伊予郡松前町(まさきちょう)は道後平野の南端に位置する町です。松山市、伊予市、伊予郡砥部町に隣接。石鎚山系に端を発した一級河川重信川を境に、道後平野の西南部に町域が開け、西は伊予灘に面し、南は伊予市をへだて四国山脈が望めますが、愛媛県内で唯一「山のない」自治体です。また江戸時代の『義農:作兵衛』の出身地としても知られます。「町の木:松」「町の花:ヒマワリ」を制定。
キャッチフレーズは「水きらめき 笑顔あふれるライフタウン・まさき」
明治22年(1889)、町村制の施行により、伊予郡松前村、岡田村、北伊予村が発足。
1922年、松前村が町制を施行、第一次伊予郡松前町が発足。
1955年、松前町、岡田村、北伊予村が合併、伊予郡松前町となりました。
マンホールには、町章を中心に「町の花:ひまわり」が大きく描かれています。
1990年3月31日制定の町章は「「ま・さ・き」を図案化し、全体で飛躍を印象づける翼を表わし、横線3本は、合併した三町村の繁栄と和を図でむすび、町の発展を象徴させています。」公式HPより
撮影日:2011年6月13日
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「義農作兵衛」
享保の大飢饉、一俵の種麦を擁しながら「農は国の基、種は農の本です。一粒の種子が、来年には百粒にも千粒にもなります。わずかの日に生きるためだけに食してしまって、どうして来年の種子ができるでしょうか。自分の身を犠牲して多くの人の命を救うことができれば私は本望です」と述べ、麦種を一粒も食することなく飢え死にしてしまった『作兵衛』。村人たちは彼の残した麦種を一粒ずつ大切に蒔くことで次の年を乗り切ったという。また、この話を聞きつけた松山藩は年貢の軽減、免除の措置を施します。作兵衛の尊い思いは、「義農精神」として受け継がれ、義農神社に建立された作兵衛の墓標には「天を敬する者は天より恵まる 地に親しむ者は地より与えられる 人を愛する者は人に報ひらる」と刻されています。
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