重要文化財に指定された本陣と脇本陣の双方の建物が現存する日本で唯一の宿場町・矢掛。約750メートルにわたって古い建物が残されている矢掛宿の町並みは、いつか行ってみたい憧れの地の一つでした。今回はタンデムでの帰省。義姉宅からならそんなに遠くないという事で、思い切ってバイクでの訪問です。
帰省先でお出かけの場合、大概兄一家が一緒ですが今回は珍しく母も同行。私たちはバイクタンデム、兄たちはもちろん車なので、観光案内所にある無料駐車場で合流することにしました。道々に目に入る景色は想像以上に魅力的、一刻も早くこの街道を歩きたくてウズウズが止められません😁
町歩きのスタートは、国の重要文化財でもある「旧矢掛本陣石井家」。江戸時代中期から後期に建てられた建物で敷地は約千坪といいます。
元和6年(1620)に現在地に移り住んだ石井家が本陣職を命じられたのは、寛永12年(1635)。参勤交代の制定に伴い、四郎兵衛喜昌のときと言われています。屋敷地には、本陣施設として上段の間を備えた御座敷、御成門などの迎客施設を整え、さらに家人の生活の場や家業の酒造業を営むための主屋、内倉、酒倉、西倉など、合わせて十数棟が建っており、往時の姿のまま今日に至っています。
石井家には多くの近世交通関係の古文書が伝わっており、その中には、薩摩から徳川13 代将軍家定に嫁ぐための道中、天璋院篤姫が矢掛本陣に宿泊した記録も残されています。内部の見学もしたかったのですが、今回は幼い又甥や、歴史的な施設への興味も薄れてしまった母も一緒と言う事で外観のみ・・いつかそのうちを期待する事にします。
本陣から東に400m いくと、最後の脇本陣を務めた「旧矢掛脇本陣・高草家」。髙草家は金融業で財をなし、庭瀬藩の掛屋や小田郡大庄屋を務めた旧家で、「大髙草」と呼ばれました。敷地は約600 坪、矢掛宿では本陣に次ぐ規模を誇ります。
主屋をはじめ蔵座敷、内倉、大倉、中倉、門倉など9棟が国重要文化財の指定。白壁と張瓦のコントラストが美しく、備中南部の建築様式を伝える貴重な建造物です。
母屋と倉の間に設けらえた重厚な門は、旧矢掛陣屋から移築された薬医門。どっしりとした構えは無論ですが、棟瓦の飾り一つ見ても格式と重厚さがうかがえます
重文指定の建物はもちろんですが、何と言っても嬉しいのは、この宿場町の風情を残す町並み。古い建物は勿論、新しい建物も町並みのイメージを損なわないような細かい配慮がなされています。
ふっと目が合った地域の方に「ようおいでんされて」と声を掛けられる、その何とも優しい響き。目に入る景色の美しさと、何ともいえない心地よさに、すっかり矢掛宿の虜になってしまいました 😊
唐突に現れる洋風の建物も、ここでは全く違和感なく町並みに溶け込んでいます。それがいっそう町歩きの楽しさを盛り上げ、ついつい上を向きっぱなしの首の痛さに苦笑い。
まだまだ見所の尽きない矢掛宿の町歩き、この続きはまた明日~
訪問日:2009年9月20日
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