tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ディナーショー

2008-05-12 20:49:47 | 日記

ショーはインドネシアの若いチャーミングな女性シンガーのライブから始まった。曲のリクエストができると聞いて、一番奥のテーブルにいたぼくは、いくつかのサンセットにふさわしい曲を紙に書いてナディアを通してお願いしたら、そのなかで懐かしいABBAの「ダンシング・クイーン」を歌ってくれた。
ぼくは、ナディアと話しながら80年代のビートを楽しんだのだが、どうやら日本や韓国から来ている若者たちには、あまりノリの良い曲ではなかったかもしれない。

ディスコタイムが始まり、一番ノリの良いのはオーストラリア人たちだった。小さな赤ちゃんを連れた若夫婦のダンナの方は、ショーの間中ノリノリで、大声をあげては狭いキャビンの中を踊り狂っていた。次いで韓国のイモ(ナディアに言わせれば、「イモ」は韓国語で「おばちゃん」のことらしい)が、フロアーの真ん中でちょっとだけビートの合わないステップを踏んでいる。日本の若い女性たちもなかなかのもので、天真爛漫な笑顔を輝かせて控えめにステップを踏む。若者たちの特権だろうが、見ていて気持ちが良い。
ライブの後は、インドネシアの金色の布でできた衣装を着た女性たちの伝統的な踊りに始まって、フレンチカンカンや、ブロードウェイのようなラインダンス。そしてマッチョなボディビルダーたちのポージングパフォーマンス。これに大ウケなのが女性客たち。その一方で、男性客たちは苦い顔をして筋肉ムキムキのニクタイを見ていた。
メインの出し物はドラッグクイーンのショー。一昔前の派手な化粧とセクシーなドレス。どう見ても女性にしか見えない。しかも、知性があふれていて友達が多そうなタイプ。ぼくらは彼女の歌って踊るセクシーなパフォーマンスに酔いしれた。

ショーが終わって、またディスコタイム。はしゃぎまくるオージーと、リズム感がいまいちのコーリアンたちのさわぐ声をよそに、ぼくはナディアとクルーズツアーのことなどをいろいろ大声で話し合っていた。
聞くと、彼女は明日のデイタイムクルーズにアテンドするらしい。しかも、その後、2日間はデイタイムクルーズの仕事はないらしい。彼女は、「リーフクルーズなら、松葉杖でも参加できるし、フィンを着けなければシュノーケリング(スキンダイビング)もできるかも」と言う。
折りよく、大音響のディスコミュージックが終わり、キャビン内にぼくの声とナディアの声が響いた。
「行く。ゼッテェー行く」
「待ってるわよ」

下船の際に、ナディアが明日のツアーの予約のために、ぼくを受け付けに案内してくれた。だが、受付で聞くと料金は正規の85US$。ナディアの紹介でもディスカウントはないらしい。それなら、10%のディスカウントがあるホテルのツアーディスクから予約をとることにしてバリハイクルーズをあとにした。ナディアよ。ごめん。君にコミッションが入ったかも知れないのに・・・・・・。

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クルーズディナー

2008-05-11 14:28:25 | 日記

船のデッキから見る湾内の浅瀬には、数多くの漁船が停泊していた。いつかモルジブで見た、カツオの一本釣りの漁船かもしれない。立ち上がれば船が揺れて海面に落っこちてしまうそうな頼りない小さな船に親子3人で乗り込んで、子供たちが水面を叩いて小魚がピチピチ跳ねている様子を模しているなか、音にだまされて興奮したカツオを、父親が面白いように何匹も吊り上げていたのを思い出した。午前の光を反射してキラキラ光る鏡のような水面で、遠くにシルエットのように浮かんでいたその船が印象的な景色だった。
ここべノア湾内もほとんど風がなく、時おり、国際線の飛行機がジェットエンジンの音と共に夕闇に巨大なシルエットを浮かび上がらせて、海上の夕べは静かに暮れて行った。

ナディアに呼ばれ彼女のエスコートで船室に戻ると、ディナーが始まった。ここでもまた、インドネシアデザインのユニフォームを来たラウンジの女性が、足の悪いぼくの代わりに、いろいろな料理を皿に取り分けて持ってきてくれた。シーフードのアペタイザーに始まって、スパイスの効いたチキンやポークのグリル。そして数種のフルーツ。ランプータンは甘く、ライチに似たような味がして、パパイヤやマンゴーは南国そのものの味がした。
とても、食べきれないと皿に乗った料理の数々を見て思ったのだが、1時間ぐらい時間をかけて食べたら、数個のプチケーキ以外はすべて完食することができた。
せっかく入院中に食事の量を半分に減らしてベストの体重まで落としたのだが、こんなに食べたらまたデブに早戻りだ。気をつけなければいけないかもしれない。

