今から三十数年前、知人の依頼で「日揮株式会社」のプロジェクトに従事したことがありました。その当時の会社名は「日本揮発油株式会社」でしたが、日揮ともよばれていました。事業所は東京・品川から神奈川県・三浦半島を縦断している京浜急行線上大岡駅(横浜市)から徒歩で10分ほどのところでした。
私は社会に出て数年が経った頃でしたが、日揮を知りませんでした。会社の一文字に油があるので、燃料を扱う企業なのかなと思っていました。さらに、私が従事したプロジェクトが、新幹線の自動券売機をミニコンピュータで制御するものでしたので、なおさらどんな業種に属しているのかわからなくなりました。
知人が所属する会社からは、短期間ですが数名が中東まで出向きました。今と違い海外で日本食材が簡単に手に入る時代ではありませんでしたので、米や味噌・醤油などの調味料を段ボール箱に詰めて持参したそうです。段ボール箱の底には、日本酒を詰め替えて忍ばしたとも聞きました。それと煙草も。
さらに、現地に出向いた日本人の食事を賄うために、日本から女性も同行したと聞いた時には驚きました。プラントメーカーはここまでするのかと感心したものです。
過去、そして現在も中東・アフリカで働く日本人の方々の苦労は、計りしれないことだと思います。
最後に、アルジェリアのテロ事件で亡くなられた方々の、ご冥福をお祈り申し上げます。