愛西市佐屋町宅地に、ご贔屓の芭蕉の句碑があるとの事。場所は「佐屋八幡社」とありましたが、境内なのか境外なのか今ひとつ判然としません(^^;)
さんざんウロウロしてやっと見つけた『荻原井泉水』筆の「水鶏塚」碑。でも句は刻まれていません。
再びウロウロ(笑)見つけました!!愛西市(旧佐屋町)指定文化財「水鶏塚(くいなづか)」
【 水鶏(くいな)鳴(なく)と 人乃云へ者(人のいえば)や 佐屋泊 】
由来記【元禄7年5月芭蕉翁が江戸から故郷伊賀の国へ帰る途中、佐屋御殿番役の山田庄左衛門氏の亭で泊まられた。そのあたりは非常に閑静な幽地で昼さえ藪のほとりで木の間がくれに水鶏が鳴いた。翁がこられたと聞いて遠方からも俳人集まり千載不易の高吟が続いた。そのときうたわれた初の句が「水鶏鳴と人の云へばや佐屋泊 はせを」である。翁逝って40年余後さきに坐を共にした人達により、翁がうたったこの現地でそのときうたった句を石にきざみこみこの碑がたてられた。ときに正に享保20年5月12日のことである。昭和35年大字佐屋故黒宮庸氏の御意志によってこの水鶏塚(土地共)は黒宮家から佐屋町へ寄贈された。】
無時に芭蕉さんの句碑も発見できました。何度も素通りしていた「八幡社」に改めて参拝。
愛西市須依町屋敷に鎮座される「佐屋八幡社」。御祭神は『応神天皇』。
創建等は不詳、佐屋村の氏神として清須より勧請されたと伝えられています。
御本殿近く、左右より神域を守護される狛犬さん一対。阿形さんは口中に玉を含み、吽形さんはその名の通り、固く一文字に口を引き結びます。
境内の一角にあった碑、かすかに地蔵像らしき輪郭が見られるのですが、摩耗が進み過ぎて仔細は不明。
八幡社を後にして見かけた「佐屋代官所跡」碑。
碑文「徳川方がこの地から船出し、1615年「大坂夏の陣」で大勝した吉祥の地であったことから、1634年尾張初代藩主徳川義直は、佐屋街道に佐屋宿、佐屋湊、佐屋御殿を設け、1653年船番所を置いた。1695年奉行所が廃され、1781年所付代官所制実施の際、同地に佐屋代官所が置かれ、将軍上洛時に大役を果たした。」
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鵜戸川沿いの一画、「富岡神社」に残る「古木江(こきえ)城跡」
古木江城の鎮守社であったと伝えられる「富岡神社」
【古木江城は織田信長の弟、織田信興(信与)が対岸の長島一向宗に対して築いた城です。1570年(元亀元年)に尾張・伊勢長島一向一揆衆に包囲され、6日間は耐えたものの落城し、信興は自刃しました。この一件を機に信長の一向宗への憎悪はより強まり、門徒約2万人が焼き殺されたとされる1574年(天正2年)の長島焼き尽くしにつながります。現在、遺構はありませんが、城址にある富岡神社には城址碑が建てられています。】
鵜戸川の向こうに見える「道の駅・立田ふれあいの里」
「道の駅・立田ふれあいの里」で見かけた「縁結びの松」。傍らの碑には『加藤倉一』作とあります。良く分かりませんが・・きっと「御縁を結ぶスポット」的な存在かと(((((^_^;)
「縁結びの松」
愛知県愛西市森川町井桁西にある「道の駅・立田ふれあいの里」。県道125号佐屋多度線沿いに位置し、尾張地方では初、愛知県内では10番目の施設。2011年4月の愛知県蟹江・あま・清須・稲沢方面への車泊旅。また、2014年7月には津島市の「尾張津島天王祭」朝祭りを見る為に、車中泊で利用させていただきました。お土産に購入した現地特産のレンコン、偏食過ぎる私ですが大層美味しく頂きました。
車で旅をするものにとって、このような道の駅は本当にありがたく大切な場所です。
訪問日:2011年4月24日&2017年3月27日
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