19日(日)日本経済新聞社1面の春秋欄にIBM社のことが載っていましたので紹介します。今でも日本企業の一歩先を行ってます。
紙のカードに穴をあけ、その位置の違いで情報を記録する。コンピュータが登場する前、米IBMはそうした「せん孔カード」式事務機を作っていた。日本からも引き合いがあったのが大正の末。ところがせっかくの注文を断った。
「機械のメンテナンス体制が日本にない」というのが理由だった。製品の点検や修理をする人がいなければ、使い手に迷惑がかかるとIBMは回答。そこで注文した会社は、交渉役の社員が米国で機械の保守技術を習うことにした。商談は成立し、その社員は日本IBMの設立にかかわり後に経営トップを務める。
事務機などの3社が統合し、現在のIBMが生れたのが1911年6月。この100年の間、日本企業はIBMから、情報技術、半導体、超電導など幅広い分野で刺激を受けてきた。だが、技術より先に学んだことがある。製品を顧客に渡した後も企業は責任があるとの考え方は、当時の日本企業には驚きだった。
いまIBMはアフリカの営業拠点を増やし、現地の大学と組んで技術者の養成にも力を入れている。