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サンセットディナークルーズ

2008-05-10 17:09:04 | 日記

数あるオプショナルツアーの中で、これだけは行ってみたいと日本を出る前から決めていた。雨季に当たるこの時期。気まぐれなスコールを覚悟しなければならないのだが、骨折した足に不安を抱えている今、少々天気が悪くても動けるうちに参加したかった。
ということでバリに着いた翌朝、ホテルのツアーデスクに行き、受付にいた目がキラキラ輝く賢そうなバリニーズの女性に、バリハイクルーズのサンセットディナークルーズを予約。彼女には、この旅が終わるまで、いろいろ世話になった。
船はデンパサールのべノアハーバーから17:45に出港し、20:45に帰港する。デンパサールインドネシア国際空港を横手に見ながら、波の少ないべノア湾内を何度も往復する間に、ビュッフェの食事がもてなされる。そして、何といってもクルージングの最大の呼び物は、パリのナイトクラブを彷彿させるようなナイトショーだ。インドネシアの女性シンガーのライブが聴ける上に、オカマのショーもあるらしい。

ピックアップのため、17:00にホテルのエントランスに現れたのは、TOYOTAのキジャンに乗ったアデサという人の良さそうな30歳前後の若者だった。ロビーのソファーには、何人かの客が他のツアーの送迎待ちで腰掛けていたのだが、やってきた彼は、まっすぐにぼくのところへ来ると、はじけるような笑顔で「バリハイクルーズ?」と聞く。
今、考えれば、1人でツアーを申し込んだ上に、群れたがる日本人観光客たちから離れてポツンと座っていたから、すぐにぼくとわかったのかもしれない。例によって、車に乗り込むや窓を全開に。エアコンは、ドライバーのアデサにはかわいそうだけど止めてもらう。
車は20分ほどでべノアハーバーに到着。途中、ものすごい数の退勤する人々のバイクの群れとすれ違いながら、道路に設けられた検問を抜け、さらに、ハーバーに設けられたゲートをくぐり抜けて桟橋に到着。インドネシア衣装を身にまとった女性から花のレイを首にかけてもらい、受付を済ませるとウェルカムドリンクのもてなしがあった。
ほどなくしてボーディング。そして17:45ジャストに離岸。これで、ぼくは片足に体重をかけてはいけない松葉杖の状態で、タクシー、バス、電車、飛行機、船と、ほぼ主要な乗り物を制覇したことになる。残るは、自転車だ。

船内の移動は、2階のデッキに上がるために狭い階段を登っていかななくてはならないが、松葉杖をついていても特に問題はない。
デッキの先頭に座って日が暮れていく様子を眺めていたら、船のクルー達による救命具のつけ方のインストラクションがあった。

そのクルーの一人の女性ナディアが、松葉杖のハンディキャップを背負いながら、多くの白人グループや、日本や韓国のカップルに混じって、一人だけポツンとデッキの長イスに腰掛けているぼくに、いろいろ気を使って英語で話しかけてくれた。これも、松葉杖ハンディキャッパーの役得だ。彼女は結婚して子供もいるのだが、ロシア語会話の学校へ週に2日ほど行って、ロシア語を勉強中らしい。近年、観光客で増えつつあるロシア人を相手にガイドをしたいという、しっかり者だった。

空は、あいにく曇り空。残念ながら西の空は厚い雲に覆われて夕日は見えない。というよりも、明るく見えた水平線の方向をダイビングウォッチにくっつけてあるコンパスで確かめると、そっちは東。デッキの大勢の観光客は、東の空に顔を向けて日の暮れる様子を楽しんでいた。

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マッサージ(2)

2008-05-09 23:23:37 | 日記

まずは、かすかにレモンの香りのするティーをご馳走になる。控えめのレモンの香りと甘さがうれしい。
その後、部屋の奥にある浴槽のそばに置かれた洗面器に案内され、彼女がその中にお湯を張ったから、手を洗えと言う意味かなと思ったらどうも違うようだ。「足だ」と言われた。
洗面器に足を突っ込んで洗おうとしたら、彼女にまた怒られた。どうやら、洗うのは彼女の役目らしい。バスソルトの入った洗面器のお湯で軽石でさっとこすって足を洗い終えると、マッサージベッドに彼女の手を借りて移動する。腰に巻いたサリーはほどかれ、うつぶせのぼくの体に掛けられた。
いよいよ、オイルを手に取った彼女のマッサージが始まる。
良い匂いのするマッサージオイル。ベトつくことはなく、マッサージのあともサラサラしているから、たぶんヤシ油かと思ったら正解だった。くすぐったがり屋のぼくは、子供の頃からマッサージと言うものが苦手だったが、彼女のマッサージは的確で非常に気持ちがよく、筋肉の一本一本がほぐれて行くのが実感できるような気がした。

マッサージの間、ぼくらはいろんな話をしていた。と言っても、主に質問をするのはぼくで、彼女がそれに対して一生懸命考えながら答えてくれていたのだが。毎日のお祈りに何をお願いしているのか聞いてみたら、彼女は笑って答えてくれなかった。きっと、人に言えないような恥ずかしいことを祈っているのかもしれない・・・・・・なんて。

マッサージが終わると、シャワーを浴びて着替えをし、最初と同じようにその間、外に出ていた彼女を呼ぶ。再びやって来た彼女とお別れの挨拶をして、記念に写真を一緒に撮る。明日(火曜日)は、彼女の仕事が休みなのだそうだ。休みの日は車で1時間ほどの家族の住む田舎のキンタマーニに里帰りしてのんびりと過ごすとのこと。どこの国でも、家族の元が一番だ。休みの日のボーイフレンドとのデートはおあずけなのかもしれない。

さて、脱臼骨折して1ヶ月も経つと言うのに、いまだに腫れの引かない右足。でも、最近は面倒で、包帯も消炎剤を塗ることもしていないため、日常生活で足を下げた生活をしていると、足がパンパンに腫れてくる。手術した箇所に、むやみに力をかけるのは怖くてできないのだが、そんな状態でもうまくマッサージをしてもらえた。
特に浮腫んだ足についてはマッサージは非常に気持ちが良く、マッサージにより血行が良くなるため、炎症している箇所の治癒効果は高いだろう。バリにいる間、もう一度、今度は消炎剤を携えてマッサージしてもらおうと思っていた。

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マッサージ(1)

2008-05-08 21:56:18 | 日記

もともと、肉体的快楽には無頓着で、もっぱら、映画で散財したりと精神的な快楽を追求する傾向があったのだが、生まれてはじめてのマッサージを受けてみることにした。宿泊客は10%のディスカウントがあり、2時間で22US$らしい。日本円にして2500円程度か。安いんだろうか?
ホテルの廊下のSPAの方向を示している矢印に沿って、それらしきフロアにたどり着くも、広いホールは無人の上に薄暗く、どこに受付があるのかわからない。恐らくこっちだろうと小さい部屋が両側に並ぶ廊下を歩いていくと、インドネシアの衣装をまとった男女が5人、受付のところで談笑していた。若い3人の女性が従業員で、2人の年配の男が地元の客だろうと思っていたら全員が従業員。しかも、ぼくをマッサージしてくれる女性は別にいた。
年の頃、20歳そこそこのその若い女性は、キンタマニ出身でホテルの従業員宿舎に住んでいるらしい。彼女に地元のおいしいレストランを紹介してもらおうと聞いてみたのだが、彼女は近所で外食をしたことがないとのこと。

さて、マッサージは、筋肉に沿って揉み解すバリ式(と彼女は言っていた)のものだった。うつぶせになったぼくの痛めた方の足から始まって、足が終わると手や肩に移る。うつぶせになった枕には穴が開いていて、その真下に花を浮かべた器が置いてあった。

実は彼女が若く、あまりにも美人だったので、ぼくはドギマギしていた。
インドネシア独特の模様の入ったサリーを渡され、服はすべて脱いだ上に紙のパンツを着けさせられる。
「今、脱ぐの?」
と着ていたTシャツの裾に手を掛けながら聞くと
「私が出て行ってから」
と彼女は笑いながら答える。
「着替え終わったら呼んでね」
と言うが、先ごろ病院で慣れ親しんだコールボタンが見当たらない。
どうやって呼ぶのかと聞いたところ、部屋のドアを内側からノックするだけで良いらしい。
紙のパンツに履き替えて、サリーで下半身を隠してドアをノック。そしてドアを開けようとすると、ドアの外ではすでに彼女が待っていた。
いよいよ、マッサージ開始だ。

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