松前町大字出作に鎮座される「惠依彌二名(えひめふたな)神社」。御祭神は『惠日売命(えひめのみこと)』。配神『伊予津彦命 ( いよつひこのみこと )・伊予津姫命 ( いよつひめのみこと )』。外 十四柱の神々が奉られます。
現在の社殿は1999年に松山の「伊豫豆比古命神社(椿神社)」の旧社務所を移築。拝殿内には美しい日の丸が掲げられており、とても清清しい雰囲気の神社です。
由緒「神社の創設は古く、景行天皇(西暦71年即位)の御代と伝えられ、伊予の古宮として伊予二名本宮と称していた。その後、伊予大社五大社大明神と称し現在地の北方約100mに鎮座されていたが、慶長5年(1600)の兵火により社殿等が焼失した。その6年後、時の松山藩主加藤嘉明公の命により再興され、恵日売命外十六柱が祀られており、元禄から享和の頃(1700~1800)には、八幡様として崇敬された。」愛媛県神社庁
鳥居近くより神域を守護されるのは建立年不明の狛犬さん一対。おおらかな笑顔の阿形さんと、ちょっと口をすぼめた吽形さんが良い感じ。
御本殿に向かって左に細い参道が続き、その先に「境内社:平若神社」。
「慶長五年九月十七日 ( 1600 ) 当地頭平岡大和守通房入道左近房実( 通称年若きゆえ、平若左近という ) は、毛利輝元に一味して松前城を攻め、三谷村で合戦、敗北して討ち死にす。 その亡骸を家来七人が鶴吉村、神崎村を経て持ち帰り、氏神の西側 に埋葬し、その墓前で七人の臣自刃し、主人左近と墓を並べしとか... 大正末頃、故あってこのところに移し祀られたと伝えられる。 この戦の時、西風強く兵火により神殿・幣殿・楼門・その他を焼失、その時別当時吉祥寺も焼失。その後、夜ごとに走る首なし馬の音を鎮めるため、毎年七月十二日に、鶴吉村・神崎村・出作村で大念仏供養が行われていたと伝えられている。」 境内案内
その昔、主君をしたい一身をかけて主君の亡骸を守ってこの地に埋葬の後、後を慕って従死(じゅうし)した武士たち。今はただ静かに黄泉の国にて主君と共に過ごされておりますように🙏🙏・・・・・そうして私たちは、色鮮やかなアジサイの花に見送られ、境内を後にしました。
参拝日:2011年6月13日
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