった我々の車に、バックしてきたベンツのバスが衝突するというアクシデントが起こったが、多少、バンパーがへこんだだけでダメージはほとんどなし。事故の処理も、相手のドライバーの名刺をもらい連絡先を確保するだけで、あとでゆっくりと示談交渉ということになった。
助手席に乗ったぼくは車のウィンドウを下ろし、そばで心配そうに見つめるホテルの女性従業員と会話。彼女は笑顔で車のダメージがほとんどないことを教えてくれた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜のドライブ

2008-05-13 23:06:25 | 日記

ホテルまでの帰りの車は、迎えに来てくれたのと同じドライバーのアデサが待っていた。ホテルの部屋にサービスのミネラルウォーターが今日は置かれていなかったことを思い出したぼくは、ごく軽い気持ちで彼に、帰りにコンビニに寄ってくれるようにお願いする。
ホテルの建屋の中にはコンビニがあるのだけれど、この時間、開いているかどうか不安だったし、そのうえ、ホテルの部屋の冷蔵庫のミネラルウォーターのボトルは、冷やすために無駄な電気代を使っていて買う気がしない。
アデサは、コンビニに寄ってというぼくのリクエストを笑顔で受け取ると、イグニッションを回して車を発進させた。開け放った車のウィンドウから気持ちよい風が入ってくる。。。・・・・・・車は来た道とは全く違った道を走っていた。
彼に確認すると笑顔で「ノープロブレム」を連発する。

30分過ぎてまだホテルに着かないので、ぼくはもうどうにでもなれと開き直っていた。その間、彼とはいろいろ話をしたのだが、決して悪いことをするような人間に見えなかった。聞けば9歳の男の子と生後3ヶ月の女の赤ちゃんがいるらしい。彼はあまり英語が上手じゃなく、彼の思っていることがうまくしゃべれずに、じれったそうにしている。そして、しきりに、ぼくの英語が上手だとほめてくれる。
そのうち、車はクタへ。ホテルのあるサヌールとは方向が全くちがう。高級ブティックなどが並ぶ道の片側に車がずらっと駐車してある大通りを抜け、ヒンズー教の島というのにあちこちにあるマクドナルドの前を通ってクタ・ゴーギャン通りへ。あふれそうなほど、たくさんの観光客がラフな格好で歩道を闊歩している。歩道の向こうには、店内をライトアップしたショーウィンドウ。
洪水のような人の流れと店の電飾は、大都会の眠らない町を連想させる。
ハードロックカフェを過ぎて海岸沿いの車がたくさん停まっている場所に車を止めると、アデサはここで写真を撮れという。よく意味がわからなかったのだが、とにかく有名なスポットなのかもしれない。地元の駐車係(彼らは、ここで車の整理をしてチップをもらっている)にシャッターを押してもらって、アデサと一緒の写真を撮る。あとで地図を調べてみたのだが、中級クラスのホテルが立地しているだけであり、数年前に爆弾テロのあった場所でもない。何故、アデサが写真を撮れと言ったのか今もなお不明だ。

写真を撮ったあと、さらに車は走り、今度はカルフールという巨大なショッピングセンターへ到着。彼はここでペットボトルのミネラルウォーターを買えると言う。確かに巨大な店だから買えるには違いないが、あまりにも店が巨大すぎて、店の入り口がどっちの方向へ行けば良いのかすら見当がつかない。不安そうにしていると、アデサがチップを渡した駐車場の係員に店の入り口を聞くが、かなりの距離がありそうだ。松葉杖の身には、ペットボトルの水を探して店内をウロウロ探し回るのも厳しく、2人で顔を見合わせて購入を諦めた。
結局、1時間以上、夜のバリ島の繁華街をドライブしてホテルに向かった。ミネラルウォーターは、ホテルの冷蔵庫の100円のボトルを利用することにした。アデサは、ぼくがミネラルウォーターを買えなかったことがとても残念な様子だった。

ホテルに到着して、ぼくは夜のドライブに連れて行ってくれた彼の好意に大いに感謝した。そして、彼の連絡先を紙に書いてもらった。
別れ際、20万ルピア、日本円にして約2500円を彼に渡し、彼の子供たちに日本のおじさんからプレゼントとしてケンタッキーフライドチキンを買ってくれるように頼んだ。とても高い水代になったが、ぼく自身、夜のクタのドライブを満喫できたし、何よりも、今の日本人が忘れてしまっている彼の親切な気持ちが嬉しかったのだ。受けた親切に対し、お金を渡すのは気が引けたし、受け取ってもらえないと思ったのだが、彼はすごく恐縮して、そして最後には受け取ってくれた。
ぼくがインドネシア語を話せたら、彼とは良い友達になっていたかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする