防府天満宮境内の西南隅に北面して建つ「国指定登録有形文化財:春風楼」。木造二階建入母屋造、桟瓦葺、桁行三間、梁間三間、御影石の基壇の上の土台に据えられており、古い案内には「通夜堂」とあります。
「十代藩主毛利斎煕が社頭に五重塔の建立を思い立ち文政五年(1822)六月大専坊に於いて地鎮供養の祈祷をし釿始の儀を行ったが、天保の改革に伴う藩財政改革で、天保二年(1831)に一時中止の止むなきに至った。その後、塔の設計を楼閣様式重層の通夜堂に変更して明治六年(1873)に完工した。」公式HPより
「この楼の床下の木組は文政年間着工当初の塔の一層軒下に使用すべき組物を使用したもので、当時の面影を偲ぶに充分である。」公式HPより
組み物の横に置かれた大八車が異様に可愛い😅
2015年の訪問時、「春風楼」の前には「吾輩もこの場所で写真を撮りました」と話す『伊藤博文侯』とのツーショット顔出し。何でも伊藤博文が萩に行く前の少年時代、天満宮の神宮寺「大専防」の和尚に預けられ、其処で暫く書物を教えられたとか。ほぉ、そうなのかと一応納得。
この建物、どうやら絵馬堂も兼ねているらしく内部にはかなりの時代を経たと思われる奉納絵馬が掛けられています。
菅公が太宰府で亡くなられた折、防府勝間浦に神光が射し込み、酒垂山に瑞雲がたなびいたと云う奇瑞を描いたものと思われます。
題材が分かれば素晴らしさもより増すのでしょうが、いかんせん疎いもので・・木彫り絵馬は「暴れ馬を制しようとする二人の男」・・かな?
で、何といっても圧巻なのが一角を占める「龍図」と題された鏝絵。右端に「藤井」と読める銘がありましたが、離れた位置での金網越し+越年によるカスレの為、はっきりとは判読できません。
これを見た時のご亭主殿の嬉しそうな事と言ったら。もう完全に目がハート😍
「四季折々まことに絶景で春風楼の名にふさわしい」と紹介されている春風楼。彼方がかすんで見えるのは多分黄砂の所為・・、流石の天神様も黄砂には勝てなかったようです😩
リベンジを期した2015年の楼上から見る防府市内は彼方が薄暗くかすんで。身を乗り出そうにも手摺りはびしょ濡れ。吹き抜けの楼上はとにかく寒かった・・😥 流石の天神様も雨には・・以下略。
更にリベンジを期待した2017年(笑)、何故か楼の隅に俵が一杯積み上げられていて・・ついつい興味がそっちへ。
片手でヒョイと持ち上げるJ🐣さん! 😲!。でもご安心を。どうやらお祭りの何かに使われたと思われるハリボテ俵なのでした(笑)
二年おきに三度も訪問した防府天満宮 😊、明日は天満宮ならではのあれこれを紹介します。
参拝日:2013年4月17日&2015年11月14日&2017年11月30日
米俵、あんな軽々持ち上げるなんて
よっぽどの力持ちなんだろうなぁ・・・
って、ハリボテなんですねww
ありがとうございます。
友人🐣の名誉の為に
しっかりきっぱり「お祭り用の外側」だけだと断言します(笑)
真面目にお答えすると、多分500g程度だと思います